kurayami.

暗黒という闇の淵から

旅の記録 -高校生の旅-

 

《前回》

旅の記録 -始まりの旅- - kurayami.


 高校二年生になり、僕はバリバリのツイッタラーになっていた。いろんなところにフォロワーがいて、いろんなところに友達がいた。

 例えば、徳島にはRちゃんという同い年の子がいて、夜のスカイプ通話で「明日来いよ」なんて言う。それがその年の、旅の始まりだった。
 正直、今から書く旅は、あまり印象に残った旅ではなかったと思う。高校二年生なんてものは、個人的には、永久的に感じる時間だった記憶がある。その年の旅だって、たぶんこの一回だけじゃなかったと思うし。だから、今から書くものは、複数回の旅が混ざった記憶かもしれない。勘弁してほしい。
 Rとの通話から三時間後、支度をした僕は、始発に乗るために家を出た。いつもその時間帯は日が昇ってなくて、アジカンの『サイレン』がよく似合う。
 徳島。前回の仙台とは、比べ物にならないほどの、距離。片道十六時間。しかし初の西ということもあって、名古屋駅、京都駅、大阪駅、瀬戸内海など、退屈はしなかった。なぜか誰も乗らない二両の、やけにゆっくり動く電車に心を躍らせたりした。
 四国へ着く。宿泊先は、Rの部屋のクローゼットだった。なぜだろう。女の子は、そういう趣味があるもんだと、勘違いしていたと思う。
 その町は、港沿いにあって、町の中を大きな汽水域の川が流れていた。Rが塾に行っている間は、自転車を借り、海沿いを走ったりした。内陸育ちの僕にとって、海は盛り上がるもので、見るだけで嬉しくなる。ずっと見てられる。今でもそうだから、お手頃だと思う。ただiPhoneを落とし画面を割っている。ついでに、五千円も落としている。男子高校生にとっての五千円は大きくて、これが後に響くことになった。
 後日、R家にバレそうになり、僕は徳島を出た。他に泊まり続けようにも金もない。夕方のこと。僕は18切符で行けるとこまで電車に乗り、辿り着いたのは、岡山県にある瀬戸駅。星の綺麗な夜で、僕は精米機の裏にあるコンクリートの上で一晩を過ごした。夏でも夜は寒くて、かっこつけて探偵みたいなコートを着て行って良かったと思った。
 その後、舞子駅でフォロワーさんから食料を貰い、三重県の駅で出会ったお姉さんの家に泊めてもらった。ホラー映画を一緒に観たり、化粧中の女の子は見てはいけない、ブラシは豚毛猪毛がいい、など教わった。たぶん三日ぐらい滞在したと思う。楽しかったし、いろいろ大人になれたと思う。
 お姉さんのおかげで、無事帰ることができた。本当、この頃はよく覚えていない。名古屋や大阪には何度も遊びに行ってるから、どれがどのあれだったかは覚えていない。残念だ。ちなみに、今使ってるブラシは猪毛だ。

 

 友達に「なんで旅をするのか」と聞かれ、僕は「子供にさ、俺がお前ぐらいのときは旅をして回ったもんだって、言いたいじゃん?」って言ったと思う。なんだか、浅はかっぽい。
 高校三年生。偶然、たくさんお小遣いをもらった僕は、トランク型のキャリーケースを買って長期の旅行を計画した。旅というのは、計画してしまったら旅行なのだ、と思う。しかし18切符を使った移動が主だったので、一応旅だと思って見てほしい。
 高校生として出来る、最後の旅だと思って僕は家を出た。
 一日目は、横浜の、幼馴染みの家へ。夜更かしして、ずっと話してるのが楽しかったな。幼馴染みに起こして貰うというイベントを期待したが、先に起きるという失態をしてしまった、本当に勿体無い。
 二日目、三日目は鈍行で大阪へ。関西の、様々なフォロワーさんと交流をしたと思う。オフ会ばっかして、おませさんだ。ちなみに、この頃には大阪には慣ていて、その土地へ来たという感動は薄かったかもしれないけど、それでも大阪の空気は好きで、好きだ。同じ夏でも、東京とは違うなあと思う。
 四日目は京都へ。雨が降っていたと思う。出町柳のゲストハウスに宿泊した。たぶん初めてのゲストハウス利用だった。古い古民家のようなところで、一階には交流の場になる部屋に炬燵が置いてあった。京都には、そのゲストハウス含め、森見登美彦の小説の舞台巡りが目的だった。ゲストハウスオススメのラーメン屋で辛い辛い唐辛子ラーメンを食べ、鴨川沿いにあるカフェで甘い八つ橋パフェを食べたりした。ゲストハウスでは、外国人さんとジェスチャーでコミニケーションが取れたのが印象的だった。
 五日目は、東尋坊を目的に福井県へ。日本海沿いに行くのはその時が初。京都駅にある、日本一長いと言われる“0番線”を見て、琵琶湖沿いを走り、福井へ。道中フォロワーさんと合流した、すごく巨乳だった。一時間に一本みたいなバスにのって、海沿いを走る。海沿いを走るバスというものが、なんだかフィクションの世界のように感じて、気分が盛り上がった。東尋坊は、抱いていた自殺像のものとはかけ離れていた。というのも、観光客が多いのだ。ドラマのような、水飛沫を背景にクライマックスという感じは、しなかった。ただ、異様な風景と絶景だったので一度見る価値はあると思う。近場の崖に「一度きりの人生」と看板があったのが印象的だった。
 東尋坊から歩いて、30分ぐらいのところにら島に繋がる橋がある。雄島。なんでも、東尋坊で飛び降りた死体が海流に乗り、この島に着くという。時計回りに行かないと死ぬだとかなんとか、橋は真ん中を歩かないと落とされるだとか。所謂心霊スポットだ。長い橋を渡り、島を時計回りに行く。薄暗く、じめじめした森を抜けると、東尋坊と似た地形の、岩で出来た海沿い。使われていないであろう古い灯台彼岸花が咲いていた。
 六日目。金沢。孫が八王子に住んでいるという、おばあちゃんが受付をするホテルに泊まった僕は、朝一のバスで白川郷へと向かった。ずっと行きたかったけど、まあ無理だろうなと思っていた念願の雛見沢が、通り道になるついでに行けて嬉しかった。片道数時間のバスを降り、白川郷は、本当に空気が違った。八王子と新宿とか、そういう違いじゃなくて。本当に空気が美味しかった。あと、ひぐらしのレナのコスプレをしたおっさんが歩いてたのは、ちょうど良い調和だったと思う。レンタル用の自転車を使い、隅々まで回った、見るよりも、あの中を自転車で走り回ることが気持ち良かったかもしれない。よく、白川郷の写真で見れる風景、あれが見れる山に登って、一人でセルフタイマーを使って写真を撮ったのが、なんか、寂しいと思った。
 午後になり、観光客が一気に減って静かになる。たぶん、これが普段通りの静けさなのかもしれない。自転車を返して、ゆっくり白川郷を回ることにした。用水路沿いにある細い道を辿る、細い道が楽しい。この頃には、旅行の真ん中にいて、普段いた日常とは遠いところにいて、なんだかそれが心地良かった。無人販売のトマトが、今でも、今までのトマトの中で一番美味しい。また食べたいなあ、あのトマト。夕方になって、もう一度あの山に登ったけど、雨が降ってきて災難だった。
 その日のうちに名古屋に行き、去年のお姉さんの家に泊まった。ガストに連れて行ってもらった気もする。
 七日目から十日目まで、名古屋に滞在した。お姉さんの家に三泊、カプセルホテルに二泊したんだっけ。カプセルホテル楽しかったなあ。名古屋は友達が多くて、長く居座ったんだ。豊田稲荷とか、旅行っぽいことはしてたけど、ほとんど大須にいたと思う。あの、名古屋駅構内のコンビニで売ってるサーモンのたたき巻がすごく美味しかった。
 十一日目。静岡県、伊豆稲取のホテルへと向かった。車内の席が全部海の方向を向いていたことや、途中からJRじゃなくなって18切符が使えなくなったことが思い出だったりする。あれは困ったもんな、懐かしい。全室オーシャンビューというのは、たまに嘘とは聞くけど、そのたまたまに今回引っかかってしまった。割とショックだったと思う。
 夜はコース料理だった。これがまた困ったことに、コース料理というものが初めてで、テーブルの上に作られたナプキンの扱い方に悩んだ。被るのかなって考えてたし、すぐにインターネットが見れる時代で良かったと本当に思う。当時高校生の僕からしたらそれは少なかったけど、なんだか美味しかった気がする。
 十二日、幼馴染みの家に帰り、手料理を食べ、十三日、家へと帰った。
 今回の旅行は、日本海も太平洋も見れたし、長かったし、お金もかけた。良い旅だったと思うけど、トラブルもなくて退屈な話だったかもしれない。
 次回、19才編はスケッチブックを使い、知らない人の家に泊まります。お楽しみに。