kurayami.

暗黒という闇の淵から

砂糖をまぶした桜の部屋

 復讐に動いた麻衣は、何も知らない。

 狂っている、それはあの頃も、今もわかっていて、でも確実な手段が私を変えていく。
 大好きな大好きな麻衣に見てもらうきっかけと、近づいてもらう理由。それらを得るために、私は麻衣の男に近づいた。
 私は運良く、男の好みだったみたいで、後は簡単だった。最低限の距離と、私が被害者でいられるラインで、男を誘惑し続けた。
 それに比例して、私は麻衣の目線を得ていく。嫉妬の目線を。
 何でもいい、私を見るその目線が愛おしく、嬉しかった。初めて興味を持ってもらえて、満ちた。
 綺麗な薔薇の棘に触れ、生きていると笑う、そんな日々。
 そして、事は上手く運んで、麻衣と男が別れた。待ち望んだ結果と、少しの不安。麻衣は私を恨んでくれるかな、全てを諦めてしまったらどうしよう。なんて考える毎日。
 麻衣は、笑っていた。いつものように凛として、生活をしていた。けどそれは、時が過ぎていくに連れて、憂いを帯びていく。
 私を見る目線が少し、減って、その嫉妬は憎悪の色が微かについたように、見える。けどきっと、優しい麻衣は自分から復讐をする、なんてことはできない。
 だから、私がその復讐のために、背中を押してあげたんだ。

 

 可愛いプリーツスカートを着て、お花見デートなんて、私にはもったいない幸せだと思う。
 告白して、デートの提案をもらった。あとはもう、この先のレールに任すだけ。
 可愛く見せること、美味しく見せることは得意。
 さあ、どうするの。
 予定のお花見は、人が多くできなくて出来ないからって、近くにあった麻衣の家に通された。それに少し、どきっとした。そんな自然にエスコートをするだなんて、私が惚れただけのことはある。
 麻衣の部屋、ベッド。横を通るときの微かな匂いがそこにあって、そんなことを考えているなんて知られてはいけない。
 桜が、よく見える部屋。
 ふと、麻衣が私を押し倒し、身体に順に、キスをしてきた。
 快楽と、達成。思わず声が出る。
「可愛い」
 そう、確かに、麻衣の意思でそう私に言って、唇を重ねてきた。
 一瞬の幸福。スローモーションになる世界。
 そして、それが一瞬の幸福だったように、次の瞬間に麻衣が私の首を絞めた。麻衣の意思じゃなかった。まるで他人を真似るような。
 麻衣の目には憎悪と嫉妬の目。一瞬の幸福に囚われ忘れていた、でも、それでいいの。
 私はその嫉妬を、必ず砂糖漬けにして、愛に変えて見せるから。
 だから、今はいっぱいいっぱい、恨んで。
 呼吸が止まるほどに、私を見て。

 

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〈砂糖漬け〉の〈嫉妬〉

紅い華の岸

 波打つ、暗闇。揺れる、虚無。
 黒に灯る、点々とした光は、星々。
 その海は、星空だった。


 僕がこの岸に辿り着いて、まだ三ヶ月しか経っていなかった。
 ここにあるのは、僕だけが住む二階建てのアパート。理想の真っ白な部屋に、ソファと勉強机。ここが田園都市線沿いならもっと良かったんだけど、生憎、電車は来てくれない。

 死んだ記憶は取り戻し、過去への想いは、振り切った。
 次は、なにをすればいいんだ。

 食事を済ませ、眠たくなる頃。僕は岸沿いへと出た。この岸の名に相応しい、紅い華の群生が風に揺られ、暗闇は音もなく波を打っている。水面下では星々が誕生と消滅を繰り返し、光と闇を交互に奏でていた。
 向こう岸……此岸に目を向けると、彼女の姿が今日も見えた。白い薄手のカーディガンを着ている。もう冬を越えたのだろうか。
「ねえ、前髪切ったの、気づいた?」
 彼女には、この海が見えているようだった。ただ、どうやらこの岸と僕の姿は見えないらしい。
 毎日、こうして僕に言葉をくれる。しかし、その言葉に僕は、何も返せない。
 言葉を返せないというのは、ただただ、寂しさを伴う苦痛だった。
 彼女は、椅子に座りマグカップを手に取った。それにはきっと、彼女の大好きなレモンティーが入っている。
「貴方がいないと、退屈よ」
 彼女が僕に語りかけてくれるとき、寂しそうな顔は絶対しなかった。
「私から見て貴方が見えないということは、随分と遠いところにいるのね。何光年? 貴方ほどの人間が、一等星以下なんてことはないと思うけれど」
 常に上から目線の彼女だけど、こうして僕を認めてくれている。死んでしまったことも咎めない彼女だ。
「百光年、ぐらいね、きっと。百日だけ待ってあげるから光より速く、飛んできて」
 此岸からは一方通行、だなんて神の法則は彼女は認めていないらしい。
 僕だって、本当はわかっていた。きっと、次にやることはこの星の海を進むことだって。
 だけど、この水面に溶けてしまえば、僕は二度と、彼女の言葉を聞けない。
 臆病が、日々を進めてしまう。
「……そろそろ、行くね」
 きっと、また明日も来てくれるだろう。彼女は百日とも言わず、この先もずっと、向こう岸で待ち続ける。
 天国も地獄、どちらかじゃないって、死んでわかったんだ。
 彼女の言葉を聞き続けられる希望。だけど、返す言葉を伝えるにはその希望を捨てなければならない。なんて、不条理なんだろう。
 返す希望、前に進む勇気。僕はいつの日か、掴めるのだろうか。
 この、星空の彼岸で。

 
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〈 此岸 〉〈 神 〉〈 彼女 〉

 

カラマワリ

 私の番号は、207番。
 窓はあるけど、開かない。お手洗いはあるけど、仕切りがない。そんな生活を強いられて、もう幾つの夜を越えたんだろう。
「一万と二百番さん、おいで」
 お姉さんに番号を呼ばれた子が、顔をあげた。あの子は入って以来、まともに顔を見たことがなかったけど、初めて見たその顔には恐怖が滲み出ていた。
 決して、一万二百分の番号があるわけではない。その数字は、お姉さんの財布残高が由来らしい。ちなみに私は、お姉さんが昔住んでいたアパートの部屋番号が由来だって聞いた。
 連れて行かれた子の、泣き叫ぶ声が隣の部屋から聞こえた。エンジンのかかる音がして、チェンソーの音が私たちの部屋にまで響く。今日のお姉さんの気分は、切断らしい。
 攫われた私たちは番号を与えられ、ただ、死を待つだけの羊。
 飼い主は、お姉さん。

 攫われ、連れて来られる子は、みんな私と同じ十四歳ぐらいの女の子たち。
 一万と二百番の子の、次の日。連れて行かれたのは19番の子。隣の部屋から「痛い」と訴える声が連呼されたことから、何回か刺されたんだと思う。
 その次の日は、26番の子、割とよく話す方だった子だ。「行きたくない」と駄々をこねていた。私たちもその子も、そうやって反抗することが恐ろしい行為だって知ってるのに、どうして。隣の部屋から「やだ、怖い」と聞こえ、そして長い長い絶叫。「溶けちゃう、助けて」と最初は叫んでいた。そのうち声を出し続ける、何かになった。
 次の日は、お姉さんは帰って来なかった。
 朝になって、お姉さんは帰ってきた。基本的に笑っているお姉さんの目が、笑っていなかったことから、不機嫌なのがわかった。呼ばれたのは101番の子。その子は、へらっと笑っていた。抵抗もせず、恐怖に顔も滲ませない。ただただ、お姉さんに笑って見せた。それを見たお姉さんの目に、笑みが戻る。
 短い叫び声が聞こえた。きっとすぐに死ねたのだろう。
 私は、笑っていた子の気持ちがわかる。死による解放を望んでいたんだ。羨ましい、呼ばれる子たちが羨ましい。
 私は、いつも後回しだった。

 ある日、私と99番の子だけになった。
 きっと、うまく女の子を仕入れられてないのだろう。この調子でいけば今日か明日には、死ぬことができる。
 その日、連れていかれたのは99番の子だった。隣の部屋からは、微かに水面から泡が出るような音が聞こえた。
 部屋には、私一人。ついに明日だ。
 しばらく経って、お姉さんがコンビニ弁当を持って部屋に入り、あぐらをかいて弁当を食べ始めた。こんなことは、初めてだ。
 死が近くなって、麻痺していたのか、私はお姉さんに話しかける。
「ついに明日ですよね」
 お姉さんが驚いた顔をした。
「嫌われてると思ってた」
「いや、正直怖いです」
「そっか、そか、怖いか」
 お姉さんは、お弁当のおかずを箸で選んで、ブロッコリーを食べる。
「いや、207番さんが明日とは限らないよ。今日、頑張って新しい子連れてくるからさ」
 意外な、回答だった。
「……なんで、ですか。私はいつになったら」
「不自然だよね。んん、そうだねえ」
 お姉さんは、残った最後のおかず、トマトを、箸で転がす。
「私、好きなものは最後に食べる派なんだ」
 いつものように微笑みながら、お姉さんはそう言って、トマトを口に運んだ。
 私は素直に、それに絶望することが、出来なくて、嫌になる。

 

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〈 番号 〉〈 後回し 〉

ロード

 遠く、遠く。

 男は煙草とライター、携帯と財布を持ち玄関を出た。それは、真冬の星空が澄み渡る深夜のこと。男がその満天に気づくのは、家を出て随分と経ってからだった。行く宛のない男は、街を横切る甲州街道を目指す。
 深夜テレビを付けて、煙草を吹かして、ぼーっと部屋の照明を見ていた男は、ふと虚無感に襲われた。それに気づかないフリを必死にして、外の闇を求めた。
 考えないように、考えないように。男はポケットに手を入れ、猫背に歩く。
 満天の星空が綺麗だなんてことに、遠いなんて気付きたくなかった、と思って。
 考えているうちに、男は甲州街道にぶつかった。深夜三時、その大通りは人も車もいない、孤独な道。
 果てしなく、長く続く一本。男は、その先の答えを欲し、その道を西に歩み始める。冷静に極められた、その空気の中を。
 男は遥か遠くを、常に見ていた。しかしその視界はぼんやりとしていて、何を見ているのかはわからなくなっていた。ただただ、遠くを見つめて、具体性を持たない、それに手を伸ばし歩き続けた。
 一秒ずつにしか進まない世界の中で、男は未来を求め、遥か先を眺めた。そこに描く幸せ、まだ見ぬ希望。それは、未だ実体を持たない時間。
 一秒すら戻ることのない世界の中で、男は過去に抗い、彼方を悔いた。あの時、あの場所へもう一度、拭いたい絶望。それは、永劫崩れることがない時間。
 果てしない景色を、男は見ている。目を離せないでいる。
 眠りについた甲州街道沿い。男は無人の喫煙所に当たった。ポケットに入れた煙草を取り出そうとして、引っかかったライターがコンクリートの上に落ち、静寂の中に音を一つ彩り、消えていく。
 男は無言でしゃがみこんで、指先でライターを拾う。立ち上がったとき、下向きに見ていた景色が変わった。
 山々のシルエット、その先には星空と、微かな暗雲。
 煙草に火を付け、ぼんやりと男は考えた。
 未来の希望も、過去の絶望も、男には、はっきりと見えていない。ぼんやりと見えるそれは、もはや色彩の確認に過ぎない。
 煙草の灰が落ちる。男にとっての折り返し地点はそこだった。道を引き返す他にない。
 この道の先、この先の時間。男は拭いたい過去も、求める未来も必ず得ることはできない。
 果てしなさは、陽炎のように揺らめく幻、一等星の輝きを持つ星の実体。
 それは暗い暗い道標。ぼやけた景色を求め、歩み続けるこれからの時間。
 男の願いは、永遠に叶うことがない、その虚無感に、男は永遠に、気づかないフリをして。

 果てしない、この道の上。

 

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〈 果てしない 〉

玉響な少女

 今でも思い出すわ。あのいたいけだった頃のこと。
 いたいけを奪われた、ときのことを。

 あれはね、森の胡蝶蘭が開花する前のことだった。高等学校に入学した私は、すぐに、その男を知ったの。一つ上の学年、背が高くて、生徒会役員の書記をしていたかしら、世の中にはこんなにも綺麗で美しい人がいるんだ、なんて感動したのを覚えてるもの。
 藤取先輩。私は話すことなく、ずっとずっと、遠くから、芸術作品を眺めるように見ていたわ。全校集会になれば先輩は生徒役員として、端に並んで目立つから。それだけじゃなくても、放課後によく見かけていた。そうやって追いかけることが、恋なんだって気づくのに、半年もかかって、秋には私から探すようになったの。藤取先輩は、一人でいることが多かった。まるで、何かを待ってるみたいに。
 夢にまで見るようになって、私はきっと、あのときが一番少女だった。先輩の幸せを考えて、私が先輩で幸せになることを考えていた。そんな矛盾を抱えて、それに気づかず、日々混沌とした純粋無垢な恋心を持っていたの。
 少女だった私は、それを秘密の園として、永遠に隠すつもりだったわ。……ええ、そうね、そのときの私は、いつまでも〈私〉でいられるって信じていた。
 だけど、それを暴いたのは、他ならない先輩自身。
 三月上旬。生徒会の手伝いが必要だって先生に呼ばれた私は、生徒会室に向かったの。そこには、先輩しかいなかった。風邪だったか、なんだったか、他の役員の代わりに私。とにかく先輩と話せるってことが嬉しくて、そんなことは気にしなかったわ。私は変だと思われないように、必死に必死に、普通でいた。卒業式に使うという箱を、先輩と一緒に体育館に運んだの。たった少しでも関われて、それだけで私は幸せだった。
 作業が終わって、私は生徒会室に荷物を取りに戻った。帰るとき、先輩も生徒会室に戻ってきたの。私は、私は何か言わないとって思って、今日は話せて良かったです、って伝えたわ。そしたら、それが火蓋みたいに、先輩が私に近づいて、あっという間に。
 先輩は私を優しく抱きしめて、耳元でいろいろな質問をした。恥ずかしかったけど、その甘い声に私は逆らえなくて、私が日々想っていたこと、全部吐かされたわ。その声が、今でもお呪いのように頭に残ってる。きっと、こうして記憶に残すこと、そして、つぼみだった私を開花させる呪いだったの。
 私が、少女を終えることと引き換えに、数多の快楽を先輩から教えられた、植え付けられた。先輩の声、指、力、言葉。
 夢と地獄のような時間はあっという間に終わって、先輩は果て、一言呟いて、帰っていった。
 それ以来、私はまた同じ立ち位置に戻って、少女は死んだ。先輩との未来を迎えずに。

 それは、たまゆらだった。いたいけだったあの頃、終わる時。
 そのたまゆらが、今も私にお呪いを残して、つぼみに戻りたいと願うの。

 

 

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〈つぼみ〉〈たまゆら〉〈いたいけ〉〈おまじない〉

イートユー

 廃ビルの中。私は綺麗なミント色のガムを、口の中に入れた。それが始まりの合図。
 ターゲットの男は、私の姿を見て一目散に逃げ出していた。それが常人の反応なんだろうけど、少しだけ傷つく。
 くちゃくちゃと、音を立てて静かに歩く。ターゲットは遠くに逃げれないはず、まだ近くにいる。
 この咀嚼音だって、耳を澄ませば聞こえるはずだ。威嚇と恐怖の足音と同じ。音が近づけば、追い込まれるだろう。
 口の中で、時間と共にガムの味がなくなっていく。
 ふと、私の憎らしい太く長い尻尾が、壁に当たり音を立てた。相手の気配が、息を殺したのを肌で感じる。
 無味になったガムと共に、そろそろ潮時。私は口の中のガムを歯に挟んで、口の外に膨らませた。
 ふうせんガムというものが、人間だった頃は出来なかった。それが人間もどきになった今になって出来るだなんて、人間らしいとは何だろうか。

 この変な病気で、骨と肉が徐々に人間離れをした。七年前のこと。
 治すために無法地帯にも近いこの国で、人を狩り始めた。五年前のこと。
 人を狩ることで、別の何かとして確立して、安心するようになったのは。
 ……いつからだろう。

 風船ガムが膨らみ続け、そして、弾ける。
 さあ、本気で探そう。人間に戻って、この煙たい国から出るんだ。
 私は自身の憎らしい尻尾で、壁を壊し、咆哮する。ターゲットが怯えたのを感じた、斜め後ろ。
 私は壊れた戸棚を倒した、中から叫び声。
 もう逃げれないことが確定し、私は微かに人間らしさが残る右手の指で、戸棚を静かに開ける。中で、男が怯え、小さく収まっていた。ああ、こういうときなんて言うんだっけ……見ぃつけた。ただ、それを口に出せば、私のしゃがれた声が女心を殺す、自身の声で傷つくんだ、滑稽だ。
 私が人を狩ることで、人間に戻る方法は二つ。
 一つは、金を奪い貯め、医者を探すこと。
 もう一つは、人間が人間に戻るための、血肉を得ること。
 豚肉を好む人間が豚になることはない、それはわかる。けど遠い昔、人間だった頃、好きな人の傷口を舐めて、その人に近づけた気がしたんだ。
 人間だった頃の記憶が、私を人間から外し、人間に戻る可能性を指し示す。
 だから……いただきます。知らない男の人。
 逃げようとする男を、私の尻尾で巻いた。怯える男の腹を、人間離れをしてしまった、左手の長く鋭い爪で、一思いに刺す。男は水に溺れるような声を出して、その声が途絶えないうちに、新鮮な肉を食らう。
 少しでもその男を愛そうと、人間らしい右手で男を愛でる。この食事は、愛情表現だ。逃さないようにキスをするのと、大差はない。
 私の中で、生き続ければ良い。
 ごちそうさまでした。愛しい人。

 

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〈 ふうせんガム 〉〈 尻尾 〉〈 煙たい 〉

後見役人魚の行く先


 彼女は、どこにでも、どこへでも泳いでいくことができます。
 その姿は淡い白色のショートボブの髪に、血色の良い肌、そしてその下半身は魚の尾で、まるでお伽話の人魚姫のよう。
 どこにでも、泳いでいける彼女にとって、空は海のようでした。
 でも、彼女は一度も、海に辿り着いたことがありません。
 街角の電気屋、そこに置いてあったテレビで見た人魚は、海を気持ち良く泳いでいました。
 海は彼女にとって憧れ。

 そして今日も、彼女は空を泳いで海を探して彷徨います。

 人々から姿を目視されない彼女は、困っている人たちをよく助けていました。
 例えば、外出する間際、携帯が見つからない学生と一緒に携帯を探したり。
 火を点けっぱなしで寝てしまった、おじさんの代わりに火を消してあげたり。
 よろけてるお婆ちゃんの重い荷物を、少し軽くしてあげたり。
 決して、それ以上のことはしようとしませんでした。あくまでこの世界の後見役黒子程度として、それが自身の役割だと信じて。
 彼女は、自身がこの世界の主役ではないとわかっていました。

 ある日のこと、彼女が世界を彷徨っていると、あるアパートの一室の中、困っている人を見つけました。
 その青年は椅子に立ち、天井から吊るした縄に首をかけようか、思い留まっています。彼女はそんな青年のために、首に縄をかけてあげました。
 青年は、取り憑かれたように目が死に、椅子から飛び降ります。
 青年はもがき、撒き散らし、動かなくなりました。彼女は自害することに何の意味があるのかと首を傾げ、でもまた何か手伝えることができたと、喜びました。
 ふと。嗅いだことのない匂いが、彼女の小さな鼻に入りました。その正体を知ろうと、彼女は匂いを辿ります。
 辿り着いたのは、ある高校の階段の踊り場。男子生徒が、女子生徒に跨って首を絞めています。しかし、その絞める力は強くありません。
 殺したいんだ、と理解した彼女は、一緒に首を絞めてあげました。男子生徒は言い訳を口に出しながら、彼女と一緒に女子生徒を殺します、ゆっくり、ゆっくり。
 女子生徒は面白い顔をして、動かなくなりました。男子生徒もまた、少し面白い顔をしていて、彼女はクスクスと笑いました。
 匂いがまた強くなりました。彼女はその匂いを辿り、優雅に泳ぎます。
 今度は、希死願望を呟く男の家に辿り着きました。彼女は自身に何が出来るかと悩んで、その男の家に火を付けました。
 燃え盛る中、男は叫びながら助けを求めます。彼女は少し悩みましたが、数分前の希死願望の呟きを尊重しました。
 全てが焼け朽ちたのを見届け、また匂いが強くなりました。それは、もう、すぐそこのように。
 辿り着いたのは、大きな大きな青。それは彼女が夢にまで見た海。
 きっと、人助けをしたご褒美なんだと、彼女は大喜びしました。
 ふと、崖の上から海を覗く少女に彼女は、気付きます。ああきっと海に入りたいけど勇気がないんだ、そう思った彼女は、少女を後ろから落としました。
 落ちていく少女。それを追うように彼女も海に入り、深い深い暗闇の中へと、沈んでいきます。

 後見役を終えた彼女は、海の中で綺麗な泡になりました。

 

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〈 人魚 〉〈 黒子 〉