kurayami.

暗黒という闇の淵から

隣の海は青い

 僕は、いつでも、彼女の、有美の写真を納めてきた。

 石畳の道の上で、恥ずかしそうに笑う写真。初めてのデートで浅草に行ったときのもの。
 浴衣姿を着て、畳の上に疲れて座り込んでる写真。二人で仙台旅行に行ったときのもの。
 僕の部屋を背景に、両手でピースをしている写真。有美が、僕のサプライズバースデーを成功させたときのもの。
 そして、これは……
 有美はいつだって、僕のカメラ越しに、その四角形の中で、決して綺麗とは言えない歯並びを見せて、笑っている。
 笑っていた。だからこそ、有美が、死んでも、今もこうして「寂しくない」と「言える」。
 しかし、この写真、この写真だけは笑っていないんだ。
 青い海を背景に、こちらを哀しそうに、いや、わからない。少なくとも、冷たそうに、フレーム越しに僕を見つめる有美が、そこにいる。
 彼女が生きていた頃の、最後の写真だった。


 有美と、旅行で福井県東尋坊に行った日のことだった。
 青々しい海と、衝撃を受けたような岩場が盛り上がって連なっている。
「自殺の名所だって言う割には、観光客で賑わってるね」
 東尋坊は、休日ということもあって、大勢の観光客で溢れている。有美は下へ降りる岩場の道を、跳ねるように降りていく。
「落ちるなよ」
「大丈夫だよ!」
 笑った。遅くないと思い、僕はカメラを向け、楽しそうに笑う彼女を追う。
 辿り着いた先は、海面の近い足場だった。有美は、膝を着いて海を覗く。服が濡れる心配もしてなさそうで、無邪気だと僕は思った。
「魚、魚泳いでるよ」
「どれ、ああ、本当だ」
 魚が泳いでいるのがそこに、見えた。
「ねえ慶一、もしも魚になれたら、嬉しい?」
「えっ、そうだな……嬉しくないかも」
 驚いた顔をして、有美が振り返る。
「海……嫌い?」
「いや、嫌いじゃない、けど」
「海、いいよね」
 有美が、口の形だけ笑わせた。
「青くて、透明で、透明だけどぼやけていて、上にも下にも横にも、空間があって、でも遥か先は、暗くて……」
「有美……?」
「だけど、だからこそ、その海の中でしか生きてない魚からしたら、こちらの世界をそう思うかもしれない。私のように、向こうの世界を羨ましがってるかもしれない。それって、お互いがお互いそうで……でも、それでも私は、魚が羨ましいな」
 海を背景に、有美が、憂いを帯びた顔をしていた。
 その絵に見惚れて、思わず、カメラを向けてしまう。
 それに気づいた彼女が僕を、あの、冷たい目線をカメラに向けた。
「慶一は、なにもわかってない」
「えっ、ああ、ごめんって」
 僕が近づき、仰け反った彼女が、


 あの後、有美は足を滑らせ、岩場の上に落ち、またその下の岩場に打ち付けられ、海の上へと落ちた。僕はすぐに助けを呼んだが、それでも助からなかった。
 なあ、有美、お前は、あのときなにを思ったんだ……?

 

 

妖怪三題噺「海 魚 写真」

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