「立川にさ、美味しい定食屋があるって聞いたんだけど」
大学の講義が終わったその日のこと、奥村は学友の中上との夕食を、何処で取るか悩んでいた。
「立川か、地味に遠いな」
奥村が、少し面倒くさそうな顔をした。
「いや、それがリピーターが多いんだって。売りはシチューだとか」
「ふうん、珍しい」
「な、な、行こうぜ?」
「行きたいって素直に言えばいいのに。いいよ、じゃあ今日はそこで」
中上の押しに負け、奥村は立川にある定食屋に決めた。
大学の最寄り駅から、中央線で数駅。奥村と中上は立川駅で降りた。
噂の定食屋は、南口のラブホ街の近くにあるという。夕暮れ時になり、立川駅の改札前には雑踏が出来ていた。
「立川に来たことは?」
中上が奥村に聞く。
「ああ、実は高校のとき乗り換えに使ってたよ。だから、むしろ詳しいぐらいだ」
「へえ、でもラブホ街の方なんて行ったことないだろう?」
「それが、そこに美味しいラーメン屋があってな。高校のときはよく通ったもんだよ。ラブホ街」
「ませてんなあ」
階段を降り、キャッチに溢れたゲーセン前の通りを歩き、駅前から外れ、人の気配が薄れていく。
二人が歩いていくうちに、いつの間にかラブホ街に入っていた。
「ああ、例のラーメン屋の方は店仕舞いしたみたいだな」
「まじか。最悪見つからなかったら、そこにしようと思ったのに」
赤鬼の顔の形をした、巨大遊具が置いてある公園の角を曲がる。
「あった」
看板もないその店は、線路沿いにあった。
「こんな店あったかな」
奥村が首を傾げた。
「お、中はそんな混んでないみたいだ。入ろうぜ」
中上が、率先して店の中に入る。
店内は和風居酒屋に近い雰囲気で少し薄暗く、エル字にカウンターがある。
「いらっしゃいませ」
エプロンを腰に巻いた、若い女性が出迎える。二人は席に通され、奥村がひそひそと中上に話しかける。
「あの人、一人しかいないみたいだけど、あの人が作るのかな」
「さあな。というか、すげえ可愛くね?」
中上はすっかり、店の雰囲気に魅了されていた。
「ご注文は如何なされますか?」
「ホワイトシチューを二つください」
「待った」
中上の注文を奥村が止めた。
「なんだよ」
「ビーフシチューってありますか?」
「すみません……シチューはホワイトのみとなっているんです……」
「ああ、じゃあ、ホワイトシチューと、この唐揚げ定食でお願いします」
奥村が申し訳なさそうに注文した。
「悪いな、俺、ホワイトはだめなんだ」
「いや、来たいって言ったのは俺だしさ。いいよいいよ」
中上はシチューを楽しみにしてる様子だった。
数分後、唐揚げ定食と、ホワイトシチューが二人の前に出される。
唐揚げ定食には、特に目立った特徴はなかった。が、ホワイトシチューは少し、異質だった。
「具がない……?」
二人が覗き込むが、やはり具は見当たらない。
「そういうのが売りってことかな」
「だろうな。これでリピーター続出って言うんだから、楽しみだぜ」
それぞれ、口に運ぶ。
「うん、まあ、美味しいかな」
奥村が、思ってもいないことを口にし、中上はどうかと横目で見る。
すると、中上が、ぼろぼろと、泣いていた。
「どうした、そんなにか……?」
「美味しい」
中上が、感情を込めて、ぽつりと、呟いた。
それからというもの、中上は毎日のように、その店に通った。
「そんなにか?」
「……ああ、最高だよ。うん、最高なんだ」
中上は、目を細めて言う。
「お前、最近少し痩せたんじゃないか……?」
奥村が中上を心配するが、それを無視して中上は語る。
「口の中でとろけたと思うと、喉を通してもいないのに、身体に浸透していくんだ。なんだか、全て許されるような、肯定してもらうよな優しさでな。あの味から、いや、味だけなんだ。あの味が俺を救い、教えてくれる。日々をこうして生きるべきだって教えてくれる。それはあの店に通うことが正しいと、教えてくれるんだ。毎日、あの味に触れ合わないといけないんだ」
ぶつぶつと語る中上は、まるで信者のようだった。
「宗教みたいだな……」
奥村は、自身が乳製品アレルギーであることを、何処かで安心した。
nina_three_word.
〈「宗教みたい」を含んだ台詞〉