kurayami.

暗黒という闇の淵から

奈落のニルヴァーナ

 広く静かな黒い水面に、主を無くした小さな船が漂っている。低い空には幾つもの世界が、継ぎ接ぎに写し出されていた。
 ここは奈落。世界の舞台下。

 第始界。そこは手紙世界の奈落。父を憎む物語。連続する不幸の中で異形と化し、海を彷徨う様が写し出されている。

 船の中、行先を選ぶための白くか細い両腕が生まれた。

 第二界。そこは楕円世界の奈落。人を望む物語。穏やかな日常の中で、その空間にいるただ一人を、貪欲に望む様が写し出されている。

 船の中、器となるための白く小さな胴体が生まれた。

 第三界。そこは街灯世界の奈落。導かれる物語。暗闇の路上の中で問いかけられる質問に対し、最後の最後、嘘をつく様が写し出されている。

 船の中、進むための白く華奢な右脚が生まれた。

 第四界。そこは魂の世界の奈落。追われる物語。セピア色の街の中で楽しげに走り回り、煙の存在と化した様が写し出されている。

 船の中、逃げるための白く繊細な左脚が生まれた。

 第五界。そこは街角世界の奈落。道に迷う物語。モノクロの街の中で二択を覗き、望まれる透明に色を付ける様が写し出されている。

 船の中、黒い髪に世界を見るための赤い瞳を持った、幼い頭部が生まれた。

 第六界。そこは母親の世界の奈落。取り憑く物語。揺れる夏の陽炎の中で、弟の背負った罪の最後が写し出されている。

 船の中、始まりを持つ色のない柔い心臓が生まれた。

 第終界。そこは偽物の世界の奈落。重なる物語。桜の季節の中で、一人の男を惑わす化け物の姿が写し出されている。

 船の中、少女性を持った意思が生まれた。

 七つの奈落を通ることで、魂の解放を続けた船の中。生まれた身体の部位は繋がり、心臓が胸の中へ染み込み少女の意思が溶け込んでいく。
 〈海〉の物語。〈欲〉の物語。〈嘘〉の物語。〈煙〉の物語。〈色〉の物語。〈罪〉の物語。〈化〉の物語。
 歪な七つの物語に紡がれた身体を起動し、黒い水面が続く水平線の景色を横に、ゆっくりと目覚めていく。
 赤い瞳が、今開かれた。
 彼女の名前は、ニーナ。この奈落を見つめ続ける一点の白。または観測する傀儡。この舞台下での怪異。
 目覚めた彼女は、辺りを見渡した。黒く広がる水面に、鮮やかに写し出される様々な世界の空。その様に、初めて本を与えられた少女のような感動をする。
 ただ漂うのでは無く、自身で選んだ世界を見たくなって。
 彼女は船に供えられた櫂を見つけた。正しく自身が望む方へと、船を進めるために櫂を握る。
 新しい、水面を求めて。





妖怪三題噺「世界 櫂 怪異」
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