kurayami.

暗黒という闇の淵から

猫の目

「やだなあ、次郎さん」
 僕は懐いた声で、先輩に言った。
「いやいや、でも正樹くんは絶対学校でモテると思うんだよね」
 バイトの控え室。同じ休憩番になった先輩に、僕は良い顔をしていた。
 先輩の顔を見ると、鼻の横に大きなニキビを拵えている。
「僕なんて全然ですよ。次郎さんの足元に及びません」
 そのニキビを潰したいと顔には出さず、ニヤニヤと先輩に声を出す。
「はは、俺がいつモテるって言ったよ」
 先輩がそっぽを向いた。あとで先輩が缶ジュースを奢ってくれた。
 定時を終え、何でここを選んだのかも忘れた、飲食店のバイト先を出る。
 外は既に暗くなっていて、夕方を終えたばかりの雰囲気が、そこにあった。
 今日もくそ疲れたなあ、だなんて思って帰宅路を辿る。夜空を見上げ続けていたら、徐々に星が増えてきた。
 いや、増えてきたんじゃなくて、見えてきたのか。少しずつ、目に暗闇が慣れて。
 ああ、もう、
 死にたいなあ。


「ただいまーねえ、今日のご飯は何、なに」
 家に帰り、リビングに入ってすぐ母に声をかけた。
「おかえり。今日は焼きそばよ」
 母がエプロン姿でこっちを向いた。いつも通り帰ってきて、安心、という顔だ。
「肉入ってるの?」
「もちろん」
「やりぃ」
 なんて、いつも通りの会話をして、僕は流れるままに自室に入って、崩れるように、床に伏せた。
 電気の消えた部屋。遠くから家族の声。冷たいフローリングの床。
 上着の中で振動した携帯を、僕はベッドの方に投げた。
 この部屋は、この時間、今は僕だけのものだ。誰にも気を使わない、使いたくない。
 学校にも、バイト先にも、家族にも。
 日々、猫を被る内側で、本心は積もっていく。そこにあるのはもう、自身を終わらせたい気持ちだけだった。
 猫を被るのにも、もう疲れた。でも、これからも被り続けるんだと思う。
 そうすることで友人が、先輩が、家族が。良い顔をするのであれば。僕は喜んで何匹だって猫を被るだろう。
 だけど、そうすることで僕を殺すのはお前らなんだ。首に縄を掛け、徐々に天井に吊るし上げているのは、お前らだ。
 そうやって吊るし上げられて、そこから見える景色は、綺麗なのか。
 ああ、綺麗なんだろうな。夜に慣れた目のように、見えてくる星空のように。僕が猫を被ることで秩序を保たれて、そこはきっと綺麗なんだ。
 やっぱり、死にたいな。死んで楽になって、そんな綺麗な景色も崩れてくれ。
 僕自身がその景色であればいい。僕の有り難みを、思い知って欲しい。
「正樹、ご飯」
 僕は母の声に、猫撫で声で返事をした。

 


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〈 猫かぶり 〉

〈 心積り 〉