日の明るさがまだ残る夕方、男が目覚めるのを、彼女はベランダから見ていた。
「美優?」
男は暗闇に声をかけた。おそらく、自身が脱ぎ捨てた服を探しているのだろう。返事がなく、諦めた男はベッドから降りて、電気をつけようとスイッチを押す。男は二、三回押して、つかないと諦め、首を傾げながら扉へと、手をかけた。
つくはずがない、家の電球類は全て、彼女が取り外したのだから。
男がドアノブに触れた瞬間、強めの静電気が手を刺激した。驚いた男が手を離し、小さく舌打ちをする。
これも、彼女が仕掛けたことだ。
彼女は、恐怖に対する有識者だ。
廊下に出た男を、彼女は音を立てずに、追いかけた。薄暗い廊下の電気をつけようと、男はスイッチを押すがつくはずもなく、そのままリビングを目指した。
男がリビングに入ったのを確認した彼女は、寝室のベッドに腰をかけ、非通知で電話をかける。
台所、床に置いた男の携帯が振動し、少しだけ部屋を明るくする。男が携帯を手に取り、電話に出た。
「もしもし?」
『洋一、助けて、助けて……』
彼女は真顔のまま演技をする。最後に一言『痛いよ』と付け足して、携帯を切り、浴室へ入る。
「おい、おい!」
リビングから、男の声。恐らく彼女の携帯にかけ直そうとするだろうが、携帯の充電を一回の通話分に、彼女が調整したので、すぐに充電が切れるようになっていた。もちろん、家の中の充電器は全て壊してある。
彼女が想像するに、この後男が取る行動の選択肢は二つ。一度落ち着いて、充電器を探すか、衣類を探し外に出るか、だ。
正解は、ほぼ後者だった。男は彼女の薄手のコートを裸の上から羽織り、家から出ようとした。咄嗟の判断のように、彼女には見えた。
しかし、家の扉は開かない。ドアの隙間に鉄板を挟んであるからだ。冷静になれば気づくものだが、焦れば焦るほど、その仕組みには気付かず、男は、追い込まれていく。
「洋一が悪いんだよ」
彼女はぼそっと呟いて、浴室に事前に用意していた皿を、浴室から片手だけ出し、リビングへと投げた。
心地の良い、砕ける音。
ドアを開けようと必死だった男が、一瞬驚き、振り返る。日が沈み、暗闇に覆われ始めた家を、男は見た。その一瞬の静寂を逃さぬよう、彼女が間髪入れずに、遠隔操作のミュージックプレーヤーを操作する。
甲高い、男の奇声が、プレーヤーから流れ、家に響く。
また静寂。そして男の、悲鳴。ドアを開けようと、ドアノブを動かす音。
彼女は黒いローブに着替え、顔を隠し、バールのような鉄棒を片手に持って浴室を出た。出来る限り足音を立て、バールのようなものを引きずり、ゆっくり、男に近づく。
気付いた男が発狂する。人の家。彼女は殺されているかもしれない。自身は全裸。ドアは開かない。知らない人間。男を恐怖に引き込む。全ては、恐怖有識者の、計算、手の上。
彼女は狭い廊下の中、器用に男の腹にバールのようなものを打ち込み、倒れた男に続けて撃ち込む。
虫の息の男を見下ろした彼女。恐怖はまだ、これから。