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kurayami.

暗黒という闇の淵から

奈落のニルヴァーナ


 広く、静かな黒い水面に、主を無くした小さな船が漂っている。
 低い空には、幾つもの世界が、継ぎ接ぎに写し出されている。
 ここは、奈落。世界の舞台下。

 そこは、手紙の世界の奈落。父を憎む物語。連続する不幸の中で、異形と化し、海を彷徨う様が、写し出されている。
 船の中、行先を選ぶための、白くか細い両腕が生まれた。

 そこは、楕円の世界の奈落。人を望む物語。穏やかな日常の中で、その空間にいるただ一人を、貪欲に望む様が写し出されている。
 船の中、器となるための、白く小さな胴体が生まれた。

 そこは、街灯の世界の奈落。導かれる物語。暗闇の路上の中で、問いかけられる質問に対し、最後の最後、嘘をつく様が写し出されている。
 船の中、進むための、白く華奢な右脚が生まれた。

 そこは、魂の世界の奈落。追われる物語。セピア色の街の中で、楽しげに走り回り、煙の存在と化した様が写し出されている。
 船の中、逃げるための、白く繊細な左脚が生まれた。

 そこは、街角の世界の奈落。道に迷う物語。モノクロの街の中で、二択を覗き、望まれる透明に、色を付ける様が写し出されている。
 船の中、黒い髪に、世界を見るための赤い瞳を持った、幼い頭が生まれた。

 そこは、母親の世界の奈落。取り憑く物語。揺れる夏の陽炎の中で、その家族、自身と弟の背負った罪の最後が写し出されている。
 船の中、始まるための、色のない柔い心臓が生まれた。

 そこは、偽物の世界の奈落。重なる物語。桜の季節の中で、一人の男を惑わす化け物の姿が写し出されている。
 船の中、少女性を持った意思が、生まれた。

 七つの世界の奈落を通り、魂の解放を受け続けた船の中。生まれた身体が繋がり、心臓が胸に染み込むように入り、少女の意思が溶け込んでいく。
 〈海〉を〈欲〉を〈嘘〉を〈煙〉を〈色〉を〈罪〉を〈化〉を。紡いだその身体が、黒い水面の続くその先、最果ての水平線を横に、ゆっくりと、目覚めていく。
 赤い瞳が、うっすらと、開いた。
 彼女の名前は、ニーナ。この奈落を見つめ続ける一点の白。または観測する傀儡。この舞台下での怪異。
 目覚めたニーナは、辺りを見渡した。黒く広がる水面に、鮮やかに写し出される様々な世界の空。その様に、初めて本を与えられた少女のような感動をする。
 ただ漂うのでは無く、自身で選んだ世界を見たくなる、ニーナ。
 彼女は、船に供えられた櫂を見つけた。正しく、自身が望む方へと、船を進めるために、櫂を握る。
 新しい、水面を求めて。

 

妖怪三題噺「世界 櫂 怪異」

https://twitter.com/3dai_yokai