kurayami.

暗黒という闇の淵から

トワイライトベース

 小学生の放課後、僕らの住むマンションの裏にある公園が、いつもの集合場所。いつからか「いつもの公園」だなんて呼んでいたっけ。
 二人の友達が僕にはいた。同じマンションのトッシーと、秘密基地発案者の課長くん。本名を忘れてしまうぐらいに昔のことだけれど、三人でよく公園に作った秘密基地に集まっていた。公園の裏、フェンスの向こう側、崖の斜面。そこを平らにして、三人が居座れる場所にしていた。
 秘密基地の名前は、そこから見える夕陽が綺麗だからという理由から、それに因んだ英語を三人で考えた。それで確か、電車好きな課長くんが〈トワイライト〉という言葉を見つけて、その響きを気に入った僕らはその秘密基地をトワイライトと呼んだ。
 僕らはその秘密基地で、秘密基地で……なにをしていた。


「悪い大人を倒そう」
 放課後の秘密基地。トッシーが、僕らにそう言った。
「ええ、なんでさ」
「そうだよ。なんで?」
 僕と課長くんが疑問を投げる。
「いや、せっかく拠点を作ったんだ。なにか目標があった方がいいじゃん」
 トッシーは、そうだ。頭が良かった。僕らが思い付かないようなことを、教えてくれる。クラスで流行った手作りのカードゲームも、トッシーが作ったんだっけ。
「確かに……でもどうやって悪い大人を倒すの?」
 僕がトッシーに聞く。
「それは……それは、これから決めようよ」
「そうだね、みんなで決めよう」
 課長くんがにこにこと笑ってそう言った。ああ、課長くんはいつも優しかった。秘密基地という限定共有を、僕に教えてくれたのは課長くんだった。彼がいたから、僕はこの思い出に存在している。
「悪い大人を見つけ次第、えっと、なぐる?」
 僕が物騒なことを言った。子供は純粋だ。
「それじゃあ、オレたちが捕まっちゃうよ。どうせ捕まるなら一気に大人を一掃しよう。オレが読んだことのある小説でさ、秘密基地に篭って…………」
 トッシーが背を屈めて、僕と課長くんに“作戦内容”を伝えている。僕らにとっての悪い大人というのは、理不尽を指していた。社会にまで目が届いていないのだから、当然と言えば当然だが。僕は、君たちから見たらもう、悪い大人の仲間入りをしている。
「あ、そういえばさ。これ秘密な。吉田ってば大崎のこと好きらしいぜ」
「ええ、ホント? 告っちゃえばいいのに」
「オレは吉田好きだし応援したいな」
 日が暮れ初めても、僕らはずっと秘密基地で話している。「オレらだけの秘密だ」を口癖に、思い思い、共有している。
 そうだ、そうだった。君らにとって、その時間と場所は、どこよりも自由で、いつまでも秘密だ。
「……あれ」
「どうした、シュウヘイ」
「ううん、なんでもない」
 日没した薄明かりの中、そこにいる“僕”が薄れていく僕を見た気がした。
 最後の最後に、ここに辿り着いて良かった。
 夜が訪れ、君らが立った頃、僕が消えた。


nina_three_word.

〈 秘密基地 〉
〈 トワイライト 〉

 

無益な屋台

 賑やかな音、暗闇の中でぼんやりと光る赤、黄、緑、白の明かり。
 さっきまで、お母さんに手を引かれて帰っていたのに、いつの間にか森の中。お母さんはどこ。でも、こんなことで私は泣かない。だから、えらい。
 迷子になったときは、おまわりさんか、怪しくない感じの人に聞こうねって、お母さん言ってた。あそこにいる人たちに聞けば、わかるかしら。
 近付くにつれて、ぽんぽんと、太鼓みたいな音。笑い声、呼ぶ声。ああ、これ、お祭りなんだ。
 屋台と屋台に挟まれた通りが、長く長く、続いていた。私の家の近所に、こんなところがあっただなんて、初めて知った。これだけ目立っているなら、お母さんはあそこにいるのかもしれない。いたら、いいなあ。
 浴衣姿の人がいっぱいいる。お爺ちゃん、お婆ちゃん。腕を組むお兄さん、お姉さん。黒猫を抱いた女の子。親に手を引かれた子供。
 急に不安になる。私を、私の手を引く手はどこ。
 誰に聞けば良いの。声をかけようにも、なんだかまるで私がいないように、みんな通り過ぎていく。空気が人に、声をかけられないみたいに。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
 屋台のおじさんが私に声をかけた。看板には、には〈トジ屋〉と書かれている。
「おじさん」
「泣きそうな顔して、どうしたんだい。ああ、当ててやる」
 おじさんはうーん、と私を見ながら考える。
「わかった。迷子だろう」
「すごい、どうしてわかったの」
「トジ屋だからねえ」
 なんだろう、それ。おじさんの前には、よくわからないものが並んでいる。本当に何屋なんだろう。中には蟹の甲羅みたいなのもある。
「ねえ、これはなあに」
 私は気になったそれを、指さした。
「それは蟹の甲羅だよ」
「ええ、なんでそんなの売ってるの」
「いらないからねえ」
 確かにいらないけど、こんなのだれも買わないよ。
「じゃあ、これは?」
 折られたメモ用紙みたいなのを、私は指さす。
「友達の友達、そのまた友達の連絡先が書かれた紙切れ」
「え、だれの」
「その紙切れを開いた奴の、友達の友達、そのまた友達だね」
 すごいけど、そんなのを欲しがる人なんているの。他人じゃない。
「ねえ、だれが買うの?」
「だれだろうねえ」
 変なお店。
「あ、ねえねえ。私、お母さん探してるの」
「迷子だからね。お母さんかい、お母さんでいいのかい」
「お父さんはこわいんだもの」
 すぐに、たたく。お母さん、いつも泣いてた。
「そうかい、それならいいのがあるよ」
 そう言っておじさんが差し出したのは、何も写っていない、写真。
「なあに、これ」
「君のお母さんがいる場所の、目印が出るんだ。持っていくといい。お金はいらないよ」
「いいの?」
「ああ、それもいらないからねえ」
 おじさんは、にこにこして答えた。
「ほんと、ありがとうおじさん」
 私はそう言って、その屋台を後にした。
 お祭りの中を歩きながら、その写真を見続けた。うっすら、何かが見えてくる。今頃、どこにいるんだろう。
 写真の中には、私の苗字が書かれた、細長い石みたいなのが写ってる。
 いまいくね。

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〈 屋台 〉

〈 徒爾 〉

〈 目印 〉

 

愚かな事実の向こう側

 その水流の音からは、高さと勢いを感じ取れた。今の私にとって必要な条件が揃っている。
 人が死ぬのには十分な高さと、勢いを持つその滝は山の奥にあった。川の上流の方から夕陽が射し、滝の底には夕影が作られている。山々から夏の音と共に、涼風が流れてくる。この滝の頂点を境目に、分けられているように。
 もう、何も考えていなかった。それは、この普段の街とかけ離れた風景のお陰なのかもしれない。ここはもうあの世界じゃない。微かに記憶の端にあるのは、定まった過去だった。
 完全に思い出す前に私は夕陽に顔を向け、一歩、足を後ろに下げた。バランスを崩し、私は不気味なダンスを踊って、背中から滝の中へと落ちていく。浮遊感と、水飛沫、寒さ。死への覚悟を踏み出した割に、何も想うものなんてないんだなと、でもそれも当たり前か、と考えるのは一瞬。
 次の瞬間には夕陽も夕影もない、光もない。あるのは鈍い痛み、冷たさ、苦しさ。温かさが身を包む。転んだときに出た血、あれと同じもの。何処かもう怪我をしているのかもしれない。しかし、すぐに水流が私を圧迫し、思考を全て、苦しいという事実へと向ける。
 ああ、死ぬ。
 死にたくない。


 人よりも、なんて言葉は滅んだ方が良い。それでも私が「人よりも弱い心を持っている」と胸に定めているのは、願いであり、現実逃避だ。病気でも何でもない、ただただ臆病な私は打たれ弱く。この世界に、向いていなかった。そう考えている。
 つまらないことの積み重ねだ。鶴は千年亀は万年というが、鬱は一秒だ。鶴のように黒と白と赤で彩られた鬱は、まるで鶴の美しさに届かない。小学校の頃の、絵の具の、バケツの中の水のような。濁り。あの頃は……
 何かの残骸というものは、馬鹿に出来ない。こうして私を行動させた。山の中へと誘った。滝の底へ、突き落とした。


 吐き気と水流の冷たさで、目を覚ました。下半身の感覚はない。暗くなった視界を見るに、私は岩場に引っかかっている。失敗した、生きていた。私はそれに絶望も希望も持てず、呆れた。何をしているのか。
 見上げれば、急な岩壁が聳え立っていた。まるで……いや、生きるのには、これを登るしかない。
 私は、岩場に手を伸ばし、身体を引き摺りながらも、時間をかけて這い登る。こうでもしないと、生への執着……いや、これは断じて生への執着ではない。正しい逃避なのだ。「人より弱い心を持っている」私は、死からも逃げたい。
 惨めだ。どうしようもない。何処にも逃げ場など、ないというのか。
 思考を続けることが救い。
 私が気付いたとき、岩を掴んでいた手の爪が割れ、身体が宙に浮かんだ。滑り落ち、岩に身体をぶつけ、再び、水流の中へと戻される。
 私は口を開けた。水流が流れ込んでくる。
 叫ぶ口は、最早何も発さない。


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〈 滝 〉

〈 爪 〉

〈 鶴 〉

〈 定 〉

 

あの子色

 僕があの子と初めて話したとき、心が何色かに染まった。
 明るい色だったと思う。黄蘗色みたいな、薄くて明るい色。それでいて少し暖かい。気付いたらそんな色だった、ああ暖かいな、その程度。
 心が何かに触れると、灯るように色がつく。そしていつの間にか、薄れて消えていく。心の色とはそんなもの、だった。
 だけど、あの子の色は中々消えない。消えてくれない。何度だって再生する真っ白な心のキャンパスを、あの子は何度だって乱していく。
 ああ、それは、あの子は悪く無い。無意識に取り入れてしまう僕が悪い。しかし、あの子が僕に与える色は、とても豊かで素敵だ。

 二人きりで身体を少し触れるような、刺激的なときは檸檬色。ただ触れるだけでこんなに乱すのは、まるで酸っぱくて息苦しい。
 あの子が僕のこと優しい声で褒めてくれるときは、恥ずかしくて苺色。その声は僕の頬を染め、まるで甘い果実にする。
 あの子が真面目な目をして、過去の文学を語るとき、僕は考えさせられるから萌葱色。研ぎ澄まされて、まるで涼しい。自然のなかにいるかのように、大きく共有している。
 僕に、僕が考えないような過去への質問をして、あの頃を新鮮に別の角度で思い出すから、白茶色。あの頃の価値感を、あの子が教えてくれる。まるで知らない過去。

 彩り豊かに、僕の心は〈あの子色〉に染まっていく。それが、心を動かされるということらしい。こうして僕の心を動かせる人は、世界に何人いるのだろう。「世界にただ一人」なんて馬鹿げてるようで、案外それは、数字の面で見れば正解なのかもしれない。

 だからこそ、希少で、愛しくて、一緒にいたい。
 その僕の感情は、色は、暖色で希望に溢れていた。
 けど、あの子が〈心を染める力〉に、気付いてしまった。
 それは、とても、残酷な、ことで。

 あの子にとっては、少女性在る、無邪気で純粋な戯れだったのだろう。言葉巧みに僕を惑わし、言葉を向ける。まるでクスクスと笑うように。
 あの子が、僕を狂わす。理性を外し、暴走する感情は肉体の中。飢えに似た苦しみが。永遠の苦しみが。僕を解放することを、あの子が許さない。
 ポツポツと、色が心に落ちていく。僕の哀しみも落ちていく。濁り、色が滲み、混沌とさせ、容赦のないあの子の囁きが、色を重ねていく。数多の色の重なりは、決して、明るくない。それぞれの色が特徴を主張し、叫び、濃く濁す。
 混ざり合った色は、一色になる。
 どこまでも暗く、歪み光を許さない色。
 これが、あの子の色。

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〈 滲み 〉

〈 囁き 〉

〈 重なり 〉

 

ノウハート

 神の気まぐれも起きないような、厚い雲に覆われた暗い昼下がり。その子を助けたのは、僕の気まぐれだった。
 薬品に枯れた森の外れ、女の子が逸れた兵士に襲われていた。
 直感的に気に入らないと思ったのは、力の強い方。僕は〈想い〉を兵士に向けた。兵士の頭から煙が上がり、頭を抱え倒れ込む。
 女の子が唖然として、僕を見つめていた。


 またしばらく日が経った頃。僕は再び、枯れた森に足を踏み入れた。
 運が良ければ狸の一匹でも見つかると思ったけど、そこにいたのは、この前の女の子だった。
 戦争が永遠に終わらないこの世界、人肉は選択肢に十分に含まれる。
「あ、の、ねえ、ねえ」
 女の子が、僕に声をかけた。喋りかけてきたことで、食べる気がなくなっていく。
「なに、なに」
「この前は、有難うね」
 律儀に、お礼をしきた。見た目年齢で言えば、その女の子は僕と同い年だ。この時代にしては、しっかりしている。そういうのは嫌いじゃない。
「うん、どういたしまして」
 救ったつもりじゃなかったけど、僕は返すべき言葉で返す。
「ねえ、ねえ。なにしてるの? この前のはどうやったの? 名前はなんて言うの」
 頭の悪い方法で、女の子は僕に質問をした。
「えっと、お腹空いたから食べ物探してた。昔、研究室で頭を弄られたからすごい力が使える。名前はたぶんノウって言うんだ。君は?」
 頭の悪い返答をしたのは、久しぶりの会話を心の何処かで喜んでいたのかもしれない。
 涼しい風が、森に吹く。
「私はねえ、ハトって言うの。頭大丈夫? お腹空いたのなら乾パンを分けようか」
「ハト、頭はたぶん大丈夫だよ。乾パンは欲しいな」
 研究所から逃げて以来、初めての友達だった。


 それから幾つもの日々を、ハトと過ごした。
 ハトには、僕に無いものがたくさんあった。それがとても魅力的で、もっと知りたいと思えた。
「ノウはその力で何が出来るの」
 ハトが木の実を集めながら、僕に聞いた。
「うーん、今なら、そうだなあ」
 僕は〈想い〉を、ハトに向ける。
「あ、なんか暖かい」
「暖かいんだ?」
 怪我をするとは思わなかったけど、ハトがそう温度を感じるのは予想外だった。
「ええ、なにがでるか、わからないの?」
「うーん、僕はね。脳にある〈想い〉を熱量に変えることができるんだ」
「想いは、脳? にあるの?」
 ハトが、外れた質問をした。
「脳だと思うけど」
「胸にあると思った」
 不思議なことを言う子だ。僕が実際に弄られたのは、脳なのに。でも何故か、そう言われると安心する。まるで、ハトと同じモノだと証明されてるみたいで……
「あ、また暖かくなったね」
 ハトが暖かい笑顔でそう、呟いた。 


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〈 念力 〉

〈 温度 〉

ユルサレル

 マンションの屋上に、一人の少年が立っていた。
 少年は色白で細く、夏の空気に合わない、紺色のカーディガンを着ている。
 夕焼け。それは大人と子供にとって、受け取る感情が変わる景色。少年の目に映る景色は、日の終に満ちている。
 少年のポケットに入った、小さなガラパゴス携帯が振動する。少年は慣れた手付きで、片手で携帯を開き、耳に当てた。
「もしもし。うん、うん、かけた。なにしてたの? ……うん。へえ、断ったんだ、入部すればいいのに。松田、絵とか好きじゃん。あれ、好きじゃないんだ。ごめん、誰かと勘違いしてた」
 少年が、電話の相手がいるであろう方に、顔を向けた。日が届かなくなって、街灯のついた町が広がっている。
「それでえっと、なんだっけ。ああ、そう。今日、聞いたんだけどさ。人ってのは何かをして許してもらえる猶予期間、ってのがあるらしいんだ。うんうん、そう、それ。お菓子を強請っても良い年齢とかさ……ああ、名前あったよね。ユルサレル、みたいな名前の……うん、ああ、それだ」
 その場に、少年が座り込む。その日の涼しさを詰め込んだ風が、屋上を抜けていく。少年の前髪が揺れ、顔にかかる。
「良い話を聞いたから、松田と共有したいと思ってね。うん、どういたしまして。だって、これ俺らみたいな十四歳だからこそ、知ってて得じゃん。許されてるんだなあって、有り難み、みたいな。松田だったら、なにを許されて有難い? ……はは、お前らしいな。その独特のエロ世界観大切にしろよな」
 涼しい風が止み、ふと、町の音が、少年の耳に入る。車、飛行機、下校中の子供の声。
 それらがやたら遠くに聞こえた気がして、少年は遠くを見つめる。
「……ん、ああ、ぼーっとしてた。そう、まあ、共有したいってのが電話かけた理由の一つなんだけど。んで、さあ。松田には、一年生のときからずっと、世話になったじゃん。親のこととか、さ。うん、うん、有難う。はは。うん、だからまあ、そう、有難うって言いたかった。俺、もう我慢できないからさ。許される内に……」
 少年は、言葉を止めた。携帯を耳から離し、画面を見つめた。そこには信頼出来る友の名前と、通話時間が表示されている。携帯から「彰?」と声が聞こえ、少年は携帯を閉じた。立ち上がり、階段へと歩みを進める。
 五階、片隅。少年が玄関を開けると、薄暗い廊下が伸びていた。その奥からは、少年が知らない女の喘ぎ声と、父親の声が聞こえる。
 少年は、シンクの中にあった、洗われていない包丁を手に取った。確実な殺意を持ち、寝室へ少年は一歩一歩と進む。少年にとって、最大の害は、唯一の肉親。
「許されるのなら」
 少年が〈少年〉であることを、許される夏。
 そのか弱い力で〈終〉を振り下ろした。


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〈 モラトリアム 〉

 

勝敗の行方

 負けず嫌いの二人は、高等学校に入学し、同じクラスの振り割られた時に初めて出会った。
 久野耕太と長谷川美優。共に容姿も、学力も、運動能力も、平均。しかしその負けず嫌いは、誰よりも強い。
 そんな二人が初めて競ったのは、ある登校時。校門前で二人は偶然揃い、早足になり、気付けばどちらが先に教室に着くかと、競争をしていた。
 その日以来、二人は何かと競うようになる。
「久野、国語の点数」
 長谷川が、返却されたテストを手に久野の前に立った。
「七十二点」
「三十点も上……! 久野は文系なんだね」
「やった。というか、よくその点数で挑んできたな……」
 久野が呆れる。
「もしかしたらと思って。今度は、今度は数学で勝負ね」
「勝てる自信ないけど、負けたくはないな」
 二人は、勝ち負けの回数より、その場の勝敗に拘っていた。
 互いが互いを〈宿敵〉の枠に当てはめ、勝つことによる快楽を求め、勝負し続ける。
 時が経つに連れて、二人の勝負は規模が大きくなっていった。ゲーム、スポーツ、ギャンブル。ある時は生徒会長の座を競い、味方を多く作るように競った。二人はただ、勝ちたい一心だった。
「長谷川、今日は星の知識で勝負しよう」
 久野が長谷川の席に近づくと、周りが騒つく。二人の勝負は、ちょっとした名物となっていた。
「私が星好きで、毎晩夜空を見上げてるって知ってるの?」
「知らない、星好きなんだ? いや、勉強してきたから勝てるよ」
 二人は勝負をするのに、努力を怠らなかった。次第にそれは二人の成長に繋がり、成長を考える過程で互いを大きく意識させた。
 勝負が日常の高校生活も、三年になり終わりが近づいた。負けず嫌いの二人の話は、校内中に広がり、いつの間にか「卒業式に大きな勝負で決着をつける」と噂され始める。
 久野も、長谷川も落ち着かなかった。噂は二人の中で真実味が増す。口には出さなかったが、二人は卒業式の勝負を考えた。
 久野は、決着をつけたくないと、考えていた。卒業式が近づくに連れ、焦燥感が増す。久野は迷った末、卒業後も勝負を続けたいと、告白することを選んだ。
 そして、卒業式の日。誰もいない教室に、二人は集まる。
 久野は言おうとしていた言葉を、吐き出そうとするが、恥ずかしさに負け、なかなか言えない。
 一方、長谷川は、久野に近付き、隠し持っていた文鎮で久野の頭を殴った。電気の消えた、薄暗い教室に打撲音が響く。久野は痛さに声を漏らしながらも、長谷川を止めようとするが、文鎮が久野の腕をすり抜け、こめかみに入った。
 久野は意識を失い、長谷川は久野がもう起きないよう、殴り続け、殺害。
 長谷川は、決着を、はやく決着をつけたいと、望んでいた。
 それは、久野からの勝利を独占するため。
 唯一無二の、最後の勝利が欲しいために。


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〈 宿敵 〉を倒す。