時を重ねるごとに、俺は劣化していった。
それはまるで使い古された映画フィルムのように、劣化していく。そのうち動きもしなくなるだろう。それを意味するのは終幕の〈死〉ではなく、ただ純粋な〈終焉〉だ。
フレームレートというのは、映像の中の一秒、その間に使う静止画の枚数のことを指す。枚数が増えれば増えるほど、滑らかな映像になる。
滑らかであればあるほど、肉眼で見た映像に近づくのだ。
俺のフレームレートが最も多く鮮明で、毎日が作品だったのはいつ頃だったか。秘密の空き地に集まっていた少年時代か、それとも映像部に属していた大学時代か。いずれもその頃、目に見える映像は滑らかで、質の良い作品だった。
ある日、俺の日々の中のフレームレートが減っていたことに気付いた。まるでぎこちない日々。この劣化を意識し始めたのは、社会人になってからだろう。その日その日が、何の印象も持たずに過ぎていく。そして、それがいつの日からか、いつの間にか、一日が終わっているような感覚になっていた。
フレームが勝手に、抜け落ちていく。
焦燥感に追いやられた俺は、通っていた大学を訪れた。ここに来れば、減ったフレームが復元される、そんな気がしたのだ。新しい校舎が建てられたぐらいで、大学は全く変わっていなかった。よく映像部で撮影をした庭も、まだ健在していた。しかし何か、物足りなさのような違和感が不気味だ。結局俺は、大学でフレームを復元することは、出来なかった。
毎秒がない日々。何が抜け落ちているという、漠然とした恐怖。
気付けば俺は長期休暇を取り、実家に帰っていた。八年振りの、この街。俺はここで義務教育の青春を積み重ねた。しかし、この街にも何か、抜け落ちた違和感がある、いったいこれは。
秘密の空き地は整備され、新しく建ったスーパーの一部になっていた。それでも、街は俺の記憶にある街だ。ここで俺は、目に映像を、記憶を焼き付けていたはずだ。
なのに、なぜだ。まるで懐かしさを感じない。
抜け落ちた違和感の正体はこれだ。何も、感じない。それどころか、当時の映像が思い出せないでいた。あるのは、個々のフレームの記憶だけ。
時の有り難みを、いつの間にか失っていたのだ。人生というドラマの撮影を、終えようとしている。
何もない日々が、いつの間にか俺を劣化させていた。出来上がったフィルムも、これからのフィルムも、全て劣化している。
時を味合うことを失ったこの罪は、俺の……人の堕落でしかない。
nina_three_word.
〈 フレーム 〉
〈 堕落 〉