前田一郎は残された側の人間だった。
二週間前。大川椿が自殺をした。
大学一年生と、四年生と先輩後輩の関係にあった前田と大川は、共依存関係にあって、恋人関係ではなかった。お互いその距離に、落ち着き、甘え、必要としあう巣に、居心地の良い時間を過ごしていた。過ごしていたつもりだった。
前田に残されたのは、失望と、矛先のない依存性と、
大川が残した、一枚の切り絵。
――先輩。どうして俺を、置いて逝くんですか。
前田は大川の切り絵の技術を尊敬し、大川は前田のドール造形技術に興味を持ったのが始まりだった。ゼミの飲み会を通し、お互いの話を繰り返し、時間と夜を重ね、何度も何度も、深みへ堕ちて行く。
前田は黒縁の眼鏡をかけていた。
大川は黒髪の長髪だった。
お互いが、お互いに影響され、作品にも偏りが出ていた。前田のドールは長髪に。大川の切り絵の人物絵は、眼鏡をかけている。前田が大川に、眼鏡の切り絵は難しくないかと聞いたとき「難しいぐらいがちょうど良い」と、大川が語っていたのを覚えている。
前田は、眼鏡を、大川に取られたままだった。「ぼやけた視界ぐらいが今の君にはちょうど良い」と言われた前田は、いつも通り言ってる意味がわからなくて、いつも通り「先輩ならいいか」なんて考えて。
大学の帰り道、前田は大川の死後も、大川の家に通っていた。合鍵を使い、重たい扉を開くと、大川の匂いが、前田の鼻をつく。廊下の電気をつけ、洗面所に入る。死後二週間経った、大川椿が浴槽に座っている。大学で手に入れたドライアイスを使っても、腐敗は止められず、大川椿の匂いが充満していた。薄く開けた瞳は濁り、髪は前田によって切り取られたいた。
大川を見つけたのが俺で良かったと、前田は死んだ大川を見るたびに思う。
二週間前、前田がいつものように大川の家を訪ねたとき、前田のぼやけた視界に入ったのは、浴槽に浸かり手首を切り、リボンで首を締め、まるで、ラッピングされたように自殺をしていた、大川の死体。
大川の髪を撫でた前田は、いつものように大川の部屋に入り、ドール制作に取り掛かる。大川の髪を使った、大川を模った、ドール。腐り切る前に作ろうと、前田は制作の手を早める。
作業に行き詰まり、ふと、先輩の作業台を見る。
作りかけの、切り絵。それは何か、花の切り絵だった。
切り絵も、死体も、現実も、前田にとってはぼやけたもので、どこか虚ろだった。
いつものように、帰り道、前田は大川の側に座り、髪を撫でる。そのとき、初めて排水溝の方を見たとき、少し血に濡れた眼鏡が落ちているのを見つけた。服で軽く拭い、眼鏡をかける。
鮮明になった視界に、大川の、死んだ大川の顔がうつり、前田はくらつき、浴槽から逃げ、作業部屋に駆け込んだ。
現実が、事実が、後ろから前田を追いかける。
誰もいない作業部屋。死んだ現実。全て、全て、前田の目に鮮明にうつりだす。
たじろぎ、ぶつかった、作業台、目に入った切り絵。その花は。
シキミ。花言葉は、猛毒。
妖怪三題噺「切り絵、リボン、眼鏡」
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大遅刻。