僕が子供のときの話だ。
僕らは公園で遊ぶのが日課だった。特にジャングルジムで遊ぶのが好きで、よく高鬼をして遊んでいた記憶がある。
夕暮れ時になると、解散と迎えの空気に包まれ、カラスが鳴き、どこか哀愁が漂う中。その人はいつの間にか、公園の隅に現れているんだ。
紙芝居の、おじさん。
いつも、ぼろぼろになった麦わら帽子を被って、色褪せた紺色の法被を着ている。髭面のその顔を、僕はよく覚えている。
カンカンと拍子木を叩く音が、橙色の空に響く。お手伝いの、同い年ぐらいの子が、紙芝居が始まることを告げるんだ。僕らはその音を合図に、遊具を離れて吸い寄せられるように集まる。
紙芝居が始まる前に、僕らはおじさんから、水飴を買っていた。
僕らは、紙芝居か、水飴か、どちらに惹かれていたのかわからない。ただ、おじさんの元へ毎日、通っていた。
全ての紙芝居は、おじさんの手作りで、聞いたことのないような物語ばかりだった。
その中でも、特に人気のあった話は『下克上』だ。僕も、みんなもその話が好きで、そのリクエストは特に多かったと思う。
ーーはは、じゃあ。今日はみんなも大好きな下克上の話を、しようか。
しゃがれ声で、今思えば、感情のない声で、おじさんはそう言う。
ーーそれじゃあ、始まるよ。
自転車の荷台に置かれた、小さな窓を開いて、物語は始まる。
ーーむかし、むかし、ある殿さまと、その家来がいました。殿さまは大変家来を気に入っていましたが、家来はというと、いつか殿さまより偉くなろうと、たくらんでいました。
ーーある日のこと、殿さまが屋敷の留守を、家来に任せました。家来はこれは好機だと思い、殿さまの布団に、毒虫を忍ばせることにしました。
紙は捲られ、悪そうに笑う家来の絵になる。しかし誰もそれを笑わず、目を反らすこともせずに、みんな、紙芝居を見ていた。
どこか真っ暗な穴みたいな目をして。それはきっと、僕も。
それから家来は毒虫を捕まえるために奮闘し、屋敷の中、森の中を探す。やっとの思いで毒虫を見つけた家来は、屋敷へと帰っていく。
--しめしめ、これで殿さまをころせるぞ。
しかし、そこに、殿さまが帰ってきました。
--おい、お前、なにをしているんだ。その手に持っているものはなんだ。
ああ、殿さまこれは違うんです。
--これは、毒虫じゃないか、お前おれをころそうとしたな。
申し訳ありませんっ。
--殿さまは自身の立場をわからせるために、家来にお仕置きをするのでした。めでたし、めでたし。
ちょうど、水飴を舐め切る頃、物語は終わる。僕らはワッと拍手をする。そして、
……夕暮れ時の、この後の記憶が、ないんだ。子供のときの夕暮れ時の記憶は、公園に始まって、紙芝居に終わる。明確には思い出せなくて、次のシーンは家に帰っている夜の記憶だ。
僕らは、おじさんが来れば必ず紙芝居を見ていた。狂ったような頻度で。おじさんが、来なくなるまで。
このおじさんが、来なくなった日を覚えていない。少なくとも僕が〈子供ではなくなったとき〉には既にいない。
だからさ、おじさんは僕の子供時代の中で、永遠と生きている。
それは、今も、記憶の中で。
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