kurayami.

暗黒という闇の淵から

色彩による乾き

 八高線という、八王子と高崎を結ぶ路線がある。八王子市民から見ても滅多に使わない、それこそ路線沿いに住んでる人しか使わないような、ローカル路線。十二分に一度は電車が来る中央線への乗り換えができる駅の中で、三十分に一度しか来ないという、異質を放っている。
 今日、私はその八高線を使うことにした。まだ、暑さが残る九月のこと。
 電車は、出発より数十分早く来た。電車に乗り込み、中で涼を取る。八高線の座席は、ふわふわと、高級なソファみたいだ。
 その日、巾着田に行こうと思ったのは、顔を洗って、昨日の残りを食べ終わった十一時過ぎ。窓の外、気持ちの良い青色を見て、決めた。九月が下旬に入って、薄々気づいていたのかもしれない。そんな時期だと気づき、思い立って、衝動的に家を出た。だから軽装だ。持ち物は、携帯と、充電器と、本と、イヤホンだけ。他に必要なのは、この、衝動だけかもしれない。
 電車が出発する、一時四十八分。電車は田んぼと住宅街の隙間を縫うように走り、東京からどんどん離れて埼玉へと向かう。東飯能西武線に乗り換えるとすぐに高麗駅へと着く。八王子駅を出発して、約一時間ぐらい。
 電車に乗っていると県境がわからなくて、駅を降りて初めて埼玉に来たと実感する。駅前には、観光客であろう人々が疎らに立っている。
 埼玉県日高市高麗本郷、巾着田
 高麗川に囲まれた、巾着のような形をした平地のことを指す。 駅前でジュースを買った。黄色い微炭酸の飲み物。炭酸が苦手だけど、これなら夏の炭酸の良さがわかる。私にお似合いの微炭酸。一口飲んで、巾着田へ向かい出す。
 くねくねと、細い道を、道標通りに歩く。目的のその朱色が、道の脇に咲いているのが目に入った。相変わらず、綺麗だ。
 数年前と同じように、畑の脇に、ワゴン車のソフトクリーム屋に人の列ができている。
 一人で、決して二人ではなく、一人で、巾着田を目指す。
 大きな川が見えて、角を曲がると、一面に咲く朱色が、遠く森の中、木々の隙間から覗いていた。
 森の中に入り、朱色に囲まれる。一瞬、一人が二人に重なり、すぐに戻る。思っていたほどじゃなかった。これなら、振りほどけるかもしれないと、朱色の中を、数年前と同じように、進む。
 数年間より、もっとも、その前からその朱色は好きだった。それと、いろいろな偶然が重なって、数年前のあの日が出来たんだっけ。
 同じように進んで、川を挟む、小さな橋を渡って、石階段を登り、朱色から外れて、山の中へ入る。また一口、微炭酸の黄色いジュースを一口。
 山の中は、進むほど、誰もいなくなる。ゴルフ場の脇、網目状の長い森のトンネル。なんとなく、数年前あの人がいた背景と、同じ背景の写真を、携帯で撮る。
 その写真にはもちろん何の意味もない。ただ、少し物足りないなと思って、当たり前かと、一人笑って、また微炭酸を飲む。
 山道の先は、小さな湖のような、貯水湖のような場所に着く。数年前のあの日、この湖は予期せぬものだった。あの人ははしゃいでいたと思う。
 あの人と座った階段に座って、やっぱり同じように写真を撮った。その写真を背景に、あの人は何か笑っていた。数年前、何年前を思い出して、湖を見て、時間が少しずつ過ぎていく。
 もう、終わってることを見過ごしている。
 青色が薄くなり、ひぐらしが鳴き始めた。
 私は、その湖を数年前のあの日の終点と見て、自身の足で進む、新しい道を歩き始め、巾着田を目指し帰る。森の中は暗くなってきて、なにか、靄の中を進んでいるような気持ちになった。もう、もう終わったことだ。
 山道を抜けたとき、空は橙色に染まっていた。
 胸が、少しざわつく。駅に戻るために、巾着田に入ると、そこには、
 橙色の光に伸びた影が朱色を暗くし、一面を紅色に変えている。黒く影になった木々、ひらぐしの遠い声、紅色の、一面の、曼珠沙華。手招くあの人は、いない。

 乾き。

 乾ききった喉を潤そうと、ペットボトルを取り出すも、それも、空で、もう誰も、私を潤せない。
 
 
妖怪三題噺「埼玉 ジュース 空」
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