「おいで」
そう咄嗟に言ってしまったのは、きっと飼い猫たちに日常的に言っていたから、だと思う。
あの時の、私が呼んでしまったときの、貴方の顔を覚えている。
どうしたらいいかわからないのか、恥ずかしそうで、そしてなんだか、悔しそうだった。
「なんだよ」
なんて貴方が言うから、私も意地になって、
「いいから、おいで」
と言って、貴方を無理やり引き寄せる。引き寄せて、腕の中に入れて何をしようかだなんて考えてなくて、したいことをした。
ただ、抱きしめて、背中をぽんぽんと叩いた。
貴方は、何も言わない。
ただ黙って、私の腕の中で息をしていた。
「おいで」
それからというもの、私は口癖のように、貴方を呼んだ。
貴方は何時ものように、しょうがないという顔で、悔しそうな顔をして私の方に寄ってくる。
ただ、私の口の癖ついでに、貴方も呼ばれるのが癖になっていた、みたいだね。
私に抱き寄せられた貴方は、顔を隠しているつもりだろうけど、安心した顔が隙間から見えている。
私はそうやって、貴方が寄り添ってくれるこの時間が、幸福だった。
私の一言で、貴方が言うことを聞いて、安心してくれる。
優越感と、私自身の安心。
口に出すたびに癖になって、やめられなくなった。
口に出すたびに貴方は尻尾を振って、
飼い慣らされていった。
「おいで」
ああ、そのうち、私がそう言わなくても、貴方の方から寄ってくるようになった。
まるで人が変わったかのような貴方。
素直になった貴方。堕落した貴方。
最初のうちは、貴方が素直になったと、喜んでいた。けど、そのうち何か、物足りない気がしてきたの。
この空間には、確かな愛があって、密かな恋があるはずなのに。
ただ一つ、私のはっきりとした意思がそこにないだけで、それだけで物足りないと感じてしまっている。
陽だまりのように幸せそうで、ガムシロップのように甘えたな貴方の顔が、なんだかとても憎い。
とても、つまらない。
「おいで」
貴方は別の女の子に呼ばれて、何処かへ行ってしまったね。
首輪でも付けておけば良かったのかな。中途半端に、甘やかしてしまっていたのかな。
今になって、過去の優越感ある贅沢が、現在の愚かな私を苦しめる。
「おいで」
そう口に出しても、私の腕の中には貴方はいない。
「おいで、おいで……」
ただただ、私の側にいてくれるだけで、来なくても好きだった。
おいで、おいで。どんなに呼んでも、貴方は来てくれない。
おいで。悔しそうだった貴方の顔が、忘れられないから。
nina_three_word.
〈 おいで 〉が〈 口癖 〉の女の子。