kurayami.

暗黒という闇の淵から

光道

 彼と私の美術室は、休日という理由以上に二人きりで特別な空間でした。
 美術室の外、廊下にはいつもの賑やかさはなくて、静かで、たまにグラウンドから陸上部の声が聞こえるか聞こえないか。外の光がカーテンを通して美術室を照らしてる。それが白くてとっても綺麗で、神々しい。
 イーゼルとキャンバスに向き合う彼は、もっと綺麗です。
 背筋を真っ直ぐ伸ばしてずっと絵を睨んでいます。さっきからずっと筆が空中に止まって絵の具が乾燥してます。キャンバスには砂浜と月明かりに照らされた海が下書きで描かれていました。なにを考えているのでしょう。気になることはたくさん。いっぱい話したいことはあるけれど、邪魔をしてはいけないので私は我慢をします。彼に嫌われたくないから、良い子だと思われたいから。
 改めて濃い赤を筆に取った彼は、キャンバスの中の海に色を足していきます。夕方の海なのかな。ああ、彼が溜め息をつけば、話しかけるタイミングなのに。
 気になること。その絵がどんな絵かはもちろん、特に「今なにを考えているの」って聞きたかったのですが、どれもこれも聞かないとわからないことなので、私だけで考えれることを考えます。なにかしてあげれることはないかな。ジュースとか……ああこの人はいらないって言いそう。この後はどうするんだろう、すぐ帰っちゃうのかな。
 あ、これって、デートなのかな。
 今日という休日。二人で居たいと私が願って、どこでもいいからって私が言ったら、彼に美術室に連れられたのです。休日二人ってのはデートっぽい。だけど彼に「これってデート?」って聞けば「そう思うならそうなんじゃない?」って返されるのはわかっています。デートって同意なんでしょうか。彼の分も私が強く「デートだ」って想えば、二人分になるのでしょうか。とっても寂しいけれど、それで解決するのなら私は強く強く「デートだ」って想います。
 彼の、溜め息。
「疲れちゃった?」
 私は自然に、飢えていたのがバレないように、彼に話しかけました。
「ううん、どう描こうか悩んじゃって」
 まだ少し高い彼の声。いや、きっと、彼はずっとこの声なんじゃないかって思うときがある。
「ねえ、どんな絵を描いてるの?」
「どんな絵に見える?」
 真面目な顔をする彼に、私は一瞬戸惑って、悩まず思ったままを伝えます。
 描き途中の絵は、赤い海の上に銀色の月が浮かんで、一本の道みたいに光を照らしていて。
「夕方の海と、力強い満月の絵。切ない」
「ふふ」
 私の答えに、彼はどこか満足そうに笑いました。どうやら彼の仕掛けに、私は引っかかってしまったようで。
「答え、教えて?」
「ん。これはね」
 彼がイーゼルの縁を、滑らかになぞります。
「血の海なんだ。醜悪に塗れたこの世界そのモノ」
 何かを確認するようにイーゼルをなぞる指から、私は目を離せず、彼の言葉からも耳を離せません。
「僕たちはいつか、安全地帯である〈今〉という砂浜からこの血の海に入らないといけない。汚れて、世界の血にならないといけない時がどうしても来るんだ」
「それは、絶対?」
「きっと絶対……だけどね、一つぐらい〈甘ったるい光〉があって、導いてくれたら良いなって。これは、そんな絵なんだ」
 暗い声でそう言った彼が、イーゼルから指を離しました。
 私には、彼の言ってることが全然わかりません。
 実のところ、彼の暗い部分を理解出来ていません。理解しません。けれど、彼が言う世界の血になるのは、みんなと同じになるのは、嫌だなあと思いました。
 だから私は、彼にとっての〈甘ったるい光〉でありたいと、そう思うのでした。




nina_three_word.
〈 デート 〉
イーゼル
〈 モーンガータ 〉