kurayami.

暗黒という闇の淵から

偏食の天井

 夕飯を食べ終わった辺りから、私は少し、憂鬱になる。
 秋刀魚の骨が乗ったお皿を片付けて、寝巻きを揃え、入浴の準備をする。さすがにお風呂に入っている間は、別のことを考えるけど、それでも私にとって夜は、

 寝ることは、憂鬱なことだった。

 私には、五つ上の、大学生の姉がいる。
「ねえ、お姉ちゃん、今日一緒に寝ようよ」
 私は、居間でお風呂を待っていた姉に頼んでみた。
「最近多いね。悪いけど今日もだめ」
 たぶん、出来たばかりの彼氏との電話のためだ。そんな毎晩、電話しないといけないものなのかなって、疑問に思う。大人の考えることは、私にはわからない。
 歯磨きをし、自分の部屋へと戻る。玄関から見て、家の奥、階段の下にある小さな入り口、四畳半の部屋が、私の部屋だった。元々、物置代わりとして使う予定の、増設された部屋だったらしい。私は、秘密基地みたいだということ、どの部屋からも離れているということから気に入り、その部屋を選んだ。それが、今となってはとても苦しい。
 部屋の電気が、切れかかっているのか、居間に比べて少し暗かった。友達との数回のメールのやり取りをした後、私は、電気を消して、布団に潜る。決して、目を開けないよう、ぎゅうっ、と目を閉じる。
 誰かがいる家に……ううん、この部屋に、静寂。
 この時間なら、きっと姉は起きている、今頃お風呂を上がって、居間にいるはず。その音すら、聞こえない。まるで、夜に一人。
 そして、それを否定するように、天井の軋む音。
 たたたたっ、たたたたっ。
 始まった。私が寝ようとする間際、それは、天井を走り出す。それは、屋根の上でもなく、屋根裏でもなく、紛れもなく、私の部屋の天井を、走っている。
 たたたたっ、たたたたっ。
 恐る恐る、薄目で、天井を見上げる。白い、ゆらゆらしたものが、天井を動き回っているのが見える。逆さまに、コウモリのようにぶら下がって、走っている。
 きっと、そいつは、大きな黒い目をしている。天井の染みに、人のような顔の染みがあるのだ。それが、その正体だと、私は思っている。
 それは昔も現れた。私はそれが怖くて、怖くて堪らなかった。それがある時期を境に出なくなって、数年。また数日前から現れるようになった。
 なんでまた出てきたんだろう。どうやったら消えるんだろう。私は、出なくなった頃を思い出そうとした。
 そういえばあの頃、少し、不思議な出来事があった。私がインフルエンザにかかってしまったときのことだ。母が、部屋にお粥を持ってきて、私の枕元に置いてくれた。寝起きだった私は、うとうとしながら、数分ぐらいだろうか、目を瞑っていた。完全に目覚め、起き上がりお粥を食べようと皿を取ると、そこにはからからに干からびた、お粥があった。
 そんなすぐ干からびるものかなって、不思議に思っていた。もしかしたらあれが、出なくなる条件だったのだろうか。
 気づけば、音が止んでいる。いつもより、少し早い。そう思った瞬間、枕元に、人が着地するような、重い音がした。いつもは、そんなことはない。いつもと、違う。
 人の気配だけが、枕元に立っている。きっと、私を見下ろしている。大きな黒い目玉をギョロつかせて、私を見ている。
 絶対に、目を開けてはいけない。私はそう思い、いつまでも瞼の裏で怯え続けた。

 夜が明け、明るくなった部屋の中。私は恐る恐る、目を開けた。いつもと同じ、私の部屋が、そこにあった。
 居間には姉がいた、恐らく夜通し電話をしていたのだろう。姉が私を見て、少し驚いた。
「ねえ、ちゃんと寝てる? 目、パンダみたいだよ」
 居間の鏡を見れば、一晩でなるはずのない、クマができていた。まるで、天井の染みのように。
 私はその日、初めてお粥を作った。

 

妖怪三題噺「パンダ 天井 粥」

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