kurayami.

暗黒という闇の淵から

頭蓋骨を叩く音、三日目

 八王子の山奥。暖炉の火が踊る煉瓦の部屋。
 色白で痩せ細った少年、骨くんが本棚の上段に手を伸ばしていた。
 そこへ、後ろに立った黒髪うなじ美人の星さんが僅かな差で本を掴み、骨くんへ渡す。
「……ありがとうございます」
 不服そうに、骨くんが本を受け取って静かに礼を言った。
「私、腕が長めなんだ」
「ふうん。じゃあ、じゃあ、骨のは短めってことで。星さんは立派な〈上肢〉をお持ちみたいで!」
「ええ、怒らないでよう。えっと、その、なに〈ジョウシ〉って」
 拗ねた骨くんを前にして、あまりにも自然過ぎる流れで話は勉強パートへと入っていく。
 今日は骨くんの話。
「ああ、腕の骨のことです。いや腕だけじゃなくて、あのニーナの肩甲骨さんや、鎖骨含めて〈上肢〉と呼びます。だから真っ直ぐ立った人を想像したとき、上肢は片仮名のコの字みたいな……これ、伝わりますか? 〈上肢〉って腕周りなのに意外と範囲が多いって話なんですけど……面白いですか」
「大丈夫だよ。もっと聞かせて、他の骨くんの話」
「今日ずーっと、こんな調子ですよ。全体の骨を六個に大分した〈上肢〉〈下肢〉〈脊椎〉〈骨盤〉〈胸郭〉〈頭蓋骨〉……このそれぞれ簡単に説明する回ですよ」
「いいよ。話したいんでしょ?」
 星さんの自信ある声に、不安そうな骨くんの顔が若干和らぐ。
 日中の暖かさが残っているのか、まるで寒くない日だった。
「じゃあ、お言葉に甘えて続けます、ね。えっと……〈上肢〉の特徴として、よく回ります」
「回る……ああ、腕をぐるぐる?」
「そうです、ぐるぐるです。手のひらでお餅だって焼けちゃいますよね(伝わりますか?)。筋肉があるとは言え、こんなに自由度が高いのは腕周りぐらいでしょう」
「ほえー。じゃあ、次に自由度が高いのは?」
 骨くんが少し考えて、星さんの言葉に答える。
「次って言うぐらいなので対になるような〈下肢(かし)〉……と言いたいところですが、個人的には〈胸郭(きょうかく)〉を推したいです」
「キョウ……って言うと胸?」
「はい。〈胸郭〉は二十四本の肋骨と、胸骨という小さな骨で主に構成されています。よく見るあのカゴのような形ですね。何故あんな形をしているかと言うと、中に入っている臓器を守るためです。もうザ守るって形をして硬そうですけど、ちゃんと中に入ってる肺に合わせて動くんですよ」
 肋骨を動かすようなジェスチャーに合わせて、暖炉の火によって作られた影が楽しそうに動いた。
「ええ。でもそっか、じゃないと肺が膨らまないもんね」
「そうなんです。肋骨があれだけ曲がってるのには、内に外に動く意味があったからなのです。そして〈下肢〉。これは言わずがな〈骨盤〉を含んだ脚周りを指すんですけど、なんと言ってもその魅力は大きな骨、大腿骨です。とっても大きいです。たぶん成人男性なら大きな方のリコーダーぐらいはあります」
 楽しそうに語るなあ、と星さんが本棚へ体重をかける。
「体重を支えないといけないですからね。だから太くて立派なんです。さらにさらに、その大腿骨などを受け止める〈骨盤〉には、生殖器や泌尿器などの臓器が意外と詰まってるんですよ。その独特なシルエットはまさに骨的。男女で結構な違いがあるのも特徴的だと……あっ、ああ、なんかすみません。一人勝手に語ってきもいですよね……」
「きもくないよ。楽しそうで私は嬉しい限りだよ」
 落ち着いた低いトーンの声と細い目が骨くんを宥めた。
「ほ、本当ですか」
「ほんと。〈脊椎(せきつい)〉の話も聞かせて」
「んん、じゃあ、話します。話させてください。〈脊椎〉は良いですよ。あのゴツゴツで曲線のある形状はとてもエロスがあって。どの動物も決まって美しい。一度KITTEの展示に行くことをお勧めします」
 インターメディアテクは良い。
「う、うんうん。そういえば、いつも〈脊髄〉と〈脊椎〉を間違えちゃう。音的に」
「濁点がない方が骨! って覚えるぐらいしか手がないですね。この〈脊椎〉の特徴は、連なる二十六の骨がつくる曲線と言ったところでしょうか。骨と骨の間には椎間円板(ついかんえんばん)と呼ばれる軟骨がクッションとして挟まっていて、それであの腰のくねらせを可能としています」
「ふうん。ちょっと蛇っぽいかも」
 星さんが春に浮かぶとても長い星座を思い出してそう言った。
「確かに蛇っぽい。ああ、そして、最後になってしまいましたが〈頭蓋骨(とうがいこつ)(解剖学だとそう読むらしい)(頭良さそう)〉。知っての通り頭の骨ですね」
「骨の象徴とも言うべき形をしてるよね」
「ええ。この〈頭蓋骨〉には脳が入っていて、五感のうち四つ『視覚』『聴覚』『嗅覚』『味覚』の役割。さらに食べたり話したり、表情を作ったりなど普通に重要な役割をしています。まさに身体の門番というか。ただ……」
 骨くんが言いにくそうに、少し言葉に詰まる。
「ただ?」
「とっても複雑な形をしているんです。パズルのように二十三の骨が、不動関節と呼ばれる文字通り動かない関節で縫合されているんです」
「へえ。なんかそんな複雑そうな形してないのに、意外」
「すごいんですよ。もう全然覚えられなくて、たぶんこれから勉強するのも最後になるんですよね〈頭蓋骨〉」
「うんうん。ゆっくり勉強しよう。ああ、骨の部位にはたくさんの役目があるんだねえ」
 星さんが拍手をし、一人骨くん語りが終えた時、窓が風に揺れる音がした。
「……そういえば最近、花ちゃん来てないですね」
「骨くんが本名で呼んだときにキレてたじゃない」
「あれのせいなんですか。冬だからじゃないんですか」
 あんなので拗ねるだなんて女の子はわらかない。と骨くんが口を尖らす。
 すぐそこで、舞う花弁に気付くこともなく。