kurayami.

暗黒という闇の淵から

ラインリバーシブル

 慎み生きてきた僕の恐れ。
 謹んで申し上げます。
 僕は常々思っていました。「人はおとなしく良い子であれば、怪我せず愛され忌み嫌われない」と。きっとそうなのでしょう。いつの時代も、トラヴルを起こさなければ、まず嫌われない。人の記憶の隅っこ、席に座って話しかけられている様子を思い出されたときに「悪いやつではなかった」と、可愛がられることは間違いないでしょう。
 僕はそれを信条にし、常々思い、慎み生きてきました。
 しかし、人として生きる上で、この信条は正解なのでしょうか。
 忽ち、忽ち、忽ち。
 夏から秋への季節の変わり目、冷たい風が去年の記憶を掘り起こす、そんな頃のことです。僕の友人であるA君の恋が、成就しました。とても嬉しそうに、告白のシーンを思い出して繰り返し語るAが微笑ましく、昼食のサンドウィッチがとても美味しかった事を覚えています。
 しかし次の週になって、僕は偶然Aの恋人の話を耳にしました。なんでもその恋人には酷い依存癖があり、消費し切り次第男を使い捨て、次の男に憑き移るというのです。この話は、クラスの中でも目立たず、尚且つ色んな人から度々相談されるKさんが教えてくれました。彼女は一度、僕に〈生に疑問〉を持っている事を打ち明けてくれた闇ある人なので、信用ができます。
 僕は酷いショックを受けました。親しい友人が哀しむ姿を想像したら、急に制服の内側が狭くなった気がしました。彼を救いたい欲求が、頭の奥の方から込み上げて来ます。しかし、信条に従うとなると僕には何も出来ません。ただ、友人が日々やつれていき、その貴重な青春の時間を泡にしていく景色を、僕は黙って見る事しか出来ませんでした。
 友人が捨てられたのは、真冬の中、指先が寒さに慣れた頃。
 忽ち、忽ち、忽ち。
 疑問に思う一方で、僕はAの恋人の生き方が頭から離れませんでした。他人を生贄にして、自身を傷付けず前進する、その様。
 自由。
 慎み生きてきました。慎み生きていく裏で、本心は浴槽に溜まり続けていました。本当は生物の肉体構造に心から興味があって、親にも誰にも迷惑が掛からないよう、専門書をこっそり読み耽っていました。物足りません。
 Aの恋人のように、自由に乱して生きる人間は、この世界に何人居て良いのでしょう。もしかしてですが、心からの、真の幸福を掴めるのは〈一線〉を越えれる事を気付いた者だけでは、ないのでしょうか。
 忽ち、忽ち。
 刺激に触れないように、自身の中にある衝動を抑える毎日です。トラウマを抱えた友人と昼食を取り、クラスの中でも比較的目立たず、良い顔をして慎む日々。制服を箪笥の奥へ仕舞う日まで、残り一年もありません。しかし、もし次に〈一線〉を越えた人物に次出会ったとき、積み上げてきた半生と、家族や友人たちを手放すことになるのでしょう。
 ええ、その時はきっと、僕の信条は忽ち翻ってしまうのですから。
 どうか、恐れと、好奇心に似た淡い夢に近い幻想のままであって欲しいと願う。
 僕を、翻らせないでくれ。

 

 

 


nina_three_word.

〈 慎む 〉
〈 忽ち 〉
〈 翻る 〉