「ねえねえ、知ってる?」
子供たちは、噂話が好きだ。
「午前四時に、片足立ちで台所の蛇口を三回捻ると、鯨が出てくるんだって……」
噂話というものは、子から子へ、ないしょ話として伝わっていく。
「四時にね、台所の蛇口を三回捻ると、鯨が出るんだって」
「午前? 午後?」
「ええ、午後だった気がするなあ」
形を変え、伝わっていく。
元の話通りにやっていたのなら、本当に鯨が出て、また別の物語になっていたのかもしれない。
「午後五時に靴下を脱いで台所の蛇口を四回捻ると、鯨が出てくるんだって!」
「夕方にね、台所で裸足になって、蛇口を四回捻ると、鯨が出てきて何でも願いを叶えてくれるんだってさ」
「夕暮れ時に裸足になって両足を揃えて、蛇口を最後まで捻ると、願いを叶える鯨が出てくるらしいよ」
ひそひそ、ひそひそ。
噂話は、伝言ゲームだ。
「ねえ、知ってるかな。願いを叶える鯨の話」
「知らない」
帰り道、二人の少年がないしょ話をしている。
「誰にも言っちゃダメだよ。空がね、夕陽で真っ赤なときじゃないとダメなんだ。あと、絶対一人のときじゃないとダメなんだって」
「なんだそれ、多くない? その、決まりごとみたいなの」
「まあまあ、願い事叶えるためだからさ。それでえっと、なんだっけ。そう、電気を消した台所で、裸足を揃えて立って、蛇口を最後まで捻るんだって、そうすると願いを叶える鯨が出るらしい」
「ふうん」
間違って、伝わっていく。
「ただいま」
噂話が伝わった少年は、家に帰った。母子家庭の少年の家には、まだ誰も帰っていない。
奥の台所から、真っ赤な夕暮れの光が差し込み、廊下に漏れている。
少年は洗面所で手を洗い、台所へ麦茶を取りに行く。冷蔵庫の中に入った夕飯を確認して、グラスに麦茶を注ぎ、それを飲み干した。
台所の蛇口を捻り、グラスを濯ぐ。そのとき、静かな台所で、少年は願いを叶える鯨を、思い出した。
誰もいない電気の消えた台所。真っ赤な空。今は、揃っている。
「……なんだっけ」
少年は、靴下を脱いだ。きっと、噂を確かめる条件が、すぐに揃うからだろう。少年を動かすのは、鯨に願いを叶えてもらいたいからより、噂話の真相を確かめることへの好奇心。
裸足になり、両足を揃え、少年は蛇口を全開に捻った。
水が大きく音を立てて、シンクの中で響く。
「…………」
鯨は、現れなかった。対して期待をしていなかった少年は、蛇口を戻し、後ろを振り返る。
そこには、水に濡れた人間が、その頭と同じ大きさで口を開き、立っていた。
「ねえ、知っている?」
噂話は、間違って伝わっていく。
「鯨の喧嘩に海老の背中が、裂けちゃうんだって!」
ただし、決して間違っているわけじゃない。
「なにそれ」
「知らないよう」
間違った方法は、別の何かとして、成功する。
「あのね、真っ赤な夕暮れの日にね……」
nina_three_word.
〈 鯨 〉
〈 台所 〉
〈 噂話 〉