kurayami.

暗黒という闇の淵から

生解

「あの、もし良ければお話、大丈夫でしょうか」
 早朝、空が白み始めた頃。
 広い河原の土手に座り込んでいた俺は、若い男の声に振り返った。
 そこに立っていたのは、古い学帽と学ランに身を包んだ学生風の男。顔は童顔で、身長は低かった。まるで男子中学生のようだ。
 しかしどうやら、中学生というわけではないらしい。俺と同い年の二十二、いや……それ以上の年齢かもしれなかった。
 その顔と声は、中学生にしては恐ろしいほどに、憂いを帯びていたからだ。
「……なんですか」
「あなた、死にたいと思ったことはありますか?」
 童顔の男が、俺に向かってそう言った。俺は一瞬、怪しさと話すメリットについて考えたが、そんなことよりも早朝の好奇心が勝ってしまった。
「そりゃ、まあ」
「おお、それはなぜ」
 童顔の男が「失礼」と言って、少し距離を取って俺の隣に膝を抱えて座る。早朝の露に、学ランが濡らされていた。
「なんでって。いろいろ理由はありますけど、嫌なことから逃げたいからじゃ、ないですかね」
 あまり、深く考えたことがないなと思った。そんなものは「人の金で焼肉が食べたい」ぐらいの、逃避行のノリでしか考えない。
「なるほど。それで今も、この土手で考えていたのでしょうか。川の流れのように、軽やかに死にたいと」
「いや、こうして河原で朝の空を見るのが好きなだけです」
 川に腕を伸ばして、気持ち良さそうに言う男の言葉を、切るように俺が答えた。
 童顔の男が、俺の返答に目を細めたる。どうやら落ち込んだらしい。
「そう、ですか、そうですか。いや、実はですねえ、私、希死念慮協会の者でして」
「希死、念慮?」
 死にたいと希望する、あれだろうか。なるほど、早朝の河原で黄昏る俺を見て、ソレだと思ったのか。
「ええ、希死念慮協会。死に支配された老若男女を導くのが我々です」
「へえ、やっぱり更生って大変なんですか?」
「更生? とんでもない」
 童顔の男、一層憂いを帯びた顔で答えた。
「我々が導くのは、正解の死、でございます」
 俺は、童顔の男が何を言っているのかわからなかった。
「それって、心中の集まりって、ことですか?」
「いえいえ。実行したいのは正解の死なので、人それぞれです。そりゃ集団で死にたいと言う人もいますが、大体の正解は独りで死ぬことが多いですねえ」
 勧誘されるのかと身構えた。しかし、その童顔の男の言葉には、俺を誘おうとする意思は見られない。
「辛い理由から死にたい人、別に死にたくない人。これらの人は、我々の信条からかけ離れています」
 俺はその言葉に、少し安心する。なんとなく〈こっち側〉と〈あっち側〉に区切って、俺は〈こっち側〉だと思ったからだ。
「俺は、死にたくない人、だったわけですね」
「本当に、そうでしょうか?」
 童顔の男の問い掛けが、この静かな早朝の中にやけに響いた。
 その言葉は「本当に生きたいのか」という問い掛けだ。
 死にたいかどうか考えたことがないように、生きたいかだなんて、考えたこともなかった。本当に〈こっち側〉なのだろうか。
「あなた、足を怪我されてますね」
 童顔の男が、俺の足を見て言った。
「え、ああ、はい。一昨日タンスの角にぶつけて、血豆になっちゃんたんです」
「その血豆、騙されたと思って、わざと潰してじっくりと考えてみてください」
 そう言って、童顔の男が立ち上がる。
「我々の信条は、死に抗わないこと、です」
 童顔の男は「では、いずれまた」と言って立ち去った。
 一人土手に残される。空気は冷たく、空は新鮮な青空を見せていた。
 俺は男の言葉の意味が知りたくなって、足の血豆をぐっと、潰した。
 一瞬の痛み。どろっと、血が流れる。
 遠くから静かに流れる川の音がした。空気は透明で、土手の雑草は風に揺れている。
 その血は確かに、脈打つ生から外れ、流れ出ていた。

 

 


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〈 血豆 〉
〈 信条 〉
〈 協会 〉