kurayami.

暗黒という闇の淵から

不器用に先を

 下の階から、家のインタホーンを鳴らす音がした。
 私は反射的に少し湿った布団を頭に被る。嫌な予感がした。午後五時、学校終わりに人が立ち寄るような時間。
 嫌だな、誰にも会いたくない。誰とも、話したくない。
 布団にうつ伏せになって、耳を澄ました。母が廊下を走って玄関を空けた音。母の大袈裟な声。落ち着いた男の人の声。
 ……桐山先生だ。
 私はすぐに部屋のドアを見た。鍵はかかっている。でも、きっと、先生は家の中に入ってくると思う。
 浅川先生じゃないだけマシだったのかもしれない。でも、それにしたって、嫌だ。聞かれたくない、答えたくない。
 外堀に埋まったものだけを見て、私を学校に連れ戻そうとするんだ。
 学校へ行く大切さを長々と諭すに決まってる。
 大切なこと、知ってるよ。そんなこと知ってるもん。
 それをわかっていても、学校に行けないってことを、先生はわかってくれないと思う。
 先生からしてみれば、私は不幸を拗らせた女子中学生でしかないから。
 私、半年前の春まで、みんなと一緒にお弁当食べて、その週のドラマの話で盛り上がって、平凡で幸せな女子中学生だった。
 平凡な女子中学生だからこそ、放課後に告白されたりして。
 同じクラスの、黒部君。彼からの告白は嬉しかった。けど、少しだけ背伸びしたくて私、黒部君のことを意地悪にも、断ってしまったの。
 黒部君、どうして、なんで、って言うばかりで、その時は少し良い気分だった。だけど、涙目になった黒部君が、言い寄って、私に無理やりキスをした。
 それを偶然、同じクラスの子が目撃したらしい。勿論、その子は友達に「見ちゃった」って話した。きっと、私だってそうする。でも、その友達は誰かに話して、その誰かは誰かに話す。
 噂はすぐに広まった。
 人の目が、身体の中に入り込むようだった。何より嫌だったのは、付き合ってると誤解されるよりも、男子からは性的な目で見られて、女子からは変態扱いされることだった。
 無視され、物を隠され、通りすがりにクスクスと何か黒く話され。
 無理だった。
 限界だった。
 突然多くのものを失って、突き落とされて孤立した。
 ……先生は、何処まで知っているの?
 女子がグループから外される深刻さを知ってるの。ご飯が喉を通らないほどしんどいことを知っているの。この半年の間に、身体が、お腹が重くなって戸惑っていることを知っているの。リストカットがやめられなくなって、もう半袖を着れないことを知っているの。
 先生は、何も知らない。
 女子中学生を何も知らない。
 この迷宮の中、私には辿り着けっこない。
 先生は、もう大人だから。
 だから話したくない。知ったつもりで私を怒らないでほしい、それだけ。
 階段を、ぎしぎしと登る音が聞こえて、私の部屋の前に人が立った。
 こんこんと、重たい、ノック音。
「あー……犬佐さん、いるかな。いたら、返事してほしい」
 低く、しかし人の目を気にするような、弱気な声。
 私からしたら、懐かしい声だった。
 一体、何から話すつもりなんだろう。何を知ったつもりで、諭すのだろう。
 そう思った時、先生はドア越しに、いつもより弱気な声……消え入りそうだけど、確かに届く声で、私に尋ねた。
「なにがあったか、なにが辛いか、良ければ先生に教えてくれないか……? 先生、さっぱりわからんから……」
 私は唖然とした。瞬く間に、迷宮を崩されてしまった気分だった。
 〈先生〉という字は「先に生きる人と書くんだよ」だなんて、私に教えたのは誰だろう。
 ドアの前に立つ不器用な人に、なにも解決しない中、私は思わず声を出して笑ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

nina_three_word.

〈 先生 〉

〈 迷宮 〉

〈 瞬く 〉

一人家焼肉

 一人暮らしの男が、家で寂しく焼肉をしちゃいけないなんてルールはない。
 むしろ一人だからこそ、家だからこその自由がそこにある。買う肉、焼く肉に文句を言うヤツもいない。焼くペースをいちいち気にする必要がない。焼きそばの気分になれば、突然嵐のように焼きそばを投入されることも許される。冷蔵庫の余り物を適当に焼いて食うのも、節約を兼ねて楽しい。好きな酒と一緒にテレビを見ながら焼いて食うことも幸福。一人家焼肉は最強なんだ。誰にも文句を言わせない。
 難点があるとしたら、文句を言うヤツがいないこと。それはつまり、とても寂しいということを意味する。何より、ホットプレートの洗い物がしんどい。
 結局のところ、家焼肉に誘うヤツがいない。
 家で焼肉をしようだなんて思う日は、四ヶ月に一回、自身にご褒美を与えたくなった時だ。ちなみに、家焼肉をご褒美として自身に与えたくなったときってのは、心に相当キてる。
 今日はそんな、俺へのご褒美の日だ。
 買ってきたのはハラミ、ホルモン、焼きそば、そして今日の主役ラム肉。久しぶりのラム肉は絶対に美味い、今日食べるべきだと脳で直感を得た。海鮮系も買いたがったが……いまいち惹かれるモノがなかったし、ラム肉の臭みには絶対に合わないだろう。今日は無難に王道と見せかた洒落家焼肉だぜ。
 冷蔵庫に買ってきた肉を入れ、台所戸棚にあるホットプレートを取り出す。黒をベースに赤いラインが入ってるカッコよくてイカしたヤツなんだが、こいつには秘密がある。
 安全設計システム。なんとこいつは、肉が置かれるまで余熱を保ち、それ以上の温度にならないよう設計されているんだぜ。高温火傷させないためだってさ、優しいヤツだろ。この手の安全設計をフールプルーフというらしい。まあ、それに関してはあまり俺に関係ない。こいつの面白いところはこのフールプルーフの延長線上のシステム、自動焼き加減だ。肉が置かれると焼き加減を感知して、火力調整を自動でしてくれるんだ。便利だろう。たまに他の肉の焼き加減に引っ張られて狂うことがあるが、まあ、たまにだ。基本的には機能する。
 熱く長々と語ったが、つまり楽しみでしょうがない。酒は用意した。観たい番組の五分前だ。ホットプレートはコンセントに繋げて余熱を保っている。
 あとはこのラム肉を机に持っていくだけ。思う存分焼いて、腹いっぱいになってやる。
 そう、思った瞬間だった。
 右ポケットに入っていた携帯が振動した。俺は左手にラム肉を持ち替え、右手をポケットに入れる。しかし、携帯を取ることに気を取られ、足が扇風機の電源コードに絡まってしまった。
 体勢が前のめりに崩れる。左手はラム肉が乗った皿を無意識に離さず、右手はポケットに入れたままだった。ラム肉が舞うのと共に、顔が綺麗にホットプレートの中へと入る。右頬から着地し、痛えと思った一瞬の衝撃の後に、チリッとした熱が俺を襲った。
 咄嗟に顔を上げるも、右手はポケットに入れたまま、左手は……本能的にホットプレートの電源コードを抜こうと探し暴れ回っていた。上げた顔が再びホットプレートに戻される。厚みのある熱を頬で感じ取り、俺は確実な火傷をした。
 痛みと熱から逃げる為、今度こそ左手を地面につける。
 だが、同時に暴れていた足が、俺の後ろにあった本棚を蹴っ飛ばしてしまった。
 本棚が転んだ俺同様に前のめりに倒れ、俺を潰し、ホットプレートへと押さえつける。
 両腕は本棚の中に肘ごと組み込まれ、動かせない。
 ホットプレートが俺の頭を大きな肉として感知し、全体が焼きあがるように火力調整を始めた。頬に穴が空くような激痛が走り、目はカスカスに乾いて開けられない。
 じわじわと焼かれていく。頬の感覚は無くなっていく一方で、何処の箇所かわからない激痛だけが頭を揺らす。
 叫び声を上げようとも誰も助けてくれない。全ては一人で始めたことだ、当たり前だ。
 熱い、痛い。
 第三者であれば笑いたくなるような不幸の中、俺は一人家焼肉を後悔していた。

 

 

 

 


nina_three_word.
フールプルーフ
〈 ホットプレート 〉

0170721 片瀬海岸江ノ島にて海初心者二人。

21日前夜。逢坂さん(@chihiro_aisaka ‬)と何処に行こうかと一瞬迷った末に、スポッチャを含めた候補の中から江ノ島が選ばれました。
今回は、そんなノリの休日の中で逢坂さんが撮ってくれた僕の写真になります。
たくさん遊んできました。 

 

 

 

 

f:id:chiyocoi:20170724001917j:image

初の江ノ電に盛り上がる千代恋雨氏。

 

f:id:chiyocoi:20170724002013j:image

f:id:chiyocoi:20170724002035j:image

しす丼。

 

f:id:chiyocoi:20170724002340j:image

f:id:chiyocoi:20170724002646j:imagef:id:chiyocoi:20170724002747j:imagef:id:chiyocoi:20170724002832j:imagef:id:chiyocoi:20170724002948j:imagef:id:chiyocoi:20170724003240j:imagef:id:chiyocoi:20170724003545j:imagef:id:chiyocoi:20170724003803j:image

イケてる人の中を、海初心者みたいな二人が進行する。

f:id:chiyocoi:20170724004318j:image

f:id:chiyocoi:20170724004545j:image

f:id:chiyocoi:20170724005046p:image

f:id:chiyocoi:20170724004742j:image

f:id:chiyocoi:20170724005013j:image

f:id:chiyocoi:20170724005257j:image

瓶コーラ買ってくれた。の顔。

 

f:id:chiyocoi:20170724010239j:image

キティちゃんとその彼氏と友人の僕。

 

f:id:chiyocoi:20170724010318j:image

 

 

 

f:id:chiyocoi:20170724011618p:image

 

 

 

f:id:chiyocoi:20170724010326j:image

f:id:chiyocoi:20170724010346p:image

f:id:chiyocoi:20170724010952j:image

ツーショ。

 

f:id:chiyocoi:20170724011113j:image

f:id:chiyocoi:20170724011130j:image

ワンショ。

 

f:id:chiyocoi:20170724011722j:image

「ここは輩な感じで撮りたい」「全然輩感でないなー」

 

f:id:chiyocoi:20170724011845j:image

 

 

 

 

 

 

f:id:chiyocoi:20170724012333p:image

f:id:chiyocoi:20170724012221j:imagef:id:chiyocoi:20170724013300j:imagef:id:chiyocoi:20170724022822p:imagef:id:chiyocoi:20170724022830p:image

 

 

 

 

 

f:id:chiyocoi:20170724023204p:image

 

 

 

 

 

+++++

 

 

f:id:chiyocoi:20170724112347j:imagef:id:chiyocoi:20170724112423j:image

海の家でハイネケンとマリブ漬けになって、お疲れ様をして、小田急線。

たくさん焼けたね。あと海がとても気持ち良かった。

 

またまたまた写真撮りましょう。

今度はみんなも一緒に。

 

 

/ワンデイ

 ゆめ、夢見てた。

 なん、だっけ。

 みんな死んじゃったかも。

 でも、私は幸せだった。

 ん、まだ眠いや。

 でも、お風呂入らないと。

 仕事に遅刻しちゃう。

 蝉が鳴いてる。今年初かも。

 眼鏡が見当たらないよ。

 あった。レンズ汚い。

 私にお似合いね。

 お母さん、おはよう。

 ご飯、お刺身? 朝から豪華ね。

 大丈夫だよ、今日は食べるから。

 お風呂入ってくるね。

 本当は、食欲なんて無いんだけどなあ。

 けどお母さん、安心した顔してた。

 それにお刺身はちょっと嬉しい。

 ああ、シャワー冷たい。

 夏場でも、出始めのシャワーは変わらないんだ。

 ずっと、このまま、何百回も変わらない。

 このまま、おばあちゃんになっちゃうんだろうなあ。

 あれ、タオルがない。

 お母さあん。タオル、タオルちょうだい。

 お母さん。

 ありがとう。

 濡れちゃうと、体力がなくなる。

 重たくてしんどい。

 ヒトは海から来たなんて信じられないな。

 きっと、海から来たヒトは、怠惰な方。

 そういえば、お刺身だったの、忘れてた。

 鯛のお刺身。透き通っていて、綺麗。

 美味しそう。なのに私は。

 いただきます。

 外、曇ってる。

 今日、雨降るの?

 午後から晴れるんだ。

 そう。なら、でも、心配。

 あ、やっぱり、美味しい。

 でも、噛むのに疲れちゃう。

 美味しいのに。

 誰か、私の代わりに噛んでほしい。

 口移し。できるなら、あの人がいい。

 なんて、朝からいけない。少し破廉恥。

 ほら、そんなこと想うから、お腹いっぱい。

 ごめんなさい。ごちそうさまでした。

 お母さん、今日は七時までには帰るね。

 うん、そのつもり。傘持っていく。

 いってきます。

 いつもより、全然涼しいや。

 大好きな灰色空。

 夏はこんなに頼もしいんだね。

 みんな、どうして曇り空を嫌うのかな。

 こんなにも表情豊かで、綺麗なのに。

 太陽光のことが好きなくせに、夏は嫌うじゃない。

 まるで都合の良い恋人ね。

 なら、私と曇り空は長年の夫婦。

 たまに涙を流すのは、生きてる証拠。

 職場までの坂、全部なくなれ。

 登って、降りて。

 平坦になればいいのに、もう。

 この流れる汗が、バス代三百円。

 私の汗は、三百円。

 あ、おはようございます。

 おはようございます。

 ああ、涼しい。

 おはようございます。

 職場の冷房、好きになれない。

 良いのは最初だけ。

 寒くなるもん。

 おはようございます。

 今日の朝礼、いつもの人じゃないんだ。

 おはよう。

 え、前髪揃ってるね、じゃないよ。

 おはよう。挨拶は大事だよ。

 その人に会ったって確認。記録。

 挨拶は特別なこと。

 まあ、君からしたら、私なんて。

 かもしれないけど。

 かたかた、かたかた。

 かたかた。

 かた、かた。だ。

 お昼休憩まで、あと十分。

 なにをしよう。

 本を読む。決まり、決定。

 かたかた。

 ご飯は……あ、お昼。

 自販機のツナパン。売り切れてる。

 まあ、いっか。

 お腹空かないもん。

 私はあの子と一緒。活字でお腹いっぱい。

 ぺら。ぺら。

 午後もまた、かたかた。

 頑張ろうっと。

 かたかた。かたかた。

 私、いつまでこうして、かたかた。

 やだなあ。帰りたい。

 この時間、電車に乗って遠くに行けたなら。

 きっと気持ち良いのに。

 かたかたする時間。

 電車に乗って遠くに行く時間。

 あっという間になるのは、かたかたする時間。

 だって、ほら。もう定時。

 馬鹿みたい。

 お先失礼します。お疲れ様です。

 うん? 先帰るよ。

 君は頑張るんだ、偉いね。

 でも私は先に帰るよ。

 お疲れ様です。

 お疲れ様です。

 お疲れ様……あ、どうも。

 ええ、どうも。また応援いきます。

 お疲れ様です。

 疲れたな。

 でもこうして、身体も、時間も。

 消耗して、生きてる。

 きっとそれは、朝と夜のため。

 だから私は帰るんだ。

 少し、もあっとする。暑い。

 夕暮れの蝉が鳴いてる。

 かなかなかなかな。

 それに、遠い空。青と赤が混じる空。

 綺麗だとか寂しいだとか、言い訳にしたい。

 電話したいけど。夜まで我慢だ。

 ただいま。

 お布団、太陽の匂いがする。

 疲れた。

 だから、ごろごろするのも許されるもん。

 ごろごろ。

 でも、なにもする気も起きない。

 ご飯を食べることも。

 詩を書くことも。

 ネットを見ることも。

 何かを、したいという気持ちは。

 私の心は何処に行ったのかな。

 ああ、でも、一つだけ。

 はやく、声が聞きたいな。

 だから、やっぱり、それまで詩を綴ろう。

 想うがままに、自由に。

 今日あったこと、想ったこと。

 何かあったかな。

 やっぱり、心が、迷子。

 ねえ、もしもし。

 こんばんは。でももう寝る時間だね。

 だって貴方、声が眠そう。

 私? 私は今日、いつも通り。

 なんてこともなかったかな。

 ねえ、今日ね、蝉が鳴いてたよ。

 夕暮れのやつも。ねえ。

 寝ちゃったの?

 おやすみなさい。 

 

 

 

 

 

nina_three_word.

〈 口語自由詩 〉

スイーツスイーツ

  二人の少年が、一つの小さな世界を下方に挟み、対峙していた。
 そのうちの一人は、市販の紙マスクで口を隠し、第一ボタンまできっちり閉めた白シャツを着て、上からゆったりめの黒いポンチョを羽織った〈パリパリの白チョコケーキ〉の少年。
 もう一人は、恋人から貰った青い石のネックレスを付け、クリーム色の半袖ティーシャツをラフに着こなし、真っ赤なハットを頭に被った〈苺たっぷりのミルクレープ〉の少年。
「今日という今日を待ち望んでいたぞ。ミルクレープ」
 白チョコが不敵な笑みを浮かべて、ミルクレープを見た。
「僕も今日を楽しみにしていたよ。お互い良い勝負が出来るといいね」
 ミルクレープが微笑んで、白チョコを見返す。
「そうやって余裕な顔をして笑っていられるのも……」
「今だけだって? 安っぽい言葉は使わない方が良いよ、白チョコ。ほら、そんなことより、一体どんな駒を用意したんだい。僕に見せてくれ」
 まるで先生が生徒をあやす様に、ミルクレープが白チョコを煽った。
「ああ、わかった、知っていた。お前ってそういうヤツだったよな。嫌なヤツ。言われなくたって見せるし、お前のことは絶対ぶっ潰す」
 そう言って白チョコが、下方に広がっている世界に、手持ちの軍を甘い香りと共に召喚する。
 黒い煙を上げ、世界に召喚されたのは、ココアパウダーの歩兵達と、板チョコの竜馬の群れ。そして、歩兵に囲まれた〈白い王〉。
「……それだけかい?」
 ミルクレープが眉を上げて、白チョコに聞く。
「ああ、今はな。ほら俺は見せたぞ。お前も見せろよ」
 白チョコがそう言い切る前に、ミルクレープは自身の軍を世界に召喚していた。
 桃色の煙を上げて召喚されたのは、複数の、牛乳と卵のポーンと苺のルーク。少数の白砂糖のビショップ。そして〈クリームのキング〉。
「さあ、駒は揃ったよ。君がしたい戦いがどんなものか、楽しみだ」
「これから倒され無様に消えるヤツが、そんな楽しそうな顔をしてていいのか?」
 白チョコがそう言ったのを合図に、ココアパウダーの歩兵達が板チョコの竜馬を先頭にして、一斉に走り出す。
 ミルクレープからすると一見、白チョコの軍勢が考え無しに走り出しているように思えた。
 念には念を、ミルクレープの兵隊は守りを堅める。そしてすぐに、白チョコの軍勢がぶつかった。
 まるで戦略の無い殺戮が、無様にも始まる。
「君がしたかった戦いって、これなのかい? 随分と悪趣味だ」
 肩を竦めて、ミルクレープが言った。
「悪趣味で結構。まあ見てろ、すぐにわかる」
 白チョコに言われるがまま、世界を見下ろしていたミルクレープが、一つの変化に気付く。
 ココアパウダーの歩兵の中に、一人、雰囲気が変わりつつある者がいた。
「あれは……」
「アイツだな。ああ、きっと成るぞ」
 ココアパウダーの歩兵は、殺戮の勢いを止めない。それどころか勢いを増していた。
 次々と薙ぎ倒され、殺されていくミルクレープの軍勢。
「まさか、意図的に成長させたのか。生まれるか生まれないかわかならない殺戮を起こしてまで……」
「いや、一人は生まれる計算だったぜ。そのために金も銀も作らないで大量の歩兵を作ったんだからな」
「なんて数任せで、大胆なんだ……」
 ミルクレープが呆れている間にも、成った歩兵が〈クリームのキング〉に近付く。
「さあ、王手だ。次の一手でお前のキングは死ぬんだぜ」
「それは、参ったね。だけど、殺しで終えたくないのが、僕のセオリーだ」
 その瞬間、突如現れた大量のカスタードのナイトが、成った歩兵を抑えた。
「馬鹿な! 何処から現れたんだ」
「牛乳と卵は、何にだってなれる。君と同じように戦いの中で料理されたのさ」
 そして〈白の王〉が、カスタードのナイトに囲まれていく。
「これで、チェックメイト。勝負は終わりで、次の一手もない。王も死なない」
 唖然とする白チョコに向かって、最後、ミルクレープが子供らしく笑った。
「そして、君の負けだ」

 

 

 

 


nina_three_word.

〈 王手 〉〈 チェックメイト

 

夏の寝床と冬の迷子

 扇風機だけが頼りの、蒸し暑い夏の夜。
 枕元にある携帯のディスプレイが、ぼんやりと暗闇を明るくした。
 一回、そして二回三回と、携帯がモールス信号のように振動する。
 また、あの人だ。
 もしかしたら別の人かもしれない。あの子かもしれない。だけど、この切なそうな振動はきっと、あの人。
 私は携帯を見ることもなく、寝返りを打った。窓の外を見れば、街灯が真新しい緑を照らしてる。
 あの人と分かれて、もう一ヶ月だ。
 あの頃はまだ梅雨に入ったばっかだった。多くの花がまだ目立つ頃、多くの花が枯れかけた頃。私に、小さな不幸が幾つか降りかかって、頭がすぅっと冷めていた夕方。そんな時、たまたまあの人から来た子供っぽい電話が来て、私は恋路に限界を感じてしまった。
「ねえ、貴方との先が、私には見えないの」
 だから、別れましょう? そう言ったのは不機嫌だった私の、気まぐれ。
 心の底から私を愛していたあの人は、あれからずっと、必死に抗ってる。
 今も、今晩も。その必死さが、とても哀れ。
 一ヶ月、一ヶ月か。こんなにも長い間、あの人と会話してないのは初めてかもしれない。話さないことで、距離を置くことで、盛り上がっていた気持ちが落ち着いて、いろいろな物が目に見えてくる。思っていたよりあの人は頭が悪いことや、私はあの人に会わなくても大丈夫なこと。
 でも、やっぱり、とても寂しいということ。それもそうか。今まであったモノが、中央を占めていたモノが無くなれば、心にはドーナツのように穴が空く。
 ぽっかり。でも私は意図的に空けたから、ある程度こうなることはわかっていた。けど、あの人からしたら、突然、気まぐれに後ろから刺されたようなものだ。きっと驚いただろう。びっくり、したんだろうな。
 今もまだびっくりしてるから、私に縋っているのか。別に愛してるわけじゃないのだろうか。
 ……なんて、またこうして夜にあの人を想ってしまって、悔しい。突き放した私が、恋い焦がれる必要はないのに。
 私はあの人が好き、だった。いや、今でも。まさか。
 ああ、哀れなのは、どっちだ。
 また携帯が振動した。今度は二回。たぶん「白木さん」「おやすみなさい」だ。
 あの人は、私が貴方を想い恋い焦がれる今も、この蒸し暑い夏の夜の中で。あかぎれしそうな孤独な寒さの中、哀れにも凍えて、気まぐれな私を求めている。
 そう思うと、私は頬が緩み、幸福感を覚えてしまうのだ。あの人は苦しんでいるというのに。
 だって餌も無しに求めているなんて、とても忠実で可愛いから。
 だから、あの人のことは、もう少しだけ、このまま。どうか気まぐれな私に、付き合って。
 そう思って、今日も私は「おやすみなさい」を、独り言のように呟いて眠りに就く。

 

 

 

 

 


nina_three_word.

〈 哀れ 〉
〈 まぐれ 〉
あかぎれ

シカバネテツバット

 遠心力が俺に自信を付けてくれる。無力の零から、一人分の命を消せるぐらいには。
 何故だか何時からか、俺は家族の教室の町の世間の世界の嫌われモノで、まるで拠り所がなかったんだ。ああ、それは別に良い、嘆く必要はない。自業自得だからだ。俺が容姿端麗じゃなかった、会話する力がなかった、愛されたる魅力がなかった。ただ、無力だった。仕方が無いことだ。
 だが、無力で零ならば、一に、五に、百に千にしようとするのは俺の自由だろう。
 力は常に欲していた。
 俺に出来ることは何だろう。この世界に生を受けた上で、俺は世界に何の影響を与える事が出来るのか。それを疑問に思い、何も出来無いことを悔やみ、苦しみ続けるだけの日々。そんな日々を何年も繰り返してる内に、遂に二十八だ。何も出来無いまま。
 周りの同年代を見れば、まるで俺の生を否定するように輝いている。何かに努力し、生を燃やし、必死だ。一体何の力がそこまでお前らを動かし、お前らの生を実体化させるんだ。俺には、その力がない。生なんてない。
 俺の様は、生きる屍のようだった。
 少しずつだが、俺は力を付けることを諦めていた。いや、そうせざるを得なかった。嫌われモノの俺は社会で人以下の扱いを受け、思考する余裕すら奪われ続けていたからだ。俺の世界は常に威圧的な上司だけ。世界に影響を与えることも無く、上司の言う通りに動き、怒られ、殴られる。それだけだ。
 だが、まさかそんな上司が切っ掛けで、力を得るとは。
 その日、残業の中で上司の暴力はエスカレートし、俺の額から血が流れ出た。ああ、遂に殺され死ぬと、俺は理解し覚悟する。
 きっと、本能だろう。俺は咄嗟に、手の届く位置にあった硝子の灰皿で上司を殴り殺したんだ。壊れた機械のように殴り続け、頭蓋骨に当たる硬い感覚が無くなるまで、何度も。
 上司は何時の間にか動かなくなっていた、暴言を吐かなくなっていた。家族がいて、たまに娘の非行を俺に哀しそうに愚痴る〈人間〉はもう、俺の手で亡くなった。
 俺は身を震わせ理解する。大きな事を成したと。
 世界規模で見たら些細な事だが、生を授かったモノの数を一つ減らした。それは殺されたモノからすれば最大規模の事件。
 俺は片手の鈍器から力を得たんだ。百よりも千よりも限りなく大きな、力を。
 それからというもの、俺は会社を、住んでいた町を逃げ出し、各地を転々とし人という人を、殴り殺し続けた。世界に人に、影響を与え続けた。使うのは常に鉄バットだ。安定した遠心力で人を傷付け、弾力で返ってきた鉄バットを再び振り下ろすのは、自身の力を幾度と無く実感出来る。
 しかし、殴り殺し続ける日々の中で、沸々と違和感が湧いていた。
 何故か鉄バットが手にしっくり来なくなって。
 この力ある日々が続きそうにない気がして。
 次は誰を殺そうと考える頭の働きが、とても、のろい。
 酔っ払ったように、それらの違和感の原因が、俺にはわからない。わかりたくない。ロクでもない理由な気がする。
 唯一つわかるのは、俺がまだ、生きる屍と何ら変わりがないという事だけだ。

 

 

 

 

 

nina_three_word.

〈 鈍 〉
〈 規模 〉
〈 違和感 〉