kurayami.

暗黒という闇の淵から

約束のメトロポリタン

「いらっしゃいませえ。あっ」
 バーの扉を開くと、懐かしい顔のバーテンダーが僕を招き入れた。
 木曜の夜ということもあってか、客は一人もいない。
「盛り上がってますね」
「まあな! お前みたいなのが来たらそりゃあ、盛り上がるわ!」
 僕の冷やかしを余裕そうに、バーテンダーが返した。そんないつもと変わらない様子に少し安心する。
 思えば、何か変わったときに限って、ここを訪れていた。
「久しぶりじゃん。何にするよ、バイオレットフィズ?」
 奥の席に着いた僕に、バーテンダーが注文を聞く。
「あーいや、ギネスで」
「はいよ。なに、ビール飲めるようになったの?」
「やっとですよ。仕事の付き合いで嫌々飲むようになったんですけど、まあ、ビールって美味しいっすよね」
 僕がそう言ってる間にも、バーテンダーは箸とお通しを用意した。
 今日のお通しは、生ハムとポテトサラダ。
「ビールの味がわかるようになれば一人前だわ。ほら、お待たせ」
 目の前に、ギネスが置かれる。前々からこの黒いビールの存在が気になっていた。
 僕は、一気にギネスを喉に通す。
「あ、美味しい」
「だろ?」
 思ってたよりは辛くはない、コクという言葉で片付けるのはあまり好きじゃないけど、普通のより濃く深かった。
「どうよ、元気にしてた?」
「んーまあまあです。仕事も慣れましたし」
 本当は、元気なんかじゃないけど。
「おお、そりゃあ良かった。ほら、前にお前の隣で飲んでたおじさんいたろ? あの人が来るたびに、お前の心配しててさあ」
「ああ、あの人ですか……あの人となに話したっけかな。あっ、自称この街の魔女はまだ来てます?」
 いつか前に、このバーで出会った噛み癖のあるお姉さん。
「たまーに、ほんと、たまにだけど来るよ。タイプだったりすんの? てか、あの連れてきた彼女は?」
「あー……あの子は、その」
 先週、つい先週、別れた。
 まだ一週間しか経ってないのか。
「ああ、まじかあ。残念だったねえ、すごく可愛がってたろ」
「ええ、ほんと良い子だっただけに……」
 いや、とんでもない悪女だった。
 僕はあの女に、最後の最後まで、心を弄ばれたんだ。
「まあ、すぐ良い子が見つかるさ。飲みな飲みな」
 気付けば、僕のグラスは空になっていた。
 ああ、そうだ、飲まなければ。繰り返し飲んで、忘れないと。
「ですね、飲みましょう。えっと、何にしようかな」
「前来た時、メトロポリタン気になってなかった?」
 メトロ、ポリタン。

 ーーねえ、今度バー行ったときは、一緒にメトロポリタンを頼みましょう。貴方きっと、気にいると思うわ。

「……あ、いや、バイオレットフィズで」
「結局いつものかーい」
 バーテンダーが戯けた様子で言って、準備を始める。
 忘れるためにメトロポリタンを避けたけど、何処か逃げたみたいで気味が悪かった。
 ……いや、そうだ、結局これは、アルコールに頼った現実逃避に過ぎない。
 逃避で結構だ。それならば、繰り返し飲んでアルコール度数を高めていくだけだ。
 酔い狂って、あの女を忘れるために。

 

 

 

 

 

 

nina_three_word.

〈 アルコール度数 〉
〈 繰り返し 〉