読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

kurayami.

暗黒という闇の淵から

愚かな事実の向こう側

 その水流の音からは、高さと勢いを感じ取れた。今の私にとって必要な条件が揃っている。
 人が死ぬのには十分な高さと、勢いを持つその滝は山の奥にあった。川の上流の方から夕陽が射し、滝の底には夕影が作られている。山々から夏の音と共に、涼風が流れてくる。この滝の頂点を境目に、分けられているように。
 もう、何も考えていなかった。それは、この普段の街とかけ離れた風景のお陰なのかもしれない。ここはもうあの世界じゃない。微かに記憶の端にあるのは、定まった過去だった。
 完全に思い出す前に私は夕陽に顔を向け、一歩、足を後ろに下げた。バランスを崩し、私は不気味なダンスを踊って、背中から滝の中へと落ちていく。浮遊感と、水飛沫、寒さ。死への覚悟を踏み出した割に、何も想うものなんてないんだなと、でもそれも当たり前か、と考えるのは一瞬。
 次の瞬間には夕陽も夕影もない、光もない。あるのは鈍い痛み、冷たさ、苦しさ。温かさが身を包む。転んだときに出た血、あれと同じもの。何処かもう怪我をしているのかもしれない。しかし、すぐに水流が私を圧迫し、思考を全て、苦しいという事実へと向ける。
 ああ、死ぬ。
 死にたくない。


 人よりも、なんて言葉は滅んだ方が良い。それでも私が「人よりも弱い心を持っている」と胸に定めているのは、願いであり、現実逃避だ。病気でも何でもない、ただただ臆病な私は打たれ弱く。この世界に、向いていなかった。そう考えている。
 つまらないことの積み重ねだ。鶴は千年亀は万年というが、鬱は一秒だ。鶴のように黒と白と赤で彩られた鬱は、まるで鶴の美しさに届かない。小学校の頃の、絵の具の、バケツの中の水のような。濁り。あの頃は……
 何かの残骸というものは、馬鹿に出来ない。こうして私を行動させた。山の中へと誘った。滝の底へ、突き落とした。


 吐き気と水流の冷たさで、目を覚ました。下半身の感覚はない。暗くなった視界を見るに、私は岩場に引っかかっている。失敗した、生きていた。私はそれに絶望も希望も持てず、呆れた。何をしているのか。
 見上げれば、急な岩壁が聳え立っていた。まるで……いや、生きるのには、これを登るしかない。
 私は、岩場に手を伸ばし、身体を引き摺りながらも、時間をかけて這い登る。こうでもしないと、生への執着……いや、これは断じて生への執着ではない。正しい逃避なのだ。「人より弱い心を持っている」私は、死からも逃げたい。
 惨めだ。どうしようもない。何処にも逃げ場など、ないというのか。
 思考を続けることが救い。
 私が気付いたとき、岩を掴んでいた手の爪が割れ、身体が宙に浮かんだ。滑り落ち、岩に身体をぶつけ、再び、水流の中へと戻される。
 私は口を開けた。水流が流れ込んでくる。
 叫ぶ口は、最早何も発さない。


nina_three_word.

〈 滝 〉

〈 爪 〉

〈 鶴 〉

〈 定 〉