kurayami.

暗黒という闇の淵から

造勝者マリオネット

 幼き日から俺はずっと負け知らずだった。
 その強さを幸福と捉えるかは、勝利に酔えるかどうか。
 学生時代。特別勉強が出来たわけではなかった。運動能力も平均下に落ちる程でもなく、何が得意かと言えば走ることが得意なぐらい。だからまず、点数が悪くて落胆するということはなかったが、満点もそんな多いわけではなかった。しかし何故か、勝負事には強かったんだ。誰かと競うとき、勝利と敗北が存在するとき、俺は絶対に負けやしない。スポーツやテストの点数勝負、殴り合い喧嘩も。最後には必ず勝利を掴み取って帰ってきたんだ。ただ大抵の場合は相手の調子が悪いようにも見えた。もちろん俺だって負けたくはないから手は抜かない。
 いつだって、気付けば勝利していた。
 まるで誰かの〈見えざる手〉がそこにあるかのように。
 恐ろしいほどに連勝。運絡みの勝負事にも勝ち続けて、そのうち周りから「神に愛されている」だなんて言われるようになった。ああ、俺からしてみれば少し不気味だったんだ。あまりにも不自然な勝利だって過去にはあったから。もし誰かが好き好んで俺を勝たせているのだとしたら、これには何の意味がある。幸運なんかじゃない。神様だってそれほど暇じゃない。遠い目で自身を見れば、そこに立つのは明らかな人造的な勝者だ。誰かの〈見えざる手〉は俺に何を求むのか。
 『負け知らずの男の物語』なんてモノはたくさんあって、大抵は続く勝利に麻痺し、退屈に堕ちてしまうオチが殆どだろう。自分より強い者を探す、男は「敗北を知りたい」だなんて言い始める。そんな物語の登場人物たちを見る度に傲慢だなと思い、とても羨ましくも思った。勝利を当たり前だと思える、その立派な精神を。人間だからというのもあるが、俺は勝つことが好きだ。自己肯定を深めてくれるし、傷はつかない。むしろ今までの異常な連勝があったからこそ、他人よりも勝つことへの快楽に深く嵌っている思える。不気味であっても負け知らずでいさせてくれる〈見えざる手〉には、本当に感謝しているんだ。
 だからさ。このままずっと俺を、負かさないままでいさせてくれ。
 勝敗を動かす〈見えざる手〉はきっと、何かしらの〈意思〉だ。なら、いつか飽きて俺を捨てるときが来るかもしれない。突然俺を捨てて、絶対勝利を剥奪していく。今はその突然が恐怖でしかなくて、惨めにも震えているんだ。
 勝利に酔うことすらできない。
 まだ見ぬ敗北の苦渋を、俺は恐れて生きている。

 

 

 

 

 

 

 

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〈 見えざる手 〉