「はやく、はやく」
セーラー服を身に包み、ガスマスクを付けた細身の少女が、同じようにガスマスクに学ラン姿の少年を呼んだ。
微塵が飛ぶ灰色の空気の中、黒い水が緩やかに流れる川沿い、橋を潜った向こう側。
枯れた木だけが存在する、開けた河原。そこに、モノクロ世界を飾る青紫の花の群生があった。
オダマキ。
「本当に、本当にまだあったのか」
少年が、くぐもった声で言った。
「ね。暑さにも寒さにも比較的強くて、初心者にも育てやすいって」
少女がしゃがんで、オダマキを指で揺らす。
「でもまさか、大気汚染にも強いだなんて、ね」
続けて少女が言った。
「一輪、持って帰るか?」
「ふふ、まさか。せっかくここに慣れたのに、この子たちが可哀想だよ」
ガスマスクの下で、少女は笑みを込めた声を出した。
「あーあー。欲張っても、良いことなんてないものね」
少女は立ち上がり、川の淵に立った。
「危ないぞ」
「それ以上に、人間はもっと危ないの」
少年に返した言葉は、二人を取り囲む汚れた空気への答え。
「欲張って、欲張って、刺激を求め過ぎたもの」
少女は川の向こう側を見つめて呟いた。少年はその言葉を聞いて、少女に近づく。
「……だからと言って、俺らは欲望には逆らえない」
少年は、少女の横に並んだ。
「そうだね、その通り。人間は、何処までいってもスパイスからは逃れられない。スパイスが大好きだから」
少女は少年の腕に抱き着く。ガスマスクの硬い食感が、少年の腕に伝わった。
「それは、私も。貴方も」
少女が後ろに手を回し、ガスマスクを止めていた金具を触る。
「お、おい」
少年が動揺するのをよそに、少女がガスマスクを外した。
肩までの黒髪が、流れ出てくる。小さな顔に、色白な肌と少し紅色の頬。それらは少女のセーラー服と、在るべき姿として調和していた。
少女の切れ長な目が、少年を見つめる。
「こうしてマスクを外さないと、私は本当の声を聞いてもらえないし、貴方に顔を見せれない。貴方と、いつものように河原でキスが出来ないの」
少女の遠回しな我儘に、少年は少し呆れたフリをして、小さく笑った。
「結局、俺らはこうして、欲望に飼い殺されるしかないのか」
少年がガスマスクを外し、少女に顔を見せる。
「そうね、でも、滅ぶ過程で悔いの無いよう進むしかないんだよ、きっと」
少女が、自分より背の高い少年に、背伸びして手に肩を回す。
「ねえ、オダマキの花言葉、知ってる?」
汚染された世界の中で、オダマキの群生の中。
少年少女のガスマスクが、愚かにも薄汚れて、塵に塗れていた。
nina_three_word.
〈 オダマキ 〉
〈 スパイス 〉
〈 大気汚染 〉