「貴方と二人で旅がしたい。いや、しましょう」
僕の方を見ないで、彼女がそう言った。この見晴らしの良い、学校の屋上から。フェンスの外側で。
不気味な青空が、どこまでも広がっていた。敢えて今が何時だとかは言わないし、考えない。
ただ、空が青いだけ。
空が青いだけで、この世界がいつも通り動いているとわかる。
風が吹くだけで、この世界には生きていくだけの空気があると知る。
学校の屋上は、そんな現実を常に教えてくれる。
彼女には重たい病気があって、立ち上がって風に気持ちよく髪を揺らせるのも今だけだとか。
僕には彼女だけが全てで、僕自身には何もないことだとか。
知りたくない現実ばかりだ。
「どこに?」
僕は肯定の意味を込めて、旅の理由も尋ねずに目的の場所を彼女に聞いた。
「遠く。ずっと、ずっと遠くに。誰の手も届かないような、理不尽すら手の届かないような、春の息吹に常に触れているような場所。だけれど、そんな素敵な場所には楽にいけない、険しい旅路になると思う。そんなの私だけじゃ、きっと辿り着けない」
彼女はフェンスを、あみだくじをするように上からなぞって、そう言った。
その目は、何も見ていなかった。その思い描いた幻想郷に囚われ、彼女の心はきっとそこにあるのだろう。
僕は、そんな幻想郷のようなものに、現実逃避しない。
僕が今いるのは、彼女がいる現実で、この屋上だ。
幻想郷なんて、この現実にないのだから。
「だから、愛しい貴方と一緒に行きたい。ううん、貴方以外にいない。こんな風に甘えてお願いできるのは、貴方しか私にいないから」
だけど、例えそれが病に蝕まれた狂人の戯言だとしても、彼女が行きたいと言うのなら僕も喜んで共に行こう。
「うん、もちろんだよ。どこまでも、僕が連れて行ってあげるから、安心して」
そう言って僕は、細くなった彼女の手を取った。そこにあった体温はどこに行ってしまったのだろうと思うほどに、哀しいほどに冷たい手。
もう、うんざりだ。
「貴方なら、そう言ってくれるって信じてた」
彼女はそう言うけど、なら、なぜ泣くのだろう。誰が泣かしているのだろう。
間違いなく悪いのは、この青空と風。僕が認識して認めている、確かな現実だ。
僕らは手を繋いで、抱き締め合い、体重を横に軽くかける。
つかぬ間の旅が始まる。落下していく中で、僕は彼女の息吹を感じて、こんな中でも生きようとしているんだなあと、変に感心して落ち着いた。
ああ、彼女が僕の全てで良かっ 。
nina_three_word.
〈 息吹 〉
〈 アセビ 〉
〈 つかぬ間 〉