kurayami.

暗黒という闇の淵から

ラストデイ

 真夏を忘れてしまったような外の肌寒さに惹かれ、私は玄関から足を踏み出していた。重たいグレーカラーの空を見て傘が必要か思案したが、余計な荷物が増えるぐらいなら、濡れても構わないという結論に落ち着く。
 ちょうど、家での仕事に一区切りがついたときだった。しかし無事納期を守れたというのに、心が何処か落ち着かない。このまま肌寒い夏の暮れを言い訳に、遠く果てに行ってしまいそうな程に。
 その答えもわからないまま、私は最寄りの駅前へと辿り着く。色の無い午後三時。自身の心境のせいか、目に映る人たちはよそよそしく見える。どうしたというのだろう、まるで「明日で世界が終わってしまう」とでも言いたげな、道行く人たちの表情。いや、そう見えるのは私自身の深層意識の影響なのか。
 ふと、駅前の青いベンチに、つまらなそうに座っている少年に目を奪われた。
 その少年が誘い水となって、今日という日付とその役割を思い出す。
 八月三十一日。月の末。夏の暮れ。
 長期休暇、夏休みの〈最終日〉。
 纏わりついていた朧げな不安が明白に、鮮明になって私の頭の隅へと落ち着いた。何か、ナニかをしなければならない、何処か遠くへ行かないといけない。その使命感の皮を被った焦燥感の正体。
 見渡せば確かに、子供の姿がいつもより少ない気がした。ああ、普通は家から出ないものか。やり残していた宿題に追われる者。学校前日という現実に打ちひしがれ家に籠る者。全てをやりきり、目標を無くした者。
 私はどうだったか。
 気付けば遠く、知らない下町へと来ていた。空はより重くなり、微かに赤い亀裂が入っているように見える。私は赤い提灯が手招きする飲み屋の路地に背を向け、閑散とした住宅街の中へと入っていく。
 焼き魚の匂いが、冷たい風に乗って鼻を掠めた。
 夏が、終わろうとしている。
 キィっと“いつかの”聞こえるはずの無い音がした。横を見れば無人の公園が、普段存在するであろう活気を失って静かに息を潜めている。街灯の下には橙色のブランコが照らされていた。
 確かに私の元に届いた、揺れる錆びた音。それを合図に、あの時あの年の少年時代の私が、ブランコに幻影となって重なり見えてくる。もはや私と分離した、遠い昔の私自身の記憶だ。不服そうな顔、夏の終わりに抗い家を飛び出たその姿。逃げ水のような〈非永久長期休暇への満足〉を追い求めていた、純粋無邪気な勇敢な少年。
 ああ、私にはもう、縁のない姿だった。抗いようのない終わりを知り、日々終焉にひたむきに進むだけになってしまった、私には。
 もうナニかの終わりを、目視してはならないのだ。

 

 

 


nina_three_word.

〈 逃げ水 〉
〈 誘い水 〉