kurayami.

暗黒という闇の淵から

セピア色の街

 空中浮遊するビル。セピア色の空。街の付け根に曼珠沙華
 少年の片手に、一匹の海水魚

 青見実奈が、高校帰りの放課後、喫茶店で優雅にソーダフロートの上のアイスを口に運んでいるときのことだった。少年が、ダツ目ダツ上科サンマ科の、秋刀魚の尾を片手に、横の席に座った。制服らしいだぼだぼの黒いズボンとぶかぶかの白いシャツ、その幼さの残る横顔から、実奈はその少年を同い年ぐらいだろうと想像する。
 他にも空いてる席はあり、これはナンパだと考えた実奈は、甘い声で少年に訪ねた。
「あの、どうかされました? それ、素敵な秋刀魚ですね?」
 少年は“悪い”にもう一つ輪をかけたような、悪い目付きで、実奈の方を向く。
「……饅頭を、差し出せ」
 セクハラだろうか? と実奈。
「ま、まんじゅうですか? ちょっとそういうのはまだ、ちょっと……」
 ボリボリと頭をかく少年。
 少年は、片手に持った秋刀魚を高く上げ、実奈に振り落とした。
「テメェの、饅頭みたいな頭を差し出せって言ってんだよ」
 真っ二つに割れる、ソーダフロートのグラスと、テーブル。産まれながらの反射神経でそれを避けた実奈が、椅子から落ち、即座に店の外へと逃げ出した。産まれて初めての食い逃げと自身の命を狙い追う人へ、実奈は胸を躍らす。
 後ろでは、少年が秋刀魚を片手に、実奈を追いかける。
「おい! その饅頭寄越せよ!」
「やだっ、まんじゅうこわい!」
 灰色のビルとビルの隙間、紅色の灯りを灯したパイプが剥き出しとなった裏路地へと実奈は入る。ドラマで観たように、実奈はゴミ箱を蹴っ飛ばして少年の足止めをしようとするが、少年は片手の秋刀魚で、そのゴミ箱を真っ二つに、斬る。
「それっ、さっきも言ったけど素敵な秋刀魚ね」
「ああ、メグロで買った秋刀魚だからな!」
 凶悪な顔を変えず、少年は追いかけてくる。実奈はビルの錆びた裏口に入り、階段を駆け上る。登り途中の踊り場に溜まっていた腐ったジャンキーたちを、実奈は力の限り、少年に当たるように突き落とす。反射的にジャンキーを切った少年に、質の悪い血がかかる。
 あかんべえをする実奈に、少年は舌打ちをした。
 屋上に出た実奈は、ビルの淵へと向かう。セピア色の空には、空中浮遊する直立したビルが雲のように流れていて、辺りを見渡せば『嘔吐町』の最果てに、曼珠沙華の畑が囲うように見える。
 血を被った少年が、ビルの出口から出てきた。
「おい、饅頭……」
「まだ、まんじゅう諦めてないの。律儀な子ね。ねえ、名前はなんていうの?」
「んん? ああ、ウオヤっていうんだ」
 少年……ウオヤは、距離を詰めながら答える。
「ウオ屋? 魚屋? そのままね」
 後ずさりしながら実奈は煽り、走り出したウオヤを見て、実奈は、ビルから飛んだ。
 着地。隣のビルへ飛んだ実奈は走り出す。同じように、ビルを飛ぶウオヤ。
「なんで私を追うの?」
「お前のクラスメイトからの頼まれてな」
 ついにそう、恨まれるようになったかと納得する実奈。
 怪しい煙を出す配管の群れ、そのビルの隙間を飛ぶ二人。
「待てよアオミナ!」
「ちょっと惜し、い。あっ」
 七つ目の隙間を飛び、そこで、実奈の記憶が途切れた。


「おい、おい」
 ウオヤの苛立った声で、目を覚ます実奈。
 ただし、その実体はなく、それはまるで煙のようだった。
「死んじゃった?」
「死んだ」
 反魂香。それは死者の魂を、その煙の中に復元する香。
「なあ、一つだけ確認なんだけど、お前アオミナで合ってるよな? アオ、ミナ」
「ええと惜しくて、アオミ、ミナです……え、まさかの人違い?」
 三秒の無言。
「うわ、ややこし……」
 ウオヤの言葉に喚く実奈。やかましいと感じたウオヤが反魂香を消そうとする。
「わっ、待って待って、阿尾美奈だよね? 私知ってるよ」
「本当か?」
「本当。でももうこの町にいないと思うな。隣の三日月町に引っ越したんじゃないかな。私、顔も知ってるよ。というかここら辺の町なら詳しいよ!」
「……」
 渋々、煙の少女を連れ歩くことになった魚の少年。
 嘔吐町の殺し屋は、曼珠沙華畑の外、次の町へと出かけた。

 

 

妖怪三題噺「秋刀魚 魂 饅頭」

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