kurayami.

暗黒という闇の淵から

ブラックフェイス

 あの日……あの昼の陽射しと、少女ながらに絶望したこたを、今でもよく覚えています。
 それはもう、だいぶ昔のことでございます。私が幼い頃から、仲良くしくれていたお兄さんがいました。ご近所付き合いだったのかもしれませんが、そうだとしても、とても優しい人だったのです。少女だった私に合わせて、お手玉やあやとり、花摘みをして一緒に遊んでくれました。歳の差は六つ程離れていましたが、それでも彼は私をレディとして扱ってくれたものです。
 他人のことを第一に考え、行動する、優しい人。
 彼とは、まるで兄と妹のような関係でしたが、私はイケナイことに、恋をしていました。幼いながらも独占したいと考え、そして密かに、彼の周りにいるお姉さん達に嫉妬心を寄せて。しかし、それを露わにすれば、彼が優しい笑顔を貼り付けたまま、困るのが目に見えていたので、この気持ちを伝えることはありませんでした。
 最後の、最後まで。
 私が十四になった、夏の日のことです。私はいつものように学校の帰り道、彼の家に寄りました。その日は返ってきた試験結果がとても良いもので、彼に褒めてもらう魂胆だったのですが、敷地に入れば何やら家の中が騒がしい。私は縁側の方に周りました。中では、彼の祖母が泣き崩れていました。
「どうしたのですか」
 縁側から入り私は、彼に尋ねました。
 彼は黙って、いつもの優しい笑顔を無しに、私に紙切れを見せたのです。
 赤紙。それは、戦争への召集令状でした。
 私はとてもそんな、哀しく残酷な事実を想像しておらず、彼の祖母と同じように、その場に泣き崩れました。この時代、戦争に行き、帰ってくる人はほとんどいなかったのです。
 私の密かな恋に、当然、死の概念が付属されました。
 それからというもの、私は嫉妬心も独占欲も忘れ、ただひたすら毎晩枕を濡らし、確かに「愛しい」と、想い続けたのです。
 そして、出発の日。夏休みの半ば、八月中旬。
 私たちは駅まで、彼の出発を見届けに来ていました。汽車が来るまでの間、彼の家族はずっと涙を流し、彼を励ましていました。しかし私はというと、枯れ果てたように、渇いた目をしていました。今にして思えば、恐らく現実を受け入れ、泣くのもどうしようもないと、諦めていたのでしょう。
 彼が家族に挨拶をする前に、私に別れを告げに来ました。
 その顔は、空高々と上がっていた太陽の陽射しで逆光となり、よく見えませんでした。その黒く塗り潰された顔は、この先何度も思い出し、夢に見ることになります。
 私の中に現れる、彼の黒い顔はまるで〈無言の死〉そのもので、思い出の中で笑う彼の顔とはまるで、別人。
 他人を第一に考える彼が、その時は自身の死を酷く考えていたのです。
 私は、そんな彼を見て、ぞくぞくと背筋を震わせました。
「元気でな」
 私の想いに気付いていたのかわかりませんが、彼は一言、私にそう言いました。
 汽笛が鳴り、汽車が動き始めます。
 何故かその瞬間、彼にあった可能性の未来を考え、とても、不憫に思ったのです。彼は私の若い身体を抱くことだって出来たのに、出来ないまま。快楽も欲も叶えられず、紙に従い死に向かう彼は、本当に不憫。
 私は汽笛を恨みました。紙を。戦を恨みました。彼の背を押す、全てを。
 不憫なのは、私も一緒だと、気付いたから。

 

 

 


nina_three_word.

〈 逆光 〉

〈 汽笛 〉

〈 不憫 〉