kurayami.

暗黒という闇の淵から

ユルサレル

 マンションの屋上に、一人の少年が立っていた。
 少年は色白で細く、夏の空気に合わない、紺色のカーディガンを着ている。
 夕焼け。それは大人と子供にとって、受け取る感情が変わる景色。少年の目に映る景色は、日の終に満ちている。
 少年のポケットに入った、小さなガラパゴス携帯が振動する。少年は慣れた手付きで、片手で携帯を開き、耳に当てた。
「もしもし。うん、うん、かけた。なにしてたの? ……うん。へえ、断ったんだ、入部すればいいのに。松田、絵とか好きじゃん。あれ、好きじゃないんだ。ごめん、誰かと勘違いしてた」
 少年が、電話の相手がいるであろう方に、顔を向けた。日が届かなくなって、街灯のついた町が広がっている。
「それでえっと、なんだっけ。ああ、そう。今日、聞いたんだけどさ。人ってのは何かをして許してもらえる猶予期間、ってのがあるらしいんだ。うんうん、そう、それ。お菓子を強請っても良い年齢とかさ……ああ、名前あったよね。ユルサレル、みたいな名前の……うん、ああ、それだ」
 その場に、少年が座り込む。その日の涼しさを詰め込んだ風が、屋上を抜けていく。少年の前髪が揺れ、顔にかかる。
「良い話を聞いたから、松田と共有したいと思ってね。うん、どういたしまして。だって、これ俺らみたいな十四歳だからこそ、知ってて得じゃん。許されてるんだなあって、有り難み、みたいな。松田だったら、なにを許されて有難い? ……はは、お前らしいな。その独特のエロ世界観大切にしろよな」
 涼しい風が止み、ふと、町の音が、少年の耳に入る。車、飛行機、下校中の子供の声。
 それらがやたら遠くに聞こえた気がして、少年は遠くを見つめる。
「……ん、ああ、ぼーっとしてた。そう、まあ、共有したいってのが電話かけた理由の一つなんだけど。んで、さあ。松田には、一年生のときからずっと、世話になったじゃん。親のこととか、さ。うん、うん、有難う。はは。うん、だからまあ、そう、有難うって言いたかった。俺、もう我慢できないからさ。許される内に……」
 少年は、言葉を止めた。携帯を耳から離し、画面を見つめた。そこには信頼出来る友の名前と、通話時間が表示されている。携帯から「彰?」と声が聞こえ、少年は携帯を閉じた。立ち上がり、階段へと歩みを進める。
 五階、片隅。少年が玄関を開けると、薄暗い廊下が伸びていた。その奥からは、少年が知らない女の喘ぎ声と、父親の声が聞こえる。
 少年は、シンクの中にあった、洗われていない包丁を手に取った。確実な殺意を持ち、寝室へ少年は一歩一歩と進む。少年にとって、最大の害は、唯一の肉親。
「許されるのなら」
 少年が〈少年〉であることを、許される夏。
 そのか弱い力で〈終〉を振り下ろした。


nina_three_word.

〈 モラトリアム 〉