kurayami.

暗黒という闇の淵から

赤頭巾とフェンリル

「食べてもいい、ですか」
 両手を上げ動物が威嚇をするようなポーズで、男は女に向かって言った。
 女は数秒だけ男の顔を見て、何事もなかったかのように、読んでいた雑誌に視線を戻す。
 恋人たちは給料日前のような日曜日を、いつものように自宅で過ごしていた。
「ちなみに、何の物真似でしょう?」
 数ページに渡る〈夏のデートスポット特集〉を飛ばし、占いのページを見ながら女が聞く。
「……狼、ですね」
 自信無さそうに、男が答える。
「ああ……なるほど。ふむ、狼ですか」
 女は男の答えが面白かったらしく、雑誌を閉じた。
「確かに貴方は狼かもしれませんね」
「えっ、どんなところが、ですか」
 いつも素っ気ない女が珍しく褒めた気がして、男は期待する。
 狼と言えば、美しく、気高い。
「例えば、その、私に気に入られたくて、貴方が殺した私の大好きだった婚約者の物真似をして、眼鏡を掛けたり、チェックのシャツを着て、敬語で話すとことか、赤頭巾の狼みたいですよ」
「まあ、確かに」
 男は女の言った事実に納得した。
「ああ、それと、フェンリルをご存知ですか?」
「知らないなあ、です」
 女は男が知らないことを、知っていたかのように続けて話す。
北欧神話に登場する巨大な狼の化物です。別名、地を揺らすモノ」
「かっこよさそう」
「説明を省くと、食べすぎて育って、厄災をもたらす存在となります」
 女は男をじとりと見ながら、続ける。
「まさに貴方は、私にとっての厄災でした」
 堂々と言い切った女に、男は惚れ惚れとする。
 殺してでも奪って良かった。そう男は思った。
「なんだかすいません」
 男はニヤニヤとした表情のまま謝った。
「もう過ぎたことなんで、仕方がないんです。あっ、そういえば赤頭巾の狼も、フェンリルも酷い最期を迎えていますね。貴方もきっと、ろくな死に方をしませんよ」
「それは、覚悟の上ですよ。じゃないと、人なんて殺せないです」
 男の反省のない言葉に、女は溜め息をついて、マグカップを手に取った。中ではホットココアが静かに揺らめいている。
「そういう貴女は、鷹のようです」
「鷹ですか。翼があっても私は使わないと思います。というか、人間が良いです」
 男は褒めたつもりだったが、それは全く伝わらなかった。
「翼、あったら便利じゃないですか」
「貴女はもし、翼があったらどうします?」
 女は一つ予想を立てて、男に聞く。
「飛べるとこまで、一番高いところまで飛んでいきますね」
 男の答えに女は再び溜め息をついた。
 予想通りの返答。まるで蝋で翼を作った男そのもの。愚かで傲慢。
 そんなことを思いながらも女は、密かにクスっと笑った。
「ところで、私を、なんでしたっけ」
 女はココアを飲みきり、流しへと立った。
「へ? えっと」
「食べたいだの、言ってたじゃないですか」
 男は自分で言った、狼ごっこの始まりを思い出す。
「ご自由にどうぞ」
 女はマグカップを洗いながら、男に振り返りもせず言った。
 男はそんな凛々しい女を見て、自分なんて塵のような存在だなと、女に再び惚れ直す。
 恋人を殺された凛々しい赤頭巾と、食べることを許された塵のフェンリル

 

 

 

nina_three_word.
〈 狼 〉
〈 翼 〉
〈 塵 〉