kurayami.

暗黒という闇の淵から

神の気まぐれ

「ねえねえ」
 木造の椅子に縛られた、両腕のない男が、女に語りかける。女はそれを無視する。
「お腹、空いたんだけど」
「お前は、自分の立場をわかっているのか?」
 女は我慢できずに、返事をしてしまった。
 クーデターを組織していた男と、そのクーデターに巻き込まれ家族を殺された女。二人の復讐され、する関係は、今や死にゆく者と、死神の関係へと変わっている。男の寿命を模る蝋燭は、残り一本と八分だった


 女が最後の蝋燭に火を移し、一つ思いついて男に質問をした。
「最後に、最後になにか食べたいものはないか?」
 男はぐいっと上を見上げ、考える。
「蜂蜜をたっぷりかけた、食パンが食べたいなあ」
「そうかそうか」
 ニヤニヤする女。見え透いた苦しませ方だ、と男はため息をつく。
「君は、なんというか、抜けているよね。言われない? 思わない?」
「……なぜそう思う?」
「なんでもないよ」
 外は珍しく、晴れていた。第十三区という国は、基本汚染された空気により厚く厚く、空を灰色に染めているが、たまに、空に穴が空き、青を覗かせるときがある。
 この国の人間はそれを“神の気まぐれ”と呼んでいる。国からしてみれば、神なんて、仕事を放棄しているようなものだった。
「今日は、神の気まぐれが長いね」
 男は、神の気まぐれが好きなようだった。
「……今日みたいに、神の気まぐれが起きた日だった」
 女が窓辺に近づき、呟いた。
「貴重な洗剤を使って、洗濯をしていたんだ、私は。ああ、とても気持ちの良い昼間だったよ。きっと、帰ってきたパパとママに褒めてもらえると、そう信じて待っていた」
 もちろん帰ってくる、と信じていた、と女が付け足す。
「だが、その日、西の市場で爆発が起きた。遠く離れた、私の家まで聞こえた」
 男は黙って、その話を聞く。
「西の市場は、私のパパとママが出稼ぎしていた場所だった」
「……なるほど」
 聞き終えた男の声色が変わった。男は息を少し吸って、その声色で続ける。
「今から四十年も前。この国が帝国と呼ばれていた頃、戦争に敗け、アジア国の支配の元で、それでも反発し屈辱を受けた、そうだね?」
「この国が、アジア国にとって第十三の支配を受けたとき、だな」
 それがどうしたんだ、と言おうとした女を遮り、男は続ける。
「なぜ、アジア国が、この国の全てを奪い、蹂躙できたのか」
 蝋燭は、もう半分もない。
売国奴、裏切りものがいたんだ。そいつがその日、西の市場に来ていた」
「だから、テロを起こしたんだろう!」
 女が感情的になり、怒鳴った。
「ああ、元々そのつもりだった。暗殺するつもりだったんだ。許せないし」
 元々? 射殺? 女の中で何か、食い違いが起きる。
「奴は、国によって消された。口封じのためにね」
「……嘘だろう」
 女は、信じれないでいた。神の気まぐれどころか、国の気まぐれで殺されたと、信じれないでいる。
「僕たちはその罪を被らされたんだ。まあ、信じれないのも無理はないか」
 蝋燭が、溶けていく。
「ねえ」
 女が見上げたとき、男は既に絶命していた。限界だったのだろう。
 男は最後まで、女に対して罵倒も、憎しみも向けなかった。まるで自身が罰を受けるのは当然だという姿勢だった。女は、なにひとつ、復讐を果たせず、なにもわからないままだった。
 神の気まぐれが終わる頃、女は男を埋葬した。

 

 

妖怪三題噺「洗剤、窓、蜜」

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