kurayami.

暗黒という闇の淵から

雨の旅人

 日付が変わり、空が闇に覆われる少し前。子供は眠る時間。
 南に位置する、魔法使いたちが暮らす三角座街。黄色い屋根の下でのこと。
「ほら、はやく眠らないと憂いの王が攫いに来るぞ」
 父親らしき男が、ベッドに腰を掛けた息子に対して、諭すように優しく言った。
「ねえ、今日はお話聞かせてくれないの……?」
 息子が上目遣いで、父親に甘える。
「ふむ、だが、月の勇者の話はもう、聞き飽きたんじゃなかったのか?」
「飽きたあ。でもお話聞かなきゃ寝れないもん」
 無邪気な声で息子は駄々をこねた。
「他の話、他の話か」
 父親は本棚の前に移動し、指で背表紙を追う。
「ここら辺の話なんか、聞いてもつまらないだろうしな……あっ」
 本棚の上。横に寝かされ、埃を被った本を父親は見つけた。
「なあに、それ」
 父親は懐かしそうに、何度も本の表表紙と裏表紙を交互に見る。
「これはな、父さんが若い頃、髪の長い……雨の旅人から買い取ったものなんだ。異世界の作り話が多く載っていてるんだが……懐かしい、こんなところにあったのか」
「そうじゃなくて、どんな話なの、聞かせくれないの!」
 息子は興奮した様子で、ベッドに潜った。そんな息子を見て父親は微笑み、ベッドに腰を掛ける。
 父親が指を鳴らし、部屋の灯りを魔法で消した。灯りは、ベッド脇の灯火だけとなり、父親と息子の空間を橙色に染める。
 興奮する息子の期待に応えるように、父親は本を適当に開き、数ある話の中から一つ目を選んだ。
 父親が、すぅと、息を吸う。
「これは、ムビ病という話だ。人が多く住む国で、ある日突然人々が消えるように外から消えたんだ。なんでそうなったか、それはとある病気が原因だった」
「どんな病気?」
「寝てるように、身体が動かなくなる病気だ」
「治せないの……?」
 息子は見上げるように見て、父親に聞いた。
「誰も治せない。だからどんどん人々は外から消えて家に篭るようになる。お店も空っぽだ」
「空っぽ、困っちゃうね」
「ふむ。しかし病気で動けないんだから、買いに来る人もいないだろうし、誰も困っていないじゃないか?」
 父親の返しに、息子は「なるほど」と頷く。
「そんな中、とある男の恋人が病気にかかり、男は看病を始めるんだ。だが、男もそのうち、病気にかかり、恋人の横で動けなくなってしまう。男はそれを、不幸だと思わなかった。むしろ、病気を理由に、ずっと何もせず一緒にいれる。国の国民たちも、もう働かなくていいと安心し、安らかに眠っていく」
 話はここで終わる。しかし、息子が疑問に満ちた顔をしていたのを見た父親は、最後に少しだけ付け足した。
「もう誰も、苦しい思いをしないで済むのでした。めでたしめでたし」
「あ、わあ……そっか、眠れば安心だもんね。でも、眠ったら何もできないよ?」
 息子は、まだ眠れない様子でそう言った。
「逆に眠れなくなってしまったかな。うーんじゃあ、次は」
 父親はまた、適当にページを開く。
「シンセイ。という話をしよう。これは美しい恋人を持つ男の話だ」
 息子が自分にかかった布団を掛け直した。
「まるで伝説の魔女様のような、天使のような慈愛に満ちた、美しい恋人を男は愛していた。しかし、そんな恵まれた恋人に、男は恐ろしくなった」
「どうしてえ?」
 布団を口元まで寄せて、息子が聞いた。
「男は、自分に自信がなかったんだ。なぜ恋人が自分を愛しているのか、疑問に思い、自分は騙されているんじゃないかと、男は錯覚し始める。そして行き過ぎた錯覚は、恋人を神様だと思うようになった。人だと思わなくなってしまったんだ。男は神様なら殺しても良いと考え、恋人を殺してしまう……」
「怖いね……」
「しかし、殺してもその恐怖は、消えることはなかった。死んでも恋人は表情で男を心配し、その美しさを保っていた。男はどうしようもないと、打つ手を無くし、ただ過ちを犯し、恋人を失ってしまいました」
 そう言って父親は、本を閉じた。
「まあ、何が言いたいかって、愛すること、愛されることに、引き換える物は必要ないってことさ」
 そう言って、父親は息子の頭を撫でた。
「お父さんは、僕のことを愛してる?」
「ああ、愛してるよ。だから殺さないでくれよ」
「殺さないよう」
 息子が、うとうととし始める。
「……その旅人が言っていたよ。人は常に、幾つもの物語を持つ主人公だと。だから、お前も……」
 父親は眠りに落ちた息子の頭を撫で、最後の灯火を、指を鳴らして消した。

 

 

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〈 読み聞かせ 〉る。 

 

 

コンテニュー

 数多の流れ星が降り注ぎ続ける、世界の果て。そこに生まれたのは、世の全てを暗闇に飲み込む憂いの王だった。
 このままでは世界の希望が絶やされてしまう。そのことを恐れたアルピレオ国王は夢の言い伝えにある、最後の希望〈月に魅入られし勇気を灯す者〉を探し出すため、世界各地に聖ウォルフ騎士団を送り込んだ。
 調査の末、太陽の街にて〈呪われし月の聖剣〉を所持する青年を発見した。青年はアルピレオ国王の元へ連れて行かれ世界の心理、そして、憂いの王の暗闇に世界の希望が脅かされていることを、知ることとなる。
 自身が戦うことが使命ならば。戦うことで希望が守れるなら。
 青年は覚悟を決め、聖剣を手に〈勇者〉となった。
 王国を旅立ち、勇者は憂いの王が生み出した七ツのダンジョンをクリアし、世界を暗闇から解放していく。
 その旅の最中、勇者には力強い仲間が出来ていった。
 知恵の賢者。歴史の魔女。創造の錬金術士。
 勇者が旅を続けて来れたのは、この三人がいたからだ。
 誰一人として、欠けてはいけない。
 希望を絶やしてはならない。
 勇者は、常にそう思っていた。
 

 第八ダンジョン、ベガ遺跡。その最下層。
 魔女が臓物を無残に撒き散らし、壁に横たわっていた。
「今まで、そんな、こんなことなかったろ……」
 錬金術士が動揺する。
「今は……悲しんでいる場合じゃないです。彼女が残した最後の魔法が切れる前にヤツに、とどめを」
 勇者が落ち着いた声で、怒りを込めて錬金術士に言った。
「ああ、勇者の言う通りだ。だが、もしヒーラーである彼女を意図的に攻撃したのであれば、こいつは今までのとは違う。気をつけた方が良い」
 賢者が額に汗を滲ませ、後ろに退く。
 三人の前に対峙するのは、陽炎のように揺らめき十五本の巨大な腕を持つ、無数の眼球に覆われたモンスターだった。
「攻撃される前に倒せばいい、だけです」
 勇者が駆け出すのと同時に、斜め前にいた錬金術士がモンスターの巨大な腕に捕まった。
「しまった! 腕だ、腕を攻撃しろ!」
 賢者が叫ぶと同時に弓を構え、勇者が聖剣を振りかざす。
 しかし攻撃は全く通らない。
「嫌だっ、助けてく」
 腕の中で錬金術士が、溶けたチョコレートのように潰れていく。
「う……うわあ、あ」
 勇者の後方で、賢者が覇気のない声で悲鳴をあげ、モンスターに弓矢を連射した。
「冷静に、」
 勇者が振り返る。賢者の上半身は、既にモンスターの魔法消し飛ばされ、その華奢な下半身しか残っていなかった。
 希望を、絶やしてはならない。
 そんなものは、勇者にとって、建前でしかなかった。
 何も考えず、虚無となった〈戦いの使命〉を振りかざし、無謀に勇者は理不尽なモンスターへと立ち向かっていく。
 敗退など、勇者には許されない。
 復活の煌めきが、勇者の死体を包む限り。

 

 

 

 

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〈 敗退 〉
〈 勇者 〉
〈 煌めき 〉

 

狭い青空と黒いシルエット

 この紅煉瓦の街では、よく雨が降る。
 故に、傘を常備する住人が多かった。ああ、雨のことなんて知らずに訪れた旅人がよく、しかめっ面をしている。旅人の癖に情報不足なのが悪い。
 住人たちは傘派と、折りたたみ傘派と大きく二つに別れる。その他の人たちはレインコート派や濡れたい派など、個人的に少し理解の出来ない派閥になる。レインコートは少しガサガサするし、お洒落を楽しめないからあまり好ましくない。ああ、でも、常にレインコートを貫き通している友人がいるんだけれど、そうやって通し続けているのは少しかっこいいと思う。濡れたい派に関しては言わずもがな。
 私は、折りたたみ傘派。
 常備出来るようなお洒落で可愛い傘は、大体高い。あと、荷物としての増え方が尋常じゃない。それに比べて折りたたみ傘はコンパクトだ。カバンの中に潜んで、必要になったときだけ出てきて私を雨から守ってくれる。開いた大きさも、最近じゃ普通の傘と変わらないような大きさのモノもある。
 折りたたみ傘の欠点として、急な雨に対して、すぐに展開出来ないことがあげられる。けど、雨がいつ降るかだなんてことは、私にはお見通しだから大丈夫。
 ほら、たぶん今にも雨が降る。私はお気に入りの暗紅色の折りたたみ傘を、急いで開いた。
 数秒後。変な音がして、私の傘にボトボトと雨が降り注ぎ、すぐに止んだ。
 折りたたみ傘の骨の先、紅い雫が少し溜まって、地面へと落ちた。
 この街の狭い青空と飾られた裸の罪人。私は、それを見上げて歩くのが好きなんだ。
 この街で悪いことをした住人たちは、罪人として〈罪〉という名のウィルスを打ち込まれ、高い位置に吊し上げられる。
 今だって見上げれば、狭い路地の空に、罪人が吊るされている。目に入るだけで男女二人。そのうちの、もう一人の男は膨らみ切って震えている。そろそろ張り裂けそうだ。
 私は、さっき展開していた折りたたみ傘を閉じずに、そのまま進んだ。そして、数秒後、男の罪人が鈍い音を出し、雨を降らし傘に音を立て、再び煉瓦を紅く染めた。
 見上げると、残った女の罪人が涙を流していた。恐怖するような感情があるということは、まだ罪人となって新しいのかもしれない。
 私は空に張り裂けそうな罪人がいないことを確認して、藍色だった折りたたみ傘を畳んで鞄の中に閉まった。
 煉瓦造の建物の狭い青空を見上げれば、罪人と罰のウィルス。恐怖の感情と張り裂ける肉体。ふわふわと浮かぶ、白い雲。
 この紅煉瓦の街は、よく雨が降る。
 

 

 

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〈 見上げる 〉

〈 張り裂ける 〉

〈 折りたたみ傘 〉

 

夢見の藍少年は紅色幻に醒まされる

 朝の光が、白いカーテンを通して部屋を眩く染めている。
 ベッドに小さく腰を掛け、血と、溜め息を吐いたのは、紅色が似合う“少女”姿。
 対して、その足元に座り込み、めそめそと涙を流すのは、藍色が似合う少年。
 世界はまるで、二人以外が眠っている夢みたいに、二人だけが早起きしている幻のように、静かだった。
「あのねえ、男の子なんだから、そんなめそめそ泣かないの」
 “少女”は、少年を宥めるように、口から吐き出される血を拭って、優しく言った。
「だって、だって、君が死んじゃうよ」
 少年は聞き分けの悪い子のように、駄々をこね、涙と鼻水を流している。
「私、毎日のように言っていたでしょう。身体が弱いからいつか必ず、こんな日がくるって。今日が最後の日だと思って、毎日過ごしてって」
「でも、まだ今日は、始まったばっかりなのに……?」
 少年の言葉に“少女”は言い返せない。
「ねえ、病院行こうよ。まだ助かるかもしれない」
 涙を拭った少年が、まっすぐ“少女”の顔を見た。
「そうねえ……じゃあ、私のわがままを聞いてくれたら、行こうかしら」
 困った顔して“少女”は、少年を見つめ返す。
「わがまま?」
「あと、もう少しだけ、貴方に甘えて頼りたい。駄目かしら」
 “少女”がそう言って少年の手を握った。恥ずかしさと嬉しさで、少年が高揚する。
「わか……ったよ。少しだけだからね」
 こうなるともう、少年は言うことを聞くしかない。
「有難う。うん、少しだけ」
 しかし“少女”には、わかっていた。
 もう死神が側に立っていて、一秒先には死ぬかもしれないということ。
 少年を悲しませ、一人にしてしまうことを。
 “少女”は少年を騙してでも、最後に話がしたかった。
「ねえ、貴方のこれからの話を、聞きたいな」
「これから?」
「貴方は、この先どうしたい? 何になりたい?」
 少年は悩まずに、すぐに答える。
「君と。いや、貴女とずっとずっと、一緒にいたい。僕が貴女を、守りたい」
 そう言った少年は、最後に照れ隠しに「です」と付け加え、俯いた。
「……そう」
 “少女”は、この先あり得たと思えるような、少年の未来のヴィジョンが叶えられない事実、少年が叶わない現実に絶望して、それを微笑みで隠した。
 そして、保っていたものが決壊したように“少女”の口から血が大量に吐き出される。
「あっ……ねえ……ほら、もう病院に、ねえ」
 少年が動揺し、血を吐き散らす“少女”の背中に手を回す。
「ねえ、やっぱり、こんなの、夢幻なのよ……」
 幼さを残した不老も、願わくばこのまま続くべきだった不死の日常も。
 “少女”は、幻のようなイレギュラーなの中で、いつの間にか少年と同じように、叶わない夢を追っていた。
「死なないで、ねえ、ねえ。僕は、君に」
 少年が伝えようとした言葉が——死によって——途絶える。
 “少女”の頬には、飛び散った血が涙のように流れていた。
「……僕は、そんな夢と幻のような君に、恋していたんだ」

 


 
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ネオテニー

〈 夢幻 〉

無骨な彼

「あの、あの、ちょっといいですか」
 午後十時の街角。疲れ切った身体が無意識に癒しを求める時間。
 私はたまたま通り掛かったスーツ姿のお兄さんの、その長い指が気になって引き止めた。
 お兄さんは、警戒もせずに振り向く。
「なんでしょう?」
 優しそうで、少し期待混じりの声だった。私はなんて言葉を続けようか、ほんの一瞬だけ迷って、繋げる。
「突然すみません、その、さっきから私、誰かに後を尾けられているみたいで……あの、もし良ければなんですけど、途中まで一緒に歩いてもいいですか……一人じゃとても怖くて」
 お兄さんは私の後ろを見た。そこには暗闇に続く道路が続くだけ。もちろん、誰も私なんか尾けていない。
 ここでお兄さんが、警察に、なんて言えば脈はない。
「途中まで、なら」
 ああ、脈はあった。
「ありがとうございます!」
 私は笑顔で返し、お兄さんの横に、手が触れそうな距離で並ぶ。
 お兄さんの雰囲気が変わった。〈良いこと〉をしようと、チャンスを伺っているのが、手に取るようにわかった。
 私はそんなチャンスを、餌のようにぶら下げてお兄さんを誘う。
 露出したうなじで、花の匂いがする香水で。
「ふふ、お兄さん、手綺麗ですね」


 私のやり方は、いつも刺殺だった。
 もう何度もやったからなんとなくわかる。肋骨の隙間。刺さると致命傷になる位置と角度。
 今、目の前に転がっているお兄さんも。うまくナイフが心臓に届いたからか、もう動かない。気絶してるだけかもしれないけど。
 工事が中止された廃墟の二階。血溜まりの中に転がった、下心に溺れたお兄さんの横に私はしゃがみ込む。その顔は、彼とは違い何処か濃い顔の人だった。
 眉間に皺を寄せ、苦痛な顔をしている。
 私は、そんなお兄さんの冷たい手を、両手で握った。
 恋人のように指を絡ませ、何度も握り直した。
「違う」
 私は捨てるようにお兄さんの手を地に投げた。コンクリートに当たり、篭った鈍い音が耳に入る。
 また、役に立たない骨だった。これで何人目だろう。
 彼のように、触るだけで高揚するような、しなやかな指じゃなかった。
 もう、こんなんじゃ、彼は完成しない。
 肉と心はもうあるのに。殆どの骨は揃えたのに。どうしても、こだわりの手が見つからない。
 同じ背丈の男の人を狙うだけじゃ、ダメなのかな。顔も似てる人が、いや、仕草も似ていた方が良いのかもしれない。うん、きっとそうだ。綺麗な手の持ち主は、きっと仕草も綺麗だ。
 明日からはもう少し、確実な骨が手に入るように行動してみよう。
 そうと決まれば、はやく帰らなくちゃ。
 彼の素が浮かぶ、あのバスタブに。
「ごめんね。今日も骨が、足り無いみたい」


 


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〈 無骨 〉

 

すりる

 昼に付けっ放しの灯のような、何処か、間抜けなヤツ。
 俺がアイツと初めて出会ったのは、高校二年生のクラス替えのとき。アイツ……津田沼優一の席は、竹中である俺の後ろの席だった。
 俺が話好きで津田沼が聞き上手ということもあって、しょっちゅう後ろを向いては津田沼と話をしていた。「なんで?」「どうして?」と聞いてくれるから、話し甲斐があって楽しい。
 しかし、津田沼は毎日のように忘れ物をする。
「ごめん、竹中。現国のノート忘れてきちゃった……前回何処までやったかだけ見せてほしい」
「竹中……ごめん。体育着さ、ジャージだけで良いから借りれたりしないかな。うん、ジャージだけで良いから、ごめんよう」
「竹中あ……本当にごめん。筆入れ忘れちゃったから……カッターとハサミは、あるんだけどさあ」
 筆入れを忘れるとは相当だ。
 そして、クラスの間抜けキャラを独占するかの如く、よく転び、よく言い間違いをし、後ろを不意に振り向けばボーっと口を開けている。
 ぼんやりとした性格。
 悪く言えば「間抜け」で、良く言えば「害の無いやつ」だった。
 そう、俺からしたら、害の無いやつ、だったのだろう。

 学年が上がり、俺と津田沼はまた同じクラス、また前と後ろの席の関係になった。
 いつものように後ろを振り向き、話す日常。その中で、俺はとある話題を出した。
「なあ、隣街で起きた失踪事件、聞いたか?」
 失踪して消えたのが関係のないヤツだったら、大して盛り上がらないのだろう。しかし、消えたのはなんと俺らの高校の男子生徒だったんだ。だからこそ俺は話題に出した。「怖いよな」「何の事件に巻き込まれたんだろうな」そんな会話になると思って。
 しかし、津田沼は、こう言ったんだ。
「死んじゃうだなんて、可哀想だよねえ」
「……おいおい、まだ死んだと決まったわけじゃないだろ」
 俺はすかさず、すぐに笑って返した。津田沼も「ああそうだね確かに」と笑っていた。
 ああ、きっと、ただの言い間違いだろう。いつものように、ぼんやりとした津田沼の口から出た、言い間違いだったのだろう。
 だけど、もし仮に、津田沼のぼんやりが、俺の先入観に、過ぎなかったとしたら?
 言い間違いではなく、口が滑ったのだとしたら。
 津田沼が昼行灯を装って、実は殺人鬼だったとしたら。
 もちろんそんなもの、人に話せば「杞憂だ」と言われるのは目に見えている。俺もどうかしてると思うよ。だけど、黙って疑う分には、利口じゃないか。

 何より、もしそうであれば、純粋に興奮する。

 後ろの席に忍んだ殺意が存在するだなんて考えたら、寒気と興奮が入り混じって風邪を引きそうだ。
 ああ、どうか津田沼が、殺人鬼でありますように。俺は後ろの席の友人に、良からぬ願望を抱いていた。
 

 

 

 

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〈 先入観 〉
〈 昼行灯 〉
 

蔑ろにしないで

 東京都世田谷区、古いマンションの最上階、空き部屋に挟まれたその部屋。
 男が、最後の段ボールを片付けた。新居に積まれていた段ボールの小山は無くなり、男の私物と趣味に溢れた男の城が出来上がっている。
 男はリビングに立ち、周りを見渡した。小物の配置が気に入らなかった男は、位置を再度調整し違和感を無くしていく。最後に、立ち鏡の位置を廊下へと続く扉の横に立て掛け、男は満足した。
 一息ついた男はリビングの椅子に座る。男は何度も自分の新居を見渡し、落ち着かない様子と共に、自然と口角が上がっている。
 一先ず珈琲でも入れようかと立ち上がったとき、男のスマートフォンが鳴った。
 ディスプレイに表示されたのは、男にとって元交際相手だった、女の名前。
「はいはい、もしもし」
『もしもーし、引っ越し終えた? あ、取り込み中?』
 通話越しに、女は陽気な声を発している。
「いや、今ちょうど暇になったところ」
『おおーお疲れ様。いやね、暇だから電話しただけなんだけど。どう? 都会は慣れた?』
「あーいや、まあ、まだ一週間しか経ってないけど、都会はすごい」
 男は携帯を耳に当てながら、煙草とライターを手に持ちベランダへと向かう。
『いいなあ。アンタが行ったからさあ、もうこっちには遊ぶ相手がいないったらなんの』
「なんだよ、寂しいの?」
 ベランダには、夜の静かな空気が広がっていた。男はライターを手で覆い、煙草に火を付ける。
『うるせーうるせー』
 女は過度に笑って言い、男は返答に困り黙った。
『あー……そういえばさ、玄関に財布置く癖、やめときなよ? アーバンライフは物騒だって聞くし』
 女の「私は知っている」と言う態度に男は少し苛つくが、男は黙って会話を続ける。
「んん、まあ。気をつけ」
 ごと。
 そのとき、男は物音で振り返った。
『どうしたの?』
 音は、中からだった。
「ああ、いや、なんでもなかった」
 男は煙草を消し、なんでもないを装って中へと入っていく。
 先程と同じように男がリビングに立ち、周りを見渡すと、玄関へと続く廊下の先、靴箱の上に置いてあった財布が、落ちているのが見えた。
『にしても、本当に羨ましいなあ。ねえ、彼女とか出来た?』
 男は財布を再び、靴箱の上に乗せる。
「ああ、良さそうな人ならいるんだけど」
 通話を続けながら、男はリビングに戻る。
 がたん。
 玄関が、閉まる音。そして、また風が入る音と共に、開く音。
『ええーもういるんだ』
 がたん。がたん。がたん。
 男はすぐに玄関へと駆け寄り、玄関を開く。しかし、そこには、薄暗い廊下が続いているだけ。誰もいない。
 ふと男は、部屋の中から風が流れ込んでいることに気付いた。
 ベランダの戸は、開けっ放しだった。
「なんだ、風か」
『何が?』
 また女が、過度に笑いながら言った。
『まあ、なんでも良いけど、パーティ中だったのに電話掛けてごめんねー』
「パーティ?」
 男が、女の言葉に疑問を持つ。
『なにって、通話越しでもわかるよ。新居パーティかなんかしてるんでしょ? 騒ついてるの、すごく聞こえるし』
 男は、横にあった立ち鏡を静かに見た。その狭い鏡に映るのは、男一人だけ。
『さっきからずっーと。ねえねえって、しこい女の人いるじゃん。はやく構ってあげなって。んじゃその人にも悪いし、そろそろ切るよ、またね』

 

 

 

 

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〈 玄関 〉

アーバンライフ

〈 ないがしろ 〉