kurayami.

暗黒という闇の淵から

誘うお化け

「お母さん、もう帰っちゃうの」
 複数のチューブに繋がれた少女が、寂しげに母親に向かってそう言った。
 夜九時前。病院は徐々に、明かりが失われていく。
「ごめんね、でも明日の朝になればまた会えるから。ね」
「んー……我慢出来たら、いい子? わるい子じゃない?」
 少女が母親の目を、上目遣いに見て言った。
「うんうん、とってもいい子よ」
「……おばけ来ない?」
「悪い子じゃなければ大丈夫よ。安心して」
 母親がそう言って、少女の頭を撫でた。
「うーおばけ怖いなあ」
 少女が怖がっているモノは、悪い子にしてると訪れると、母親が教えた存在だった。
 猫の目を持って、高い背、細長い腕、片足だけで立って、ゆらゆらと揺れている。
 もちろんそれは、母親が言った適当の存在だ。しかし少女にとって、それは十分に恐怖の象徴であり、日常的に〈いい子〉を保ち続けるための、抑止力だった。
「大丈夫、貴方は誰よりも良い子なんだから、大丈夫よ」
「んー……うん」
 時計の短針が、九時を指した。
「それじゃあ、おやすみ、また明日ね」
「おやすみ、お母さん」
 母親が去って、病室の明かりが失われた。はやく朝になあれ、と少女は願い目を瞑る。少しずつ、意識が身体と世界から、離れていく。

…………
 少女が、目を覚ました。しかし、そこにはベッドもチューブもなかった。
 最初に少女が気付いたのは、木と土の匂い。次に風。そこは夜の森だった。
「やあ、おはよう」
 少年のような声に振り向くと、そこには、猫の目をした、背の高いゆらゆらと揺れる……〈わるい子にしていると来るおばけ〉がいた。
「いやっ」
 少女が後退りをする。
「待って待って、悪いやつじゃないんだ。僕は悪いやつじゃない」
 おばけが、慌てながらも落ち着いた声で言った。
「おばけ……おばけ……」
「ああ、おばけだよ。でも、僕が何をするとかって、お母さんから聞いた?」
 少女が、少し考える。
「……なにをするの?」
「なにもしないさ、安心して。言ってしまえば、これから君を案内するんだ」
 おばけは、優しい声でそう言う。
「ほんとうに?」
「本当だよ。信じられないなら、後ろから着いて来るだけでもいいさ」
 そう言っておばけは、片足で飛んで森の中へと向かう。
 少女の後ろからは、得体の知れない動物の鳴き声が聞こえた。
「少なくとも、そこにいるよりは着いて来る方が安全だけどね」
 怖くなった少女は、仕方がなくおばけへと着いて行くことにした。
「ねえ、どこにいくの」
「こんな何もない森の中じゃない、とこ」
「病院に帰るの?」
「ううん、違うよ」
「ねえ、私がわるい子だから来たの?」
 少女の問いに、おばけは少し、黙った。
「悪い子……君は、悪い子じゃないよ」
「そうなの、ならどうして来たの」
「君は、悪いことしてないんだけどね、でも」
 ゆらゆらと揺れながら、おばけは進む。
「結果的に君は、人を悲しませてしまったんだ。とっても頑張ったんだけれどね」
「どういうこと?」
 少女の問いに、おばけは答えない。
「さあ、着いたよ」
 辿り着いたのは、少女の家に似た、建物。
…………

 朝日が登り切った頃。電子音が病室に響き、母親が泣き崩れていた。
 永遠に目覚めない悪い子を、目の前にして。

 

 

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〈 おばけ 〉