kurayami.

暗黒という闇の淵から

リ、ハネムーン

 煮ていた牛丼の鍋の火を止めて耳を澄ませると、外から細かい雨粒の音が聞こえた。いや、そんなまさかと思ってベランダに出ると、洗濯物が干されている奥の景色で、細い水飛沫の線が降り注いでいる。天気予報じゃ夕方からだって聞いていたのに、裏切られた気分だわ。そう思いながら私は洗濯物を畳んで中に入れていく。
 最後の洗濯物を手に中へ戻ろうとしたとき、ベランダで育てているトマトの葉から葉へと、雨雫が垂れているのが見えた。
 ああ、まだ収穫は出来そうにないわね。
 台所に立つと、夕飯にする予定の牛丼の火が、止められたままだって気付いた。あの人の大好物。まだ言ってないんだけれど、喜んでくれるかしら。食べても何も言わないあの人の顔が思い浮かぶ。良いところでもあって、悪いところでもあるのだけど、そんなとこが好きだった。
 酷く不器用で、それでいて欲には素直。でも、私があの人と結婚した決め手は、何よりも誰よりも、だらしがないところね。思わず世話をしたくなってしまうの。スーツをハンガーに掛けることもできないし、嘘をつくのも下手くそ。私が居なくなったら、慌てて落ち着いて、ちゃんと生活も出来なさそうね。想像したら可愛いわ。
 そう、あの人には私がいないと。
 濡れてしまった洗濯物は洗濯機へ。それ以外の乾いた洗濯物を持って居間へと入ると、奥にいたあの人と目が合った。あらやだ、貴方。牛丼の匂いに釣られて出てきたの。まだ夕飯には早いですよ。ふふ。
 あの人が押入れから上半身を垂らして、逆さまにこちらを見ている。
 混濁した目で。半開きの口で。
 不器用過ぎなければ今日の牛丼だって、美味しく食べれたのかもしれないのに。本当、損な性格よね。だけど安心して。ご飯食べるときは側にいてあげるから。せめて匂いだけでも、死体に嗅覚があるかわからないけれど。
 ねえ、あんなにへそくり貯めて、どこへ行くつもりだったのかしら。
 私から逃げて遠くに行くつもりだったの。それとも浮気相手がいたの? どうだったの。死体に口なしだなんて言うけれど、こんなとき不便ね。でも結果的に、貴方はもう悪いこと出来ないんだから、良いのかもしれないけれど。
 あの人はどんな気持ちなのかと顔をよくよく見ると、開いた口の中が乾燥している。ふふ、私も同じ気持ち。一緒にいれて嬉しいわ。
 これまでに足りなかった結婚生活の幸福を今度こそ実らせて、収穫し直しましょう。
 だから、これからも、どうぞよしなに、お願いします。

 

 

 

 

 

 


nina_three_word.

〈 よしなに 〉
〈 垂れる 〉
〈 へそくり 〉