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kurayami.

暗黒という闇の淵から

黒い匂い

 ふわふわぼさぼさの寝癖が、目立つ男の子だった。
 たまに中でも会えたけど、中庭に行けばもっとたくさん会えた。
 出会いは確か、私がカマキリの卵が孵ってるとこを見ていたとき、横からあの子が覗いてきたんだっけ。そうだ、カマキリのメスがオス食べちゃうって私が知ったのは、あの子のせいだった。
「こんにちは、今日も寝癖が酷いね?」
 ふわふわで、ぼさぼさの寝癖をした男の子を、私は心の中でねぐせ君と呼んでいた。
「こんにちは、君はいつも寝癖のことを言うねえ」
 会うたびに同じことを言っても、許される歳の頃の話。
「だって目立つもん、その寝癖。帽子を掛けるやつみたいだよ」
「寝相が悪いんだから仕方ないじゃん。というか、そんな帽子掛けみたいに、背高くないし」
 ずれたところで、彼がむすっとした。
「今からそんなこと気にしてるの? 男の子なんだから、これからだよ」
「……これからだと、いいなあ」
「これからだよ、大丈夫、だいじょうぶ」
 少し落ち込んだ彼を、私は励ます。
 次に会ったのは、それから約二週間後の夕方。飛行機雲の影が空に出来てるの見てたとき。
「綺麗だね」
 後ろから、彼が声をかけてきて、私は少し驚いた。
「あ、ね、ねぐせ」
 思わず声に出してしまった。
「ねぐせって名前じゃないよ。別にそれでもいいけどさ」
「ごめんごめん。わ、今日は少し落ち着いた寝癖だね?」
 彼が、私の横に並んだ。
「少しだけ、ね。ああ、君は松葉杖になったんだ」
 いつも車椅子だった私に、彼はそう言った。病気で動けなくなった足が、少しずつ良くなってきていた。
「うん、リハビリ頑張った」
「えらい。君からはずっと、嫌な匂いがしてたからなあ」
「嫌な匂いってなによう。そういう貴方は薬の匂いがするんだから」
 少しむかついたから、はやく良くしなよとは、言ってあげれなかった。
「ごめんごめん。ああ、でも、良かった。足が重症って感じだったもんね。もう重症じゃないね」
「そういう貴方は、寝癖が重症だけどね?」
「あーいえば、こーいう」
 そう言って、日が沈んでも二人で笑った。
 彼は、辛くて寂しい入院生活の中で、私の支えだった。
 歳が近くて、物腰の柔らかく、聞き上手。安心する。
 でも、ある日から、彼は中庭に現れなくなった。寂しさと心配を重ね切った私は、病室を訪ねることにした。
 彼はベッドの上で、上半身を起こし、何所か寂しそうに手元を見ていた。
 寝癖は、なかった。悪い寝相が無いほど、元気がない証拠だったんだ。
「やあ、もう松葉杖無しに歩けるようになったんだね」
「頑張ったからね。そういう貴方は、寝癖がなくなったね」
「おかげさまでね」
 彼が、力無くへらっと笑った。子供ながらにその笑顔が、嘘だとわかった。
「私が頑張ったんだから、頑張りなよう……」
 その重症具合に、私は不安になる。
「どうかな、重症だからなあ」
「ねえ、またカマキリの卵が孵ってたよ」
 だからまた、中庭で遊ぼうよ、そう言いたかった。
「ああ、じゃあまたカマキリのオスが食べられちゃったんだね」
「その話、いやだ怖いっ」
 彼がけらけら笑う。
「……ああ、ねえ。君、良い匂いするようになったよ」
 不意に言われ、どきっとした。しかし今思えば、そういう意味ではなかったんだと思う。
 だって彼からは、
「ありがとう……あの、私、貴方の薬の匂い嫌いじゃないよ」
「なにそれ」
 彼がまた、笑った。
 そのとき、彼からしたのは薬じゃない、黒くて遠い、嫌な匂い。


 この会話を最後に二日後、彼は息を引き取った。

 


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〈 寝癖 〉

〈 重症 〉

〈 匂い 〉