kurayami.

暗黒という闇の淵から

感染思想、君に終止符

 私があの人と出会ったのは、そうね、今みたいに桜の花弁が落ちて、緑が生い茂ってきた頃かしら。話し掛けても無愛想で、でもその癖、気まぐれに向こうから話し掛けてきて、こっちが適当な返事をしていると怒るような人だったの。だけど、私が話を聞いてる内は楽しそうに、にこにこ笑ってて、それを見てると呆れるような、愛おしい気持ちになって。
 そう、これは私の好きだった人の、話。
 あの人、酒癖が酷くてね。暴力とかじゃなくて、外で酒を飲むとすぐ他の女抱いちゃうの。ふふ、そう、私もその被害者。ずるずる関係を引きずってしまった被害者なの。寂しかったなあ。私はあの人にとって〈なんでもない人〉だったから、何も言えなかった。狭い町だったから、いつ抱いたかだなんて、翌日にわかった。ああ、わかった日には、辛くて暗い夜だった。あの人にも、抱かれた女にも「死んじゃえ」って思うだけで、何も出来なかった。何もしなかったわけじゃないけどね。
 そんな根がクズのあの人に惹かれてたのは、もちろん笑顔だけじゃなかった。あの人は〈夜〉が、とっても、上手だった。罪な人、狡い男よ。ナニもかも上手で女鳴かせ。けど、最も上手かったのは、なによりキスだった。
 あの人はね、無理に来ない。理由を付けたり、腕を引いたりして自身に引き寄せる。そしたらもう、逃がさないように、後ろ首に手を回して、顎にもう片手を添えるの。じっくり、浅いところから、深く、這わせ入れていく。中で合わせるように動かして。
 他の人にはない、ぴりぴりして、痺れて溶けていくようなキス。
 それが、支配を受け入れさせるような、危険な安心感をもたらすの。
 ……ふふ、その顔、とっても面白い顔してるね。
 私が、君にするキスと、同じだもんね。面白くて哀しそうな顔。
 おいで。
 支配を強要するんじゃなくて、受け入れさせちゃうのは、今の私の美学。
 そしてこれは、あの人の美学でもあった。
 きっと、あの人が私に感染したように、あの人に感染した女がいる。
 どうしてこんな話、私を大好きな君に話すと思う? その悪い頭じゃ、わからないかな。もう君は、私に必要ないの。そして、この美学だって、もう感染する必要もないの。君には必要ない、自覚して欲しくて話したんだけど、どうなるかな。
 あの人が町に帰らなくなったように、私はもう、君の元を去るんだ。
 だからどうか、この〈夜〉を楽しんで。そしてらこの話も、美学も感染されることなく、全部忘れて。
 さようなら、可哀想な君。

 

 

nina_three_word.

〈 接吻 〉

〈 美学 〉

〈 感染 〉