kurayami.

暗黒という闇の淵から

グランジという名の男

 煙草の灰と薬物のパッケージに塗れた街に、今日も朝陽が登り売人とホームレスたちの路地裏に影を落とす。
 薄汚い街は一つの〈つまらない最高な話題〉で持ちきりだった。
「おい、聞いたか。あのグランジが死んだらしいぞ」

 “グランジ”。その一人きりの男の名前を知らない者は、この街にいない。

「ついに死んだのかよ。こんな日は何に乾杯すりゃいんだ?」
「今日は“あんな馬鹿でも死ぬんだ記念日”だぜ!」
「街のエースだとかなんとか言われてたのはなんだったんだ?」
「おい小僧、アルコールならなんでも良い、さっさと盗んで来いぶっ殺すぞ」
 ギャングの片棒を担ぐ大人たちが、路上で酒を片手に声を張っている。

 この世で一度きりの一人の死に、街は活気付いていく。

グランジさんが死んだ? ああ、神様が散髪に出掛けるぐらい面白いジョークだぜ。なあ、嘘だろ?」
「とりあえず家に行って金目のモノを貰おう」
「聞いて聞いて。私、グランジさんがブツ隠してる場所知ってるよ! 靴箱の中!」
「俺ぇ、脳天がアルタ前までぶっトべるるヤツ、まだ貰ってないよ」
 ずっと懐いていた舎弟の少年少女たちが、秘密基地の中で顔を見合わせて話している。

 男が残した痕跡は、人々の喜怒哀楽を揺れ動かしていた。

「あたし、あの男にン十万って貸してたのよ! この怒りで誰を殴ればいいのよ」
「ああ、グランジ。頭が悪い男だったけど、下半身だけは最高だったグランジ!」
「良い気味よ。死んで当然、来世で家畜にでもなればいい」
「本当に馬鹿な男ねえ。私との約束はどうしたのかしら」
 割れた長い舌を持つ取り巻きの女たちが、嘆き、酒場のカウンター席でクスクスと笑っている。

 死んでもなお街を騒がすほどに、男はこの街の主役で、象徴だった。

「まともじゃなかった」
 男の友人たちが集い、ビルの屋上で葬式という名のパーティが開かれていた。
「クズで、すぐに仲間を売ろうとしたよな」
「女ったらしで、ドラックセックス中毒。アイツに壊された人間を何人も見てきたさ」
「まあ、だけど、不思議な事に壊されて不幸そうなヤツはいなかった」
 酒を片手に男について語り合う友人たち。
「困った事にアイツがすることは、何もかもが楽しかったんだよな」
「そりゃそうさ。飛び越えればまともでいられるハードルを、全部蹴り飛ばして進むようなヤツだぜ?」
「確かにな。この街のエースってだけあってまともじゃなかった」
 場にいた全員が爆笑する。寂しさを表に出さないようにと、隠しながら。

 男の〈つまらない最高な話題〉はその次の夜も、その先も、語り続かれていく。幾晩も超えて。
 イカれたエースが、再び現れるその日まで。
 

 

 

 

 

 

 
nina_three_word.

グランジ
〈 エース 〉
〈 ハードル 〉