kurayami.

暗黒という闇の淵から

メランコリーチケット

 私の憂鬱なんて、きっと他人のモノに比べたら些細なことだと思う。
 バイトをしていたフリーターが、バイトを辞めたらニートになる。だから、私はニート。バイト先の人間関係から逃げて、そのうちバイトが見つかるだろうとゴロゴロして、もう一年以上経った。
 流石に、もう私の貯金は底を尽きた。
 金が無ければ遊ぶこともできない。友達はもう誰も遊んでくれない。今となっては、頼れるのは兄だけになってしまった。ああ、情けない。
 兄の家で、こうしてごろごろして、平日の真夏日を窓辺に感じている。快適だけど、それも終わりを迎えつつある。
 無職。貧乏。孤独。
 そして、リビングに転がる、兄の遺体。
 ああ……とても憂鬱だ。でも、これも他人からしたら些細な憂鬱、なんだろうなあ。
 憂鬱な、夏。
 いよいよ、電気が止まった。クーラーも付かなくなって、外の夏が家の中へと侵食していく。網戸にしたところで、蝉の喧しい鳴き声も、兄の腐敗も止まらない。ああ、これはいよいよ、いよいよかもしれない。もはや私に訪れる終わりが何なのか、有りすぎてわからない。
 兄が倒れてからというもの、私は何度もこの家のものを漁った。生活をなんとか繋げようとした。しかし殆ど漁り尽くして、残るは私のだけになってしまった。
 私の部屋なんて何もないだろう、そんな気持ちで漁っていたら、本当に何もなかった。その再確認が、なんだか本当に悲しくなる。髪を滴る汗と共に、枯れた涙も落ちそうだ。
 最後の再確認に、何も入っていないであろう財布を開いた。色褪せたプリクラや、昔通っていた美容院のポイントカードに混じって、見慣れないカードを見つけた。
 ああ、思い出した。これは去年の秋に拾ったモノだ。『夢恋メンタルクリニック』と書かれた、診察券。持ち主の名前は、掠れて消えている。
 私に残った、微かな可能性。
 私は半ば縋る思い、半ばやけくそになって、診察券の裏に書かれた病院の住所を目指すことにした。病院は、兄の家から徒歩二十分の場所にあるようだ。
 兄の遺体を置いて私は家を出た。見つかったら駄目だとか、もう、そういうのは諦めていた。炎天下は私を殺そうとする、そんなことしなくても私はもう充分苦しい。
 私は何で病院を目指しているのだろう。家を出て十分、疑問は早速具体的となった。診察してもらう? 確かに私は病気かもしれない。こんなずっと働かないで私は病気かもしれない。けど診察してもらう程のことだろうか。なら家で兄が死んでいると、駆け込んで助けを求めるべきだろうか。いやもう遅いか。二ヶ月遅い。
 角を曲がり見上げると、緩やかで長く続く木陰の上り坂が現れた。ここを真っ直ぐ行けば、病院だ。
 坂を上りながら、考える。なんで兄はあのタイミングで倒れたのか、私が甘えすぎたのがいけなかったのか。なんで友達は私を見捨てたのか、それがとても寂しい。貯金が底を尽きたのも、別に無駄遣いをしたわけじゃない。バイトを辞めたのは、私は悪くない。
 そうだ、私は、私は悪くないんだ。
 なのに、なんでこんなに、苦しいんだ。
 手入れのされていない病院は、半年ほど前に閉館したようだった。そのことが廃病院の入り口に張り出されていた。
 私は途方に暮れたように、病院の前に座り込んだ。
 夏の日差しは私の平穏があった頃と同じように、降り注いでいる。
 ここに来ても何も変わらなかった。むしろ自覚はより深まって、異臭を放つ。
 この夏にあるのは、死体と、私の憂鬱だけだ。

 

 

 

nina_three_word.

〈 診察券 〉
〈 憂鬱 〉