kurayami.

暗黒という闇の淵から

ドーナツ神話

 これは、僕が十代最後の旅をしていたときに経験した話だ。今思えば夢だったかもしれないけど、現実に旅には出てる。虚構と現実、半々ぐらいに、聞いてもらえればいい。
 中国地方の旅を終えて、東に向かってるとき、京都五山送り火の日付が近いことを知ったんだ。ただ持ち銭は少なくて、宿泊を繰り返す余裕もない、それならばと思い……まあ若さゆえだね、スケッチブックを持って、泊めてくれる人や、車に載せてくれる人を探したんだ。まあ、まあ成果はあったよ。大阪では一緒に泊めてくれる人を探していた人や、同い年の男の子が泊めてくれたんだ。まあ中には危ない橋も渡ったけど、若さゆえ、だ。
 大阪で三泊目を終えたとき、岡山と、神戸の友人が夕飯に焼肉を奢ってくれると呼んでくれて、僕は神戸に向かった。それは美味しく、柔らかい牛肉だった、神戸牛というやつだ。もしも、この語りを読んでくれてたら、改めて礼を言いたい、本当にありがとうございました。
 楽しい夕食とドライブを終えて、僕は神戸三宮駅の前で降りた。さすがに、スケッチブックによる旅が四日目ということもあり、くたくたに疲れていた。スケッチブックに書くイラストや文字も、少しやる気のないものとなっていたと思う。パイ山と呼ばれるモニュメントに腰をかけ、要望を書いたスケッチブックを掲げる。「京都まで、または途中まで送ってほしい」と、大文字のイラストと共に書いたスケッチブック、ほとんどの人が目に止めなかった。時間も、時間だったからかもしれない。気さくな外国人さんに絡まれたぐらいだ、あのときは携帯の翻訳機能で会話したんだっけ。
 夜の十一時を過ぎ、遂に誰も捕まらなかった。仕方がないと諦め、ネカフェを携帯で探し出したとき、あの人に声をかけられたんだ。
「君、君君、五山のお送り火って、もうすぐなのか?」
 背の高い男だった。顔は少しのっぺりしていて、細い目、でも悪い顔じゃない、むしろアイドルにこういうタイプの男はいてもおかしくない。歳は近そうだった。
「ええ、そうですよ、明後日にはもう、五山です」
 人に話しかけられたのが嬉しくて、なにも警戒をせず、返した。
「あーもう、そういう時期か……で、君はその五山まで送ってほしいと?」
「そうなんです! どうですか? もし良ければお兄さんも一緒に行きません?」
「残念、明後日は用事があるんだ」
 残念そうには見えなかったが、まあ、期待はしていなかったからいい。
 孤独の夜になる手前、話しかけられたのが嬉しくて、ついつい話を続けてしまう。人を惹き込むのが上手な話し方だった。
「さては君、今晩の予定がないんだな?」
「ええ、実は……すみません、話し込んじゃって」
 悪びれもなく、舌を出す。
 男が苦笑いをしながら、ため息を吐く。
「しょうがないな、まあなんだ、実は、僕も予定がないんだ。もし良ければ朝まで付き合ってやろうか」
 願ってもいない話に、僕は笑顔で応える。これが旅の醍醐味なのだ。
 僕のリクエストで、海まで歩くことになった。三ノ宮から海まで、それなりに距離はあったが、散歩のコースとしてはちょうど良かった。なにより、海が見たかった。内陸育ち、八王子住みの僕からしたら、海は褒美だ。
「ところで、どうして五山のお送り火に興味を持ったんだ?」
「小説に出てくるので……あと、京都らしいイベントじゃないですか」
 僕ながら馬鹿っぽい返答だったと思う。男は「ふむ」とだけ答える。まあそうだよね。
「六甲比命神社には行ったかな」
「すみません、聞いたことないですね……」
「弁財天を祀っている神社なのだが……そうか、あまり知られてないのか」
「弁天という神様ですか? 吉祥寺の井の頭公園に祀られていると聞いたことがあります」
「そう、その弁天、弁財天」
 夜風が少し強くなった。潮の匂いがする。
「ちょっとしたことで、その井の頭公園の弁天……弁財天について知った程度なんですけど、確か蛇を使役する神様ですよね」
「いいぞ、そう、白蛇を使役しているんだ」
 蛇の話が出てきて、男が少し嬉しそうに見えた。
「蛇、好きなんですか?」
「かっこいいと、思わないかな」
「そうですねえ、なにかと神話に出てきますよね、例えば、創世記でしたっけ、あの二人に禁断の果実を渡したのも蛇だったような」
「そうだね、ギリシャ神話に出てくるメデューサだって、蛇でお洒落をしているだろう?」
「してた! 星座のやつですよね?」
「そうだ、最終的に盾となる」
「そんな話でしたねえ。あ、蛇が尻尾を咥えてるやつ、えっと」
ウロボロスの輪だ」
「それです、ドーナツみたいですよね」
 話の途中、コンビニを見かけ、小腹を満たそうということで入る。男がお金のない僕にドーナツを買ってくれた。
ウロボロスにちなんで、ですか?」
「君が良いなーと言ったんだろう」
 覚えていなかったが、無意識に言ったのだろう。
「ところで、ウロボロスの輪が何を意味するか、知っているかな」
「永遠みたいな……」
「惜しいな、実に惜しい」
 前方の空が広くなって、海の気配が近くなった。
「不老不死、死と再生を意味する」
「ほとんど正解じゃないですか」
 僕がドーナツを頬張りながら答えた。
「そこで、この蛇が尻尾を咥えてる様子は、どこが不老不死を表しているかわかるかな」
「え、うーん……そりゃ、食べよう食べよう、とぐるぐるしているところ、じゃないんですか?」
「模範解答、といったところかな」
 男が自身の持っていた、ストロベリーチョコレートドーナツを大きく齧る。
「このドーナツに、穴はあるだろか」
 アルファベットのCのようになったドーナツを、男は僕に見せた。
「……ない、ですね」
「そう、ウロボロスの輪の本質は、僕はあの穴だと思う」
 信号を渡りながら男は言う。海はすぐそこだった。
「なるほど……そう考えると、ドーナツの穴って、なんか」
 そんな歌詞の曲もあった気がする。男が言う話は、それは「何かがないと、それは成り立たない」という話だ。僕は、それを、そんなドーナツの穴を知っている気がする。
「なんて、考えられる話だろう。少しは君の旅の刺激になっただろうか」
 君の旅に幸運を。男はそんな言葉を僕に投げかけた。
 ……残念だけど、今、思い出せる記憶にあるのはここまでなんだ。その後の送り火も、帰路を辿る旅路も覚えている。だけどこの日、この時間の、この後の記憶がない。もう何年も前の話だからね、本当にすまない。
 代わりと言ってはなんだけど、伏見稲荷で経験した深夜の冒険を、聞かせてあげよう。

 

妖怪三題噺「神戸 蛇 ドーナツ」

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