kurayami.

暗黒という闇の淵から

紅い華の岸

 波打つ、暗闇。揺れる、虚無。
 黒に灯る、点々とした光は、星々。
 その海は、星空だった。


 僕がこの岸に辿り着いて、まだ三ヶ月しか経っていなかった。
 ここにあるのは、僕だけが住む二階建てのアパート。理想の真っ白な部屋に、ソファと勉強机。ここが田園都市線沿いならもっと良かったんだけど、生憎、電車は来てくれない。

 死んだ記憶は取り戻し、過去への想いは、振り切った。
 次は、なにをすればいいんだ。

 食事を済ませ、眠たくなる頃。僕は岸沿いへと出た。この岸の名に相応しい、紅い華の群生が風に揺られ、暗闇は音もなく波を打っている。水面下では星々が誕生と消滅を繰り返し、光と闇を交互に奏でていた。
 向こう岸……此岸に目を向けると、彼女の姿が今日も見えた。白い薄手のカーディガンを着ている。もう冬を越えたのだろうか。
「ねえ、前髪切ったの、気づいた?」
 彼女には、この海が見えているようだった。ただ、どうやらこの岸と僕の姿は見えないらしい。
 毎日、こうして僕に言葉をくれる。しかし、その言葉に僕は、何も返せない。
 言葉を返せないというのは、ただただ、寂しさを伴う苦痛だった。
 彼女は、椅子に座りマグカップを手に取った。それにはきっと、彼女の大好きなレモンティーが入っている。
「貴方がいないと、退屈よ」
 彼女が僕に語りかけてくれるとき、寂しそうな顔は絶対しなかった。
「私から見て貴方が見えないということは、随分と遠いところにいるのね。何光年? 貴方ほどの人間が、一等星以下なんてことはないと思うけれど」
 常に上から目線の彼女だけど、こうして僕を認めてくれている。死んでしまったことも咎めない彼女だ。
「百光年、ぐらいね、きっと。百日だけ待ってあげるから光より速く、飛んできて」
 此岸からは一方通行、だなんて神の法則は彼女は認めていないらしい。
 僕だって、本当はわかっていた。きっと、次にやることはこの星の海を進むことだって。
 だけど、この水面に溶けてしまえば、僕は二度と、彼女の言葉を聞けない。
 臆病が、日々を進めてしまう。
「……そろそろ、行くね」
 きっと、また明日も来てくれるだろう。彼女は百日とも言わず、この先もずっと、向こう岸で待ち続ける。
 天国も地獄、どちらかじゃないって、死んでわかったんだ。
 彼女の言葉を聞き続けられる希望。だけど、返す言葉を伝えるにはその希望を捨てなければならない。なんて、不条理なんだろう。
 返す希望、前に進む勇気。僕はいつの日か、掴めるのだろうか。
 この、星空の彼岸で。

 
nina_three_word.
〈 此岸 〉〈 神 〉〈 彼女 〉