前々から気になってはいた。しかし、入る理由もなかった。
だから、こうして入るのは、同僚の悪ノリだとかそういう理由付けが無ければ、今後ずっとなかっただろう。
新宿、歌舞伎町、その奥。呑み会と水商売のキャッチの賑わいから離れ、静まり返ったラブホ街の中に、その〈相席屋〉はあった。
「何名様でしょうか」
中に入ると、金髪のウェイター風のスタッフが俺ら二人を出迎える。
「二人……なんですけど、こういう相席居酒屋みたいのは、僕ら初めてで……」
だから説明しろよ、とでも言わんばかりの同僚の遠回しな言葉に、俺は少しイラついた。
「ああ、大丈夫ですよ。案内しますね」
金髪のウェイターが慣れたように俺ら二人を席へと案内し、そして当たり前のように、俺らは別々に離れ離れに席に座ることとなった。こうなってしまえば、結局、一人で来るのと変わりないじゃないか。
同僚が半ば助けを求める目で遠くの席から俺を見ていたが、すぐに、隣に座った女に夢中になり始めた。
「隣、よろしいかしら」
声に振り向くと、そこにはアジア系美人と言えるような、少し濃い、整った顔の女性が立っていた。
「あ、あ。はい、どうぞ」
聞いていた話と違ったということもあり、俺は少しどもる。
安い酒に集るような女が来る場所で、美人がくるような店ではない。そう俺は聞いていたぞ。こんな美人と飲めるのなら四千円も安いじゃないか。
艶のある長い黒髪。睫毛は長く、目は少しつり目。気が強そうだが、こういう女に限って夜は熱いもんだ。
だが、しかし。なんだ。どこか、懐かしいような。親近感がある、ような。
「あの、何処かでお会いしましたっけ」
俺はいつの間にか、古い手口のナンパとも取れるような、安い言葉を発していた。
「ふふ、やっぱり、覚えていないのね」
女性が俺の隣に座って、小さく笑った。それにつられて俺も「はは」と笑う。
「もう貴方にとっては、ずっと過去のことになってしまったのかしら。少しだけ、悲しいわ」
そう言って女性が、机に置かれた安っぽいウーロンハイに口を付けた。俺と乾杯もしないまま。
「……え、俺ら、やっぱり、何処かで」
「いいのよ。私は思い出して欲しいわけじゃない。だけど、貴方と再び会って、話したかった」
女性が、俺の頭に手を乗せ、軽く撫でた。そうやって俺を撫でる女性は、まるで姉のような、母のような。
「以前は横浜。今回は新宿。良かったじゃない、貴方、徐々に近付いてきてるわ」
横浜、横浜? 俺は、横浜で飲んだことがあっただろうか。
いや、そもそも、この人は一体。近付くってなんだ。
「あの、俺、本当に」
「気にしないで。慣れてるからいいの。またこうして、相席の中で会えただけでも、奇跡なんだから」
そう言って女性が、ウーロンハイを飲み干す。
「ああ、そろそろ時間。……ねえ、くれぐれも、もう、横浜に戻っちゃだめよ。貴方すぐに潰れちゃうんだから、今度は帰れなくなっちゃうわ」
女性の言葉に、さっきから幾つもの疑問が生じる。
何から聞けば良いか。そんなことを迷っているうちに、女性はいつの間にか消えていた。
奥の離れた席から同僚が「相席なんてロクなことがない」と、怒りながら歩いてくる。
俺はというと、ぬるくなったウーロンハイに、一口も付けていなかった。
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〈 相席屋 〉