kurayami.

暗黒という闇の淵から

/新宿

 新宿歌舞伎町靖国通り
 飢えた運転手を乗せた、
 タクシーのオンパレード。
 手を挙げりゃ捕まる、
 馬鹿でも乗れる君好みのカー。
 眠った昼も眠らない夜も、
 タクシーのオンパレード。
 新宿から繋ぐ、金の限り、懐の限り、
 諭吉が尽きるまで、何処までも。

 酔っ払いの大学生乗せる、
 タクシーのオンパレード。
 目指すは次の死に場所、谷の底落ちていく、
 渋谷スクランブル。

 接待に疲れたサラリーマン乗せる、
 タクシーのオンパレード。
 目指すは家族か愛人か、深夜の言い訳考えて、
 中野ブロードウェイ

 国境は職安通りだと言う韓国人乗せる、
 タクシーのオンパレード。
 目指すはコメダもある、多色な異国の街、
 大久保コリアタウン

 黄色から虹色まで会社も様々、
 タクシーのオンパレード。
 赤信号に止められる何十台、
 タクシーのオンパレード。
 航空障害灯みたいな後ろ姿、
 タクシーのオンパレード。
 靖国通りでずっと終わらない、
 タクシーのオンパレード。
 タクシーのオンパレード、タクシーのオンパレード。

 煌びやかに売る女乗せる、
 タクシーのオンパレード。
 目指すは丸の内のその最果て、今じゃ可愛い、
 池袋サンシャイン。

 酒で喉を焼いて売る男乗せる、
 タクシーのオンパレード。
 目指すは囁く相手、嘘か真か女を待たす、
 六本木ヒルズ

 獲物を片手に送りオオカミの男乗せる、
 タクシーのオンパレード。
 目指すは僕の城、起きれば商店街、
 高円寺サブカルチャー

 バイト帰りのフリーター女乗せる、
 タクシーのオンパレード。
 目指すは私を育てた街、女に愛された町、
 錦糸町スカイツリー

 役目を終えて新宿とサヨナラするぜ、
 タクシーのオンパレード。
 しかし、なあ、俺の街は遠いな、
 タクシーのオンパレード。
 終電も金もないぞ、
 タクシーのオンパレード。
 おい、俺を置いていくなよ、
 タクシーのオンパレード。

 待てってば、そんなにたくさん並んでんだ、
 俺一人ぐらい乗せろよ。
 こんな息苦しいとこに取り残すなよ。そうだ、
 望んでここに来たんだ。
 だからなんだ。俺は望んで帰りたいんだよ、
 おい、聞けよ、こら。

 てめぇらなんか二十四時間のカフェ以下だ、
 タクシーのオンパレード。
 この街で朝を待つだなんて手慣れたもんだぞ、
 タクシーのオンパレード。
 花園神社で俺の物語を作ってやるよ、
 タクシーのオンパレード。

 だけど、本当は帰りたいんだ、
 乗せてくれタクシーのオンパレード。

 タクシーのオンパレード。
 タクシーのオンパレード。

 タクシーのオンパレード……

 靖国通りでずっと終わらない。

 

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〈 タクシー 〉

〈 パレード 〉

誘うお化け

「お母さん、もう帰っちゃうの」
 複数のチューブに繋がれた少女が、寂しげに母親に向かってそう言った。
 夜九時前。病院は徐々に、明かりが失われていく。
「ごめんね、でも明日の朝になればまた会えるから。ね」
「んー……我慢出来たら、いい子? わるい子じゃない?」
 少女が母親の目を、上目遣いに見て言った。
「うんうん、とってもいい子よ」
「……おばけ来ない?」
「悪い子じゃなければ大丈夫よ。安心して」
 母親がそう言って、少女の頭を撫でた。
「うーおばけ怖いなあ」
 少女が怖がっているモノは、悪い子にしてると訪れると、母親が教えた存在だった。
 猫の目を持って、高い背、細長い腕、片足だけで立って、ゆらゆらと揺れている。
 もちろんそれは、母親が言った適当の存在だ。しかし少女にとって、それは十分に恐怖の象徴であり、日常的に〈いい子〉を保ち続けるための、抑止力だった。
「大丈夫、貴方は誰よりも良い子なんだから、大丈夫よ」
「んー……うん」
 時計の短針が、九時を指した。
「それじゃあ、おやすみ、また明日ね」
「おやすみ、お母さん」
 母親が去って、病室の明かりが失われた。はやく朝になあれ、と少女は願い目を瞑る。少しずつ、意識が身体と世界から、離れていく。

…………
 少女が、目を覚ました。しかし、そこにはベッドもチューブもなかった。
 最初に少女が気付いたのは、木と土の匂い。次に風。そこは夜の森だった。
「やあ、おはよう」
 少年のような声に振り向くと、そこには、猫の目をした、背の高いゆらゆらと揺れる……〈わるい子にしていると来るおばけ〉がいた。
「いやっ」
 少女が後退りをする。
「待って待って、悪いやつじゃないんだ。僕は悪いやつじゃない」
 おばけが、慌てながらも落ち着いた声で言った。
「おばけ……おばけ……」
「ああ、おばけだよ。でも、僕が何をするとかって、お母さんから聞いた?」
 少女が、少し考える。
「……なにをするの?」
「なにもしないさ、安心して。言ってしまえば、これから君を案内するんだ」
 おばけは、優しい声でそう言う。
「ほんとうに?」
「本当だよ。信じられないなら、後ろから着いて来るだけでもいいさ」
 そう言っておばけは、片足で飛んで森の中へと向かう。
 少女の後ろからは、得体の知れない動物の鳴き声が聞こえた。
「少なくとも、そこにいるよりは着いて来る方が安全だけどね」
 怖くなった少女は、仕方がなくおばけへと着いて行くことにした。
「ねえ、どこにいくの」
「こんな何もない森の中じゃない、とこ」
「病院に帰るの?」
「ううん、違うよ」
「ねえ、私がわるい子だから来たの?」
 少女の問いに、おばけは少し、黙った。
「悪い子……君は、悪い子じゃないよ」
「そうなの、ならどうして来たの」
「君は、悪いことしてないんだけどね、でも」
 ゆらゆらと揺れながら、おばけは進む。
「結果的に君は、人を悲しませてしまったんだ。とっても頑張ったんだけれどね」
「どういうこと?」
 少女の問いに、おばけは答えない。
「さあ、着いたよ」
 辿り着いたのは、少女の家に似た、建物。
…………

 朝日が登り切った頃。電子音が病室に響き、母親が泣き崩れていた。
 永遠に目覚めない悪い子を、目の前にして。

 

 

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〈 おばけ 〉

死にゆく人

 大勢の人が暗くした部屋の中で、天井に映し出された擬似的な星空を寝転んで見ている。双子座にオリオン座に、子犬座。冬の夜空。口にはまるで、長い間お預けにされていた玩具を貰った子供のように、笑みを浮かべている。
 部屋の中央には、市販のプラネタリウムと一酸化酸素を吐く七輪。
 外では、暖かさと真新しさを乗せた、春を迎えようとしていた。


 銀杏のようにビルから落ち潰れた死体。樹海に迷い込みもう二度と帰らない死体。浜辺に流れ着く大量の死体、死体、死体。
 街は血と肉に汚され、欠落した人間関係は悲哀と混乱を招き、死体から漏れる腐敗したガスは、人々の鼻を突き顔を歪ませる。
 人々は、そんな死に行く者たちに皮肉を込めて、テロリストと呼んだ。
 何処までも迷惑な存在。
 とあるテロリストは、縄を器用に結び、自身の体重を乗せた。部屋に体液を撒き散らし、暮らしの匂いを残して。
 とあるテロリストは、こめかみに銃口を当て、想いを込めてトリガーを引いた。この世にただ一つの秘密を内包して、頭が弾け飛ぶ。
 とあるテロリストは、乳鉢で力強くすり潰した睡眠剤を、大量に飲み込んだ。心地の良い眠気と吐き気の外に、家族を取り残して。
 次々と消えていく人々。日々生まれていく死体。せっせと片付ける清掃業。
 大量のテロが起こるのは、その人にとって越えられない壁がそこにあるから。諦めと妥協、容認される絶望。死が起こす世界への影響がテロへと繋がっている。
 そしてまた、春がやってきた。
 春は世間を一新する。冬を終わらせ、期待と希望のチャンスを平等に与える。しかし、それと同時に、滅亡と絶望のハズレくじの可能性がそこにあった。
 ハズレくじを引き、越えられない壁に当たってしまった人々を、春はテロリストに変えていく。
 春は、人を殺す。

 しかし、テロリストが嫌悪される一方で、それを喜ぶ人たちもいた。
 減っていく人口。消えることで喜ばれる人。儲かる棺桶屋、墓石屋、新聞記者。
 そして、数多の死を、心の何処かで楽しみ望んでいる人々。
 死は芸術だと、ある人が言った。それは例えば、銀杏のように潰れた自然体の形。中身が飛び出て、形は不規則に、生きていた頃であればあり得ない方向に曲がる。その人にとって、その死体は被写体になり得るのだ。
 観測される死に意味を含め、人々は死にゆく者たちを心の何処かで、神からの祝福だと思っていた。

 自殺を選ぶことで、祝福のテロリストと化した人たちを、世界は受け入れていく。
 

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〈 テロリスト 〉

〈 祝福 〉 

滲んだアルバム

 冷たくて脈拍のない、思い出のインクが疎らに滲んだアルバムがそこにあった。
 インクの滲んだ場所を避けて目を通すと、どうやらこのアルバムの主役は〈男〉だということがわかった。滲みは、奥に進むにつれて酷くなっていく。最後のページは、様々な色のインクが混ざって、冷たく真っ黒に染まっていた。ここで〈男〉は、終わったらしい。
 最初のページを開くと、夕焼けの景色に、黄色い風船が一つ飛んでいる写真があった。最初の記憶だろうか、やけに鮮明だった。
 触れると何か、円盤の回る音と、声が、聞こえた。
「ねえ、ママ、取ってよ。取って」
 我儘で切ない〈少年〉の声。写真の中の風船は、あっという間に飛んでいく。
 次のページを捲ると、少し成長した〈少年〉の姿が写った。自室で友人たちと笑っている。これはきっと何処までも、純粋な笑顔だ。漫画を手に持っている。
「刻むぞ血液のビート!」
 漫画の台詞だろうか〈少年〉が友人に、おちゃらけて拳を振っている。
 脈拍のビートが最も盛んだった頃のようだ。様々な写真が細かく、ページに張り巡らされ、多くの声が聞こえる。
 しかし、ページをまた捲ると、色が少し落ち着いた。制服に身を包んだ〈少年〉が、期待を含んだ笑みを浮かべている。
「なあ、好きな人が出来たよ」
 その声は、前のページに比べ少し落ち着いてた。
 ページを捲ると〈少年〉が制服の時間を通して〈青年〉へとなっていた。それと共に、また、写真から明るい色が減っている。
「……だから……もう」
 突然、声に雑音が混ざる。〈青年〉の顔も、段々と表情が薄くなっていく。写真も徐々に滲んでいく。
 ページを捲るたび、滲んでいく。〈青年〉の顔に滲みが侵食していく。声が、声で無くなっていく。滲む写真から物語るに、悲惨な情景ばかりだった。
 数ページと時間を得て〈青年〉が〈男〉になった。
 もはや〈男〉に顔はなかった。滲んだ顔。偽善により、作られた情景の写真。流れる音は雑音だけ。
 まるで意味のない、滲んだ思い出。
 最後の数ページ。ただただ階段を登る情景が、色鮮やかに写されていた。一段、二段、三段……ずっとずっと登った階段の先。屋上からの景色は、綺麗な風船のない夕焼け。望まない写真は、鮮やかなインクで作られていた。
 最後のページは、まるで〈何か〉が落ちたようにインクが混ざり滲んでいる。
 なぜ〈男〉はこのアルバムを、残したのだろうか。
 大切なモノだったのか。
 それとも、滲んだこの一生を、誰かに知って欲しかったのだろうか。


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〈 ビート 〉

〈 インク 〉

〈 アルバム 〉

 

セカンドプロローグ

 これからする僕の〈話〉は、決して嘘偽り、虚構の物語、ではない。これから先の未来に始まる瞬間の物語であり、とある過去の何時かに起こった記憶でもある。しかし、だからと言って覚えておく必要はないよ。今、この〈話〉を聞く貴方は、過去の貴女でも、未来の彼方でもないのだから。どうせ三秒先には死ぬ運命なんだ……ああ、どうせなど言ってしまってすまない、他人であり僕である貴方が、なんだか他人とは思えなくて。ああ、そう、貴方はまるで、最悪の彼女に…………いや、これもまた〈話〉を聞けばわかる。僕のことも、彼女のことも、三秒先に死んでしまう貴方のことも。ああ、全部知ってしまう貴方が可哀想だ。真実というものは、全ての真実に限り、残酷なものだからね。もちろん、聞いて良かったと思うかもしれないけど、これから先、新しく知ることはもう二度とないのだから。だからきっと、この話を貴方は聞き流すだろう。いや聞き流すんだっけ、貴方は。そうだった。知ってるよ僕は。貴方のことを知っている。信じてもらえないかな……ほら、昔からよく言うだろう。「赤目の少女は、小さな船で、数多の海を覗く」って。もちろん僕は、貴方がこのことわざを知らないことだって知っている。決してふざけてないよ。証明したのさ、僕が貴方のことを知っている、ということを。話す前に証明は必要だからね。他にも知っているよ。君と呼ぶと嫌な顔をすること。貴方の世界には昼があって夜がある、朝があって夕があること。これから話す「噺」も、僕たちの作り出した〈ワード〉も、貴方の世界には大きく干渉しないこともね。さて、信じてもらえたかな。聞き流してくれるのは良いけど、信じてもらえなければ虚しいからね。僕が唯一知らないのは、貴方がこの〈話〉を信じてくれるかどうかってことだけだ。だからいつだって、貴方と対峙するこの三秒間は、心の底から吐くように、不安になるよ。こんな気持ちになるのは、最悪の彼女と過ごした十一月の昼下がり以来かもしれない。ああ、すまない、また〈関係のない話〉をしてしまったね。まあ「妖怪は三度吐く」ってことさ。このことわざも知らない貴方。知っていたかもしれないけど、今は知らない。貴方はもうどこにも繋がっていない。モニターと平面紙面の向こう側のアナタにも繋がっていない。それが貴方だ。しかし、もう三秒経とうとしている。僕はこれからも語り続けるが、貴方が死ぬことで、この冒頭語りは永遠に終わらない。貴方は〈話〉を聞くことができない。さあ、そろそろ時間だね。三……二……一……


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〈 終わりのない 冒頭 〉

 

ボーイミーツ

 ユウイにとって、カリュは使えるモノだった。

 貴族の男……ユウイは、この三十年間。使えるモノは全て使い、最後まで使った。そうやって今の地位まで成り上がったのが、ユウイだった。
 ユウイの日常には、常に優秀な執事の男……カリュがいた。礼儀正しく、自身の命令を素直に聞き従うカリュを、ユウイは酷く気に入っていた。
「紅茶を淹れてくれないか」
「かしこまりました」
 ユウイの命令の言葉以上の価値を上乗せして、カリュは働く。
 執事は、カリュ好みの濃いダージリンティを注いだ。
「カリュ、お前、欲しいモノはないのか。もう俺のとこについて十年だ。何か欲しいモノがあれば与えるぞ?」
「いいえ、私が求めるモノは貴方の幸せでございます。どうぞなんなりと、命令をください。ああ、言ってしまうのであれば、命令こそが、私の求めるモノです」
 そう言ってカリュは紅茶を注ぎ、角砂糖を二つ、ユウイのダージリンティに落とした。
 何でも従うカリュが、ユウイは酷く可愛くて仕方がなかった。これほどまでに使えるだなんて素晴らしいと、惚れ惚れとしていた。
 ユウイは生まれて初めて、人に感謝の念を込めて、褒美を与えたいと思っていた。カリュがユウイの元についているのは、身寄りがなく多額の借金を抱えていたからだ。それをユウイが払うという形で、カリュは執事となった。
 考えに、考え夜を重ね、ユウイは一つの決断をした。


「カリュ、お前は今日から自由だ」
 ある朝。紅茶を注ぐカリュに向かってユウイがそう言った。
「あの、ユウイ様、なんて仰いましたか」
「二度も言わせるな。今日からお前は自由になるがいい」
 黒目を小さくし、紅茶を溢したカリュに再びユウイが言った。
「すみません、何か気に触るようなこと、しましたか」
 恐る恐る、カリュが聞く。
「いいや、違う。これが俺なりの褒美だ。ああ、本心としてはお前を手離したくないさ。だが、俺から離れることが一番、お前のためだと思ってな」
 寂しそうな目をして、ユウイが言う。
 しかし、それもカリュの目には写らず、反論する。
「いえ、私はそんな、褒美なんていりません」
「俺の褒美がいらないというのか」
 ユウイの眉が吊り上がった。
「私のためであるなら、これからも私を……」
「いや、いい。結構だ。お前には失望した! 出て行け!」
 失望したユウイは、そう言ってカリュの注いだ紅茶を片手で薙ぎ払い落とした。諦めたカリュは、全てを失ったような顔をして、出て行く。
 ため息をつくユウイ。しかし、失望したのは、一人だけではなかった。
 命令を下し、自由を与えないユウイが、カリュは可愛いらしいと思っていた。価値のない自身を否定し、縛ってくれる日々が、愛しかったのだ。
 自身に自由を与えたユウイに、カリュは酷く、失望した。カリュの自由は、ただの不幸な放浪に過ぎない。

 カリュにとって、ユウイは使ってくれる者だったからだ。

 
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〈 命令 〉

〈 失望 〉

〈 自由 〉 

 

一夏の儀式

 カラカラの夏休みのど真ん中、八月上旬。午後二時過ぎ。
 連休に慣れ始めて暇が一周した僕は、意味もなく家を出た。炎天下に熱された黒いコンクリートが、高温の悲鳴を上げている。早速家を出るんじゃ無かったと、酷く後悔をした。クラスメイトは、今頃なにをして過ごしているのだろう。家族は旅行の話すらしてくれない。非常に退屈で罪悪を感じる。友達のいそうな公園、コンビニに、意味もなく立ち寄ったが、誰にも会わない。もちろん、そんな日はあるし、誰かに会うことを期待していたわけではなかった。
 夏休み中ずっと家にいたわけではないと、そう言えるようにするための外出。
 あまりの暑さに、自販機で紫色の炭酸飲料のボタンを押した。取り出そうと屈み、手を伸ばすとわずかに冷気を感じた。一瞬の至福。でもそれ以上に、乾いた喉が炭酸を欲している。僕はすぐに取り出して、キャップを外した。勢いのある、空気が抜ける音。潤すために僕は喉に通す。
 炭酸が少しだけ痛い。けどそれ以上に、乾きを潤すことによる相乗効果で、何よりも美味しかった。
 余裕が出来て冴えた頭が、今まで気にもしなかった獣道を見つけた。自販機の脇、緑のトンネルになった獣道の坂道。僅かに残っていた夏の童心が、僕を動かした。
 獣道というのは、何処に繋がるのかという好奇心を楽しむものだと思う。緑のトンネルの恩恵もあって、有難いことに獣道は涼しかった。道は硬く踏みしめられ、歩きやすい。誰か頻繁に歩いているのか。
 小さな鳥居を潜り抜けた先は、神社だった。割と立派な、僕の部屋ぐらいの大きさの神社。こんなとこに神社があっただなんて、初めて知ったけど、どうやらこの神社への道はあの獣道しかないらしい。不思議だ。
 微かに神社が揺れた気がした。風に揺らされるなんて、相当だと思ったが、違うらしい。よく耳を澄ますと、中から声が聞こえた。
 僕は炭酸飲料を一口飲み、ゆっくりと神社へと近付く。耳を当てると、女の人の声だった。かん高い声。
 神社に添えていた指先が、窪みを見つける。その窪みは小さな穴だった。僕は高鳴る胸を押さえ、穴を覗き込む。案外、中はよく見えた。女の人が、男の人に覆い被されていた。男の人が動くたびに、女の人が高い声を上げている。……なんでこんなところで。
 女の人の顔がよく見えた。なんだか泣きそうで、切なそうな顔をしている。ただなぜか、男子としてその顔に欲情はしなかった。感じている顔とは、まるで違うような気がしたからだ。
 やがて、男の人が果てたのか、背筋を伸ばした。そのまま女の人を抱きしめている。女の人は泣いていた。まるで別れを惜しむみたいに。そういうことなのか、別れるためにしていたのか。
 何か気持ち悪いものを見てしまった気分になって、離れようとしたとき、男の人が何かを女の人に叩きつけるのが見えた。また、かん高い声。何をしたのか気になって、再び目を穴に近付けた。
 男の人が、鉈を女の人に何度も振り下ろしている。叩きつけられている女の人の身体は、よく見えなかった。ただ、男の人が力強く何度も振り下ろしているのはわかった。
 女の人の声が聞こえなくなる。代わりに、びちゃびちゃと音が聞こえる。
 僕は驚きの声を漏らすタイミングを幸運にも逃し、冷静になる頃には逃げ方を忘れていた。動けなくなっていた。
 炭酸の抜けたペットボトルが、手の中で温かくなっている。


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〈 覗き穴 〉

〈 炭酸水 〉