kurayami.

暗黒という闇の淵から

カックン

‪「トタン街にさ」‬
‪ 平凡な小学校の昼休み、五時間目が始まる三分前のこと。おさげの少女が「お兄ちゃんから聞いた話、なんだけど」と付け加えて、喋り出す。‬
‪「男の子の幽霊が、出るんだって」‬
‪「ええ、やだ、怖い」‬
‪ 三つ編みの少女がそう言って、胸の前で手をギュッと抑えた。‬
‪「会うとね……“遊ぼうよ、遊ぼうよ”って恨めしそうに言うんだって! 半袖に半ズボンで、膝を擦りむいて血を流しているから〈膝小僧〉って呼ばれてるらしいよ」‬
‪「一つ目小僧みたい。こわーい、私たちと同い年ぐらいなのかなー?」‬
‪ きょろきょろニヤニヤしながら、ツインテールの少女が話す。‬
‪「……それ、本当かな」‬
‪ そう落ち着いた声で言ったのは、一人腕を組み、長い髪を後ろで一つに結んだ前髪のない少女、ミツカ。‬
‪ ミツカの発言に、他三人の少女が何かを察し、苦い顔をして黙った。‬
‪「放課後、確かめに行かない?」‬
‪ 好奇心に満ちた目で提案したミツカに、三人は渋々頷き、予鈴の鐘が鳴り響く。不安と恐怖、家にまっすぐ帰りたい気持ちと、好奇心。それぞれの少女の想いを放課後までの授業に隠して、時計の針は進んだ。‬

‪ トタン街。そう呼ぶのは子供たちだけでは無く、高校生から大人までの近隣の住人たち。元はと言えば、缶詰めを主に製造する工場地帯だったが、まるで示しを合わせたように会社が次々に撤退していき、残ったのはトタン壁の廃工場の群れ。‬
‪ 大人たちは必ず、子供たちに注意をする。「まだ動く機械もあるから入ったらいけない」「浮浪者に攫われる」「幽霊が出るぞ」と。‬
‪ ただただ、不気味な、人の気配がしないのにナニかいるような、人がそのまま消えた廃工場の群れを、住人たちは意味も無く嫌っているだけだった。‬
‪「ねえ、ミツカちゃん。今、音しなかった……?」‬
‪ トタンに挟まれた細い路地。三つ編みの少女が、恐る恐る目の前にいるミツカに確認をする。‬
‪「音、した?」‬
‪ 先頭を歩くミツカが、振り返って通る声で後ろ二人に聞いた。‬
‪「わからない……けど、ねえ、やっぱり帰ろうよう」‬
‪ おさげの少女が、左右を交互に見て小さな声を出す。‬
‪「まだ来たばっかなのに」‬
‪「あ、私ね。四時から塾だからね、もう少しで帰るね」‬
‪ ミツカの声を遮るように、ツインテールの少女が玩具の腕時計を見て大きな声を出した。‬
‪「えっ、じゃあ私も一緒に帰る。昨日の宿題やってないもん」‬
‪ おさげの少女が嬉々とした声を出した時。‬
‪ ガタン。‬
‪ 音は少女たちの、目の前の廃工場からだった。‬
‪「私ちょっと様子見てくるね」‬
‪「え、やめなって」‬
‪ 行こうとするミツカを、三つ編みの少女が止める。‬
‪「そうだよ、やめようよ。一緒に帰ろう」‬
‪「ミツカちゃん〈膝小僧〉だったらどうするの」‬
‪ 他二人の少女も同じように止めようとするが、好奇心に満ち切ったミツカは聞かない。‬
‪「大丈夫だって。じゃあ、何もなかったらすぐ帰るから」‬
‪ そう言ってミツカは、三人の少女を残して、トタンの隙間……廃工場の向こう側へと一人入っていく。‬
‪ 破れた屋根から差し込む外の光だけの、薄暗い廃工場の中は大きな機械が点々と置かれていた。‬
‪ ミツカは機械と機械の間から、注意深く覗いて歩き回る。‬
‪ カツン。石を蹴るような音に、ミツカは振り振り返った。‬
‪ 小さな石が繰り返し壁に当たる音を、ミツカは注意深く耳を澄ませ、近付いて行く。‬
‪ 音はいつまでも止まない。しかし、近付くごとにリズムは遅くなる。石が転がる音に混じって、小さな溜め息もミツカの耳には聞こえた。‬
‪ 機械の隙間。ミツカは、ついにソレを見つけた。‬
‪ 上半身は角度的に見えないが、半ズボンを履いた少年の両足が、石遊びをしているのがミツカの目にはよく見える。‬
‪ まるで、生きているかのような実体感。‬
‪ なんだ、ただ男の子が遊んでるだけだ。そう確信してしまったミツカは、機械の影から出て……〈膝小僧〉の後へと立った。‬

‪ 上半身の無い、下半身がゆっくりと振り返る。‬

‪ 大きく吐息を吐くのは、ぱっくりと口のように開いた、両の膝からだった。‬
‪ 膝の口から溢れる、二本の長く真っ赤な舌は、触手のように動めき、手招きをしている。‬

‪ 好奇心を超えた規格外の怪異。‬
‪ ミツカは、身動きが取れなくなった。‬
‪ ‬
‪ ‬
‪ ‬
‪ ‬
‪ ‬
‪nina_three_word.‬
‪ ‬
‪〈 膝小僧 〉‬
‪〈 鉄火肌 〉‬
‪〈 規格外 〉‬
‪ ‬
‪ ‬

星流し

 君の、その、大きく開く口が嫌いだった。
 出会った頃から、あまり得意なタイプでは無かったんだ。人との繋がりや対話を嫌う僕とはまるで正反対で、君は自ら人の〈許されない空間〉へ踏み込んでいくような女だ。あの時だって、僕が固く閉ざした〈許されない空間〉に君は入ってきた。僕の中という中を、内側という内側を、物色して品定めして、勝手に僕を相手に決めたのは、君だったじゃないか。
 さぞ都合が良かっただろうね。口応えしない肉人形は。
 たいして僕の事は好きではなかったろう。なんなら、恋愛感情すら僕に持っていなかったでしょう。
 僕だって、同じだよ。
 口の中に指を入れてくる癖が嫌いだった。上乗りになるときにわざと鳩尾を手で押す性癖も嫌いだった。笑って抱きついて襟足を掴んで離さない仕草も嫌いだった。
 平気で他の男と寝るその腐った精神が嫌いだった。謝るときに絶対に僕を見ない角度が嫌いだった。僕が知ろうと思って調べていた事を、先回して教える得意げな表情も嫌いだった。
 悪さを誤魔化す手つき、寝ている僕を見下す視線、気分が悪いときの僕を見透かす細い目。
 全部が嫌いで醜い。
 そんな君は決して僕が離れないように、透明で毒のような粘着質で僕を拘束した。

 今もその透明は見えないで、僕のなにを拘束されているのかわからない。

 だから、手を、離せないでいる。

 君の、醜い死体から。

 夏の終わりに星を見に行こう、山に登ろうって言い始めたのはもちろん君で、僕の意見なんか聞こうともしなかった。ただ、珍しいとは思ったんだ。そうやってデートに誘うことなんて滅多に無くて、ましてや遠出なんて。
 僕が車を出して、都内の奥。ダム周りの山の奥へと辿り着いた。車の運転だかんかじゃないだろう、なんで僕なんだろうって、疑問は晴れないまま。君に、広い崖の上へと連れて行かれた。下には、広く大きな川が流れている。
 ねえ、星、見ようね。
 そう言った君は、山の中へと入っていった。荷物でも取りに戻ったのかな、なんて星を見上げていて、そんな事はないって気付いた僕はすぐに山の中へと走り出したんだ。だって、車の鍵は僕が持っているから。
 散々山の中を探して、探して……大きな椚の木に、首を吊るして変わり果てた君の姿を見つけた。探し出してから、三時間後のこと。
 僕は君を降ろして、しばらく起き上がって来ないか様子を見ていたんだけど、どうやら、死んだみたいで。
 僕は君を引きずって、ずっと考えたんだ。この役に僕を選んだ理由。星を見ようだなんて言ったこと。だけど、どう考えても、僕には「僕が都合が良いから」という理由しか出てこなくて、なぜか涙が出てくる。
 散々山の中を引きずって、辿り着いたのは、崖の下にある川だった。もうどうしようもないと諦めて、そこに魂がない事を自覚した僕は、醜い君を冷たい川へも沈めて流すことを決めた。


 せめて、この水面に映る美しい星空が、醜い君を、彩ると信じて。 

 

 ねえ、星が綺麗だね。

 

 

 

 

 

 

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桜流し 〉〈 水葬 〉 

 

 

始終

‪ 始まりがあれば、終わりがある。‬
‪ 曇り続きの一月、私たち三年生は高校生活最後の授業から解放された。また三月に、という無言の空気に少しだけ不安になる。‬
‪ 時間は、あっという間だ。‬
‪「お待たせ」‬
‪ 廊下の窓から中庭を覗いていたら、後ろから優しい彼の声。先生と長話をしていた彼は、少しだけ顔が疲れてたように見えた。‬
‪ 校内にはもう人の気配も、暖かさも無くて、廊下ですら白い吐息が生まれる。‬
‪「このあと、どうする?」‬
‪「どうしよっか」‬
‪ 彼の問いに、意識を放棄して、深く考えていない言葉が飛び出た。‬
‪ ただ、なにか、この〈限定的な時間〉を終えるのが寂しいと、感じて。‬
‪「学校の中、少しだけ回ってみない?」‬
‪ 私の提案に、彼もまた、深く考えずに頷く。‬
‪「いいよ。制服でここに居れるのも、もう残り僅かだもんね」‬
‪ そう。制服のスカートを揺らせるのも、女子高生という許される時間も、残り僅かだ。‬
‪ 授業有っての放課後は、今日で最後。‬
‪ 誰もいない、青白い曇り空の光が届く校舎の中を彼と歩き渡った。教室から遠かった移動教室。数回しか利用しなかった図書館。友達が通っていた空き教室の前。‬
‪「鍵、かかってない」‬
‪ 覗くだけのつもりの体育館は、鉄の扉を固く閉ざしているだけ、だった。‬
‪「忍び込んじゃおうよ」‬
‪「怒られるでしょ」‬
‪ 不安そうな顔をする彼の手を引っ張って、中へと入っていく。‬
‪ 人がいなくて、電気もついていない。外の青白い光を頼りに、薄暗く高い天井を見せている広い空間が、どこか神秘的に見えた。‬
‪ 私と彼は体育館の中をまっすぐ歩いて、舞台へと登る。‬
‪「すごいね。誰もいないけど僕たち今、主役みたいだ」‬
‪「主役。ねえ、私たちは、どんな役だろう」‬
‪ 彼の無邪気な感想に、私は可愛くない返事をした。‬
‪「恋人」‬
‪ へらっと笑った彼の答え。ああ、何も疑っていない、真っ直ぐな気持ちだ。私の、好きなもの。‬
‪「そう。じゃあ、じゃあ、私がお金持ちの悪い人役やる」‬
‪「ええ、話聞いてた?」‬
‪「だから、貴方は奴隷役ね」‬
‪ 彼を無視して、私は舞台の真ん中へと行く。‬
‪「えっと……“ずいぶんと時間は経ったけど、掃除は終わったのかしら?” 」‬
‪ そう言って、私はちらっと彼を見た。「仕方がないなあ」とでも言いたげに、彼が笑いながら腰を上げる。‬
‪「 “終わりましたよ” 」‬
‪「 “……あら、じゃあこれはなに?” 」‬
‪ 埃を指の上に乗せる演技をした私に、彼が動揺する。‬
‪「 “申し訳ございません! やり残しがありました” 」‬
‪「 “許さないわ!” 許さない」‬
‪ 私は彼に近付いて、抱きつき、押し倒した。‬
‪「わ、ちょ、ちょっと」‬
‪ 即興劇は、続く。‬
‪「 “悪い子にはお仕置き” ずっと、ずっと、離れないように首輪をつけないと」‬
‪ 私はそう言って、首を絞めるフリをして、彼の胸へと縋るように、甘えた。顔は見えないけれど、私のそんな様子に彼はきっと、呆れて笑っている。‬

‪ 終わっていくんだ。‬

‪制服のスカートを揺らせるのも、女子高生という許される時間も。‬
‪ 彼と手を繋いで放課後を過ごすのも。‬
‪ 全ては卒業式と共に終わっていく。‬
‪ その先の時間だって、ずっと一緒に過ごせるかわからないまま。‬

‪ 始まりがあれば、終わりがあるのだから。‬
‪ ‬
‪ ‬
‪ ‬
‪ ‬
‪nina_thee_word.‬
‪〈 即興劇 〉‬

スバル神話

「今日の空はなんだか、明るいね」
 薄暗い夜空の下。バチバチと音をたてる焚火を前にして、少年が森の隙間の向こうを見て、呟いた。
 少年の言葉に、目の前にいた年配の男が低い声で答える。
「西の大都市で“フェス”があると聞いたから、それだろう」
「夜に? じゃあ、また人が死ぬんだ」
「だろうな」
 ぶっきらぼうに言葉を返した男が、オニオンスープが入った銅のマグカップを手に取り、溜め息をついた。
「昔はな、夜が勝手に明るくなったり、暗くなったりしたらしい」
「夜が、勝手に?」
「ああ。月、と呼ばれる天体があった」
 男は昔を懐かしむようにそう言って、マグカップに口をつける。
「テンタイ……って、漢字でどう書くの?」
 少年も同じように、マグカップを手に取った。
「天空の天に、物体の体。夜空に浮いてたんだよ」
「浮いてたの? 空に? どうして?」
「宇宙って知ってっか」
「知らない。教えて」
 質問続きの少年に、男が眉間に皺を寄せてニヤりと笑う。
「宇宙ってのは、この地球の外側だ。あの真っ暗なのを宇宙って呼ぶ。逆に昼間のあの青いのは地球だな。……地球はわかるよな?」
「うん。“ここ”だよね」
「そうだ。で、俺たちがこうして地球に立っていられるのは地面があるからで、宇宙には地面がない。つまり、宇宙じゃ立ても座れもしない」
 少年のために言葉を選びながら、男は言葉を続ける。
「なるほど? じゃあ、あの煤色の空はウチュウって呼ばれる場所で、立つ場所が無いから、ツキは浮いてたんだ?」
「まあ、そういうことだ。んで、月ってのは丸い形をしているんだが、勝手に欠けたり満ちたりして、三十日に一回、空を今日みたいに明るくしていた」
 そう言って、男は「これぐらいの大きさのな」と指で輪っかを作った。
「しかも、お前が驚くことに天体は月一つじゃなかったんだぜ」
「お、驚いた!」
 マグカップの中のオニオンスープを揺らして、少年が驚いた。
「星、と呼ばれる天体が海の砂の数ほどあったんだ。ひとりでに燃えて、月ほどは大きくなくて、小さく空に浮いていた」
「小さいって、どれぐらい?」
 少年の問いに、男が「これぐらい」と人差し指と親指の腹で星を作る。
「たくさんの小さいのが、キラキラしてたってこと?」
「曇ったり、空が汚いと見れなかったけどな。でも実際の星は、この地球なんかより大きいんだ。それぐらい小さく見えるほど、遠くにあっただけで」
 オニオンスープを飲み干した男が、焚火から少し距離を置いた。
「それは、とても綺麗で、すごく大きいね。でも、そんなに大きかったのに、どうして今はツキもホシもないの?」
「さあな、少なくとも俺がこの時代に来た時には無かったよ。書物で“地球のことを嫌いになったから、遠くへ消えた”だとか“全てスバルが飲み込んだ”なんて読んだけど、信用すんなよ」
「うーん、うん。わかった」
 少年が役目を終えた二つのマグカップを布に包み始める。
「ねえ、ホシについてもっと教えて」
「いいけど、寝るまでな。じゃあ、星の雲の話なんかどうだ」

 

 

 

 

 

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〈 煤 〉

〈 昴 〉

当たり前の日常

 ぐるりと辺りを見渡せば、クラスメイトたちが授業を受けている。
 あれ、ずっとそこにいたっけ……なんて疑問を不思議に思って、きょろきょろしていたら、先生に集中しなさいって注意された。でも、どうしてだろう。僕を含め、クラスメイトも、先生も、そこに存在していてはいけない気がしたんだけど。
 でも、存在していることは、多分悪いことじゃない。
 それなら、僕の中に湧き出た〈存在してはいけない理由〉はなんだろう。
 そんな漠然とした疑問を午前も午後もずるずると引きずった。昼食のときなんかは友人と話すのに夢中になって忘れていたけど、ふと訪れる〈何も無い時間〉に考えてしまう。存在して良い理由を逆に考えられない。なんで、僕らは存在しちゃいけない、だなんて考えたんだろう、
 もしかして、気付いたこと自体、間違いなのか。
 僕らではなく、僕。
 知らなければいい、ということ。知らずに暮らしていれば問題ない、ということ。しかし気付いてしまったからには、かの二人の教祖のように、僕は悟りを開かないといけないのでは。そうやって箒を片手にぼーっと考えていたら、班長の女子に怒られてしまった。ああ、女子は呑気で良いよな。放課後に食べる生クリームのことだけ、考えていればいいんだから。羨ましいよ。
 掃除をするフリを終えた僕は、放課後になって友人と下校して、回り道をして、一人になった。〈何も無い時間〉だ。見慣れた帰り道、緑がトンネルを作る坂道を登っていく。向こう側には夕方のオレンジの一色が出口になって見えていた。
 緑のトンネルの中を潜っていく。ぐるりぐるりと、思考が移り代わっていく。代わる代わる思考に答えを求めていく中で、僕は意外と、何も知らないことに気付いてしまう。
 いや、本当に、何も知らない。
 僕を造った二人を。僕を孤独にしない友人を。僕という個人を。
 十何年も、知らないモノに囲まれて、知らないナニかでいたことに、僕は呆然として悪寒に襲われる。なんで今まで、気付かなかったんだ。
 坂道を登りきったとき景色の半分が住宅街に囲まれた。僕が生まれ育った街。当たり前のように存在するこの、街。街灯も電線も、当たり前のように存在する。
 そのとき、ぐるりと〈当たり前の日常〉に囲まれて、やっとわかった気がした。
 僕は、長い長い、始まりの見えない文明の上に存在しているだけじゃないか。
 文明も文化も、まるで〈ダレか〉が組み立てたように〈当たり前の日常〉になっている。その〈ダレか〉が世界を用意したとでも言わないと、僕が何も知らないことを、証明出来ない。
 僕は誰かに用意された……
 ふと、突然一人になってしまった気がした。気付けば赤い街角には人の気配がない。遠くでやけに響くカッコウの鳴き声が、静かなで孤独な空を象徴し、僕の不安を掻き立てる。

 どうかその鳴き声だけは、カッコウのモノでありますように。

 

 

 

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〈 文明 〉
〈 ぐるり 〉
カッコウ

白い防音と社会の歯車

 俺がそのビルの最上階に足を向けた理由は、近くを通った。そう、それだけのことだ。
 オーナー不明状態のビルのエレベーターは、だいぶ前に壊れてそのままらしい。そういえばあの頃から、不備がどうのってよく壊れていたな。三階にあった大型チェーン店の居酒屋は撤退したのか、仕事終わりによく立ち寄っていたんだが。他の二階や四階には怪しい事務所が突っ込まれているだけで、他の階は人の気配も無い。
 それはもちろん、この七階の音楽スタジオにも。
 若干黒ずんだ鉄の鍵を重たいドアへと差し込むと、硬い音が響いた。居場所を無くしたようにずっと、財布の小銭入れに入っていた鍵だ。やっと役目を果たせて良かったなと、ひとりでに思う。
 全てを引き払ったスタジオは、壁が取り壊され、だだっ広い空間だけが広がっていた。天窓から差し込んだ日光が、防音の白い壁をぼんやりと浮き上がらせている。
 ドアを閉め、奥の物置へと向かう。ああ何も無くてもこの空間は、間違い無く俺がオーナーをしていた空間だ。歩く歩数、天井の高さ。あの頃と変わらない。しかし、何故だろうか。思い出も、記憶も特に新しく湧き上がらない。何故か懐かしいと思えない。
 そう思ってしまうのは、今の俺に問題があるからだろうか。
 奥の物置には、やっぱり折りたたみ椅子が残されていた。どうせまた立ち寄るからと、思って隠しておいた物だ。
 物置から取り出した折りたたみ椅子を抱え、今はもう機能していない換気扇の元へと行く。浅く腰をかけ、胸ポケットから取り出した黄色いアメスピに火を付けた。
 あの頃はまだ、マイセンだったっけ。最初の内は結構景気良かったのにな。偶然この街が音楽を捨てちまった長い時期が訪れて、俺も何だが飽きてしまって、それで。
 いつか何かしてやろうとこの階の所有権を握ったまま、個性も何も無い社会の歯車になって、九年。
 何かをするのに、猶予はこれ以上あるというのか。
 何も無い空間を見つめ続けている内に、吸えなくなったアメスピの灰が床に落ちた。長い時間留まってしまった気がする、もう、行かないと。
 過去がその空間を振り返りもせず、俺は鉄のドアノブへと手をかけた。
 ガキ、と重たい音。
 ドアノブが、動かない。
 もう一度、何度も、ドアノブを捻る。しかし鈍く硬い鉄の音が響くだけで、一向にドアが開く様子はない。不備の多いビルの悪い癖が出ている。
 苦笑いと共に折りたたみ椅子の元へと戻った。しかし何故か、出れないことに対して自然と焦りは無い。
 このままでも、良い気がしてきたからだ。
 当ての無い先へと歩むぐらいなら、白い防音に隔離された中、自殺執行猶予の中で、もう少しこのままでいたい。
 考え疲れるよりはマシだ。
 
 

 

 

 

 

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〈 不備 〉
〈 防音 〉
〈 猶予 〉

 

カラメルハート

 その日は具合が悪くて、いつもより世界が憎らしく思える日だった。
 朝のホームルームのときの、冷たい机も。私の具合を知らず話しかけてくる、無邪気な友達も。少しだけ憎らしいと思って、だけどいつものように下手な笑顔で返して、日常に溶けてしまって。
 私の席、真ん中の一番後ろ。遠くに見える先生の表情は、ぼやけてよく見えない。黒板に書かれていく白い文字は見えないことないのに、不思議な話。
 なにより一番目に見えるのは、左斜め前、数メートル。
 君の、耳と短い襟足と首筋は、骨の動きまで見えるような気がする。
 ひどく、都合の良い目だ。
 いつものように、授業と休憩が交互に挟まれて、時間に積まれていく。授業が終わる度に遊びに来てくれる友達。その度に、お返しをするように私も友達の席へと遊びに行く。先生たちの授業は退屈。だけど進んでいく授業は〈日々毎日が違って同じ日はない〉ことを、大切なことを私に教育してくれる。そして、本当の休憩のように、トイレに逃げるときもあって。
 そんな積み重ねの、午前中の中でも、私は隙さえあれば、君を見ている。
 君はいつも男子の輪の中にいる。だけど、中心とかじゃなくて、まるでいつでも逃げれるような、安全地帯の位置にいるよね。それに気付いてるのは君を含めて、私だけなんじゃないかって、少し得意で……こんな浮ついた気持ち、悟られちゃいけない。
 ずっと、きっと。卒業するまでの片想い。
 時間が経った昼食のお弁当みたいに、味の薄いお惣菜みたいに、私は私自身を殺している。それ自体は悲劇だとも何とも思わない。殺すというから物騒なのであって、摘んでいる程度に思った方が良いのかもしれない。私には私が思っている以上の価値もなくて、謹んで静かに生きるべきなんだ。誰かが私に価値を見出す、そのときまで、埃を被ったままで良い。
 午後になって、午前と同じように時間が積まれていく。けど、眠たかった目はもう覚めているし、授業だって残り二回だけ。午後の学校は本当に一瞬で、つまらない放課後へのプロローグでしかない。
 私にしたら、君を見つめる時間が終わるエピローグ。
 全ての授業を終えて、学校が掃除の時間と共に、慌ただしく生徒を外に出す時間。友達を廊下で待っているときに、一瞬だけ、君と話せた。「なにしてるんだ」「そっか」「じゃあね、また明日」それだけ。ああ、満足だ。
 君に、私の想いを知られる必要は一生ない。
 こんな私なんかに好かれているだなんて知ってしまったら、君はぬか喜びをして、浮かれるのだろう。本当の私も知らずに。つまらない私も知らずに。
 そうなってしまえば、君は可哀想、だから。
 放課後の先も、卒業式の先も、この熱を孕んだ想いはずっと永遠に、秘密のまま。

 

 

 

 

 


nina_three_word.

男の子から想いを〈 悟られぬよう 〉に過ごす。