kurayami.

暗黒という闇の淵から

ぎやく

 左腕の付け根が熱を帯びたように痛くなり、俺は鎮痛剤を探した。机の上で山になっていた原稿のなり損ないを、片手で払い除ける。ひらりと一枚一枚、原稿用紙が舞って床に落ちていく。真っ暗な窓の右上、時計を見れば、短針と長針が“2”を指していた。
 最悪なことに、錠剤は机の上にはなかった。痛みと見つからないことへの苛立ちを抑えるように、俺はテレビの電源を無意識に点けていた。気の利かないテレビがニュース番組を流し始める。まだ若いニュースキャスターが、街中で火事が起こったことを話していた。
 台所に入れば……ああ、忘れていた。作りかけのハンバーグが、ボウルに入って置かれている。鎮痛剤を見つけた後で、ラップをかけなければ。そういえばまだ晩飯を食べていない。ハンバーグは、今の気分ではないかもしれない。そう考えている内に左腕がまた痛みを訴え、俺を歩かせる。
 ふらふらと廊下を進み、洗面所へと入った。鏡の中にまるで、ゾンビのように顔が真っ青な俺が映る。そんな俺の視線が、斜め下、洗面台に鎮痛剤の小瓶を見つけた。
 白い錠剤を三粒、水で流し込む。しかし、すぐには痛みは引かない。飲むから効くんだと言い聞かせ、左腕を何度も撫でて、ベッドに腰を掛ける。息を整えているうちに次第に痛みが引いていく……気がした。
 こうして薬を飲んだときにいつも思うのは、本当に薬が俺を治しているのか。本当は、俺が治しているんじゃないか、ということだ。
 所謂、思い込みの力。
 馬鹿ほど効くというが、俺は俺が何処まで馬鹿なのかだなんて、理解出来ていない。それは誰しもがそうだろう。どの見方をして馬鹿と見るかなんて、決まっていない。
 薬を飲んだから、治った。
 セックスをした気がするから、虚を孕んだ。
 お前が「君は誰よりも元気だ」って言うんだから、きっと俺は大丈夫なんだろう。
 だとか。
 人は自身の内側にある限り、嘘を真実に、真実を嘘に変えれる力がある。それは、制御出来る範囲を超えている。
 テレビのニュースが、街中の火事を報道し続けている。電車が脱線し、街に突っ込んだのが原因らしい。
 ……そう、例えば、例えばだ。俺は本当は、この夜、この家にいなくて。事故でひっくり返った電車の中で、屍と息をする肉塊に埋もれていて。左腕が鉄に挟まって千切れて無くなっていて。ポケットに入ってた白いラムネを、鎮痛剤と偽って、飲んでいたらとしたら。
 ああ、意味のない、例えばの話だ。
 仕事の続きをしなければと机に目を向けると、原稿のなり損ないが山を作っていた。時刻は二時五分になろうとしている。
 左腕が、熱を帯びたように、痛み始めた。

 

 

 


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