kurayami.

暗黒という闇の淵から

反希望レシピ

 有り触れた、陽射しの気持ち良い三月の昼間、この休日。
 私はキッチンに立ち、フライパンに落とした砂糖を水に溶かして、焦がしている。甘い香りが、徐々に殺されていく匂いが、キッチンを包む。
 殺しすぎないよう、時間と、火を調整をして、黒くしていく。
 出来上がった、カラメルソースを瓶に移した。作り過ぎた量に、私は苦笑いをした。舐めてみると、それは少しほろ苦い。
 カラメルソースを、瓶の中で冷やす。私はベランダの窓を開けて、網戸にした。冷たく、涼しい風が、部屋に流れてくる。
 あの人は、今どこらへんにいるのだろうか。
 私はキッチンにあるラジオをつけた。間の抜けたDJの声の紹介があって、ポエトリーリーディング調のバンドの新曲が流れる。名前の知らないバンドだけど、とてもこの時間に合うと思った。
 私の彼が、パティシエとして、あのきらきらした大きな船に乗って、三ヶ月が経った。世界一周だって。そんなのは、別の世界のお話だと思っていた。
 ボウルに卵と牛乳、砂糖を落とし、電動の泡立て器を動かす。混ざり合う音、ぶつかり合う音が、ラジオの音と、私の思考を消す。
 騒音の中、私は彼との休日を思い出していた。このキッチンで、同じようにお菓子の作り方を私に教えてくれていた。今作ってるプリンだって、そうだ。彼はなんでも作れるから、私と作れるものを選んで、教えてくれていた。
 ボウルの中、黄色と白色がどんどん混ざって行き、クリーム色になったとき、私の思い出の再上映は終わった。彼が買ってきてくれた、ハート形の容器の底に、さっき作ったカラメルを敷いて、混ざり合ったクリーム色の液体を流し込み、サランラップをかけて、私はオーブンレンジにかけた。
 「真ん中ぐらいの熱量」これは彼が教えてくれたことで、四分半と五分に分けるのは、私と彼が見つけたこと。四分半経ってから、中のプリンの容器を少し動かすと、ちょうど良く焼けるのだ。
 私はベランダに出て、煙草に火を付けた。家の中からラジオの音と、登下校の時間なのか、遠くから子供たちの声。
 帰る、という言葉が頭に浮かんで、すぐに彼を思い出した。本当に、早く帰ってこないだろうか、うさぎは寂しいと死ぬと言うけど、それで死ねるのなら、どんなに楽なんだろう。
 ただ、ひたすらに寂しいのが続くのは苦しくて、窒息死してしまいそうだ。
 とても、寂しい。
 煙草の灰が落ちて、家の中から、レンジの軽いベルの音が聞こえた。私は中に戻り、プリンの容器を少し動かして、再びレンジをかける。五分。卵の甘い匂いがする。
 プリン用の皿を取ろうと、食器棚に手を伸ばす。無意識に二枚取ろうとしてしまい、私は慌てて一枚にする。私、彼のことを考えすぎなんだ。だめだ、だめだ、好きだからといって、頭いっぱいにするのは、だめだ。なんだか、恥ずかしい。
 スイッチを切り替えよう、例えば、そう、本屋に行くとか。そうしよう、プリンが焼けたら、熱が取れるまで、本屋に出かけようか。
 ラジオが、トークを終え、ニュース番組へとなった。

『世界一周クルーズをしていた客船、クイーンルチアが、沈没しました』

 レンジの軽いベルの音。外から聞こえる子供のはしゃぎ声。生存者の希望は薄いというニュースキャスターの声。
 あまりにも、絶望の色とは遠い、暖かい陽射しの差し込むキッチンでの、ことだった。

 

 

妖怪三題噺「ウサギ プリン 豪華客船」

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