kurayami.

暗黒という闇の淵から

上書き保存

 聞かれてないから、隠し事。言ってないから、隠し事。
 僕の場合は、言えないから、隠し事。
 過去だなんて、記憶だなんて、知ったからどうにかなるわけじゃない。共有したところで、僕の身体にあるものはどうにもならないし、僕の認識は変わらない。彼女は帰らない。
 だから君はとても、可哀想だ。


 彼女と出会ったのは、君に告白された後なんだ。
 たまたま酒場で出会って、意気投合して、酔った勢いで家に来て、気付いたら朝抱いて寝ていた。過ちで性交渉をしたから遠ざけるとか、僕には元々なかったんだけど、彼女はその出来事を受け入れて、それから度々僕の家に来るようになった。
 同い年の彼女はとても積極的で、自然に求めるのが上手だった。気付けば彼女に手を握られ、性快楽の中にいる。
 ベッドの上、一緒に風呂に入っているとき、彼女はよく僕の耳元で囁いた。それは愛を示す言葉であったり、要望であったり、命令であったり。普段より低くなるその声が好きで、ただ耳元で囁くだけなのに、言葉に真実味が増す。
「よだれって、特別だと思わない?」
 その日、彼女はそう囁いて、僕にキスをした。口内のものが全て混ざるような、激しいキス。
「血って、生き物としての情報量はすごいかもしれない」
「でも、口から出るよだれにだって意味はある」
「例えば、その菌の数とか」
「あと、言葉を吐いて出るものだったりするから、その副産物とか」
「だから、交換すればするだけ、キスをすればするだけ」
「私たちは、混ざり合うの。ねえ」
 彼女の囁く言葉に、深みなんてなかったかもしれない。けど僕は、それから不思議と彼女の中にある唾液を求めるように、キスをせがむようになった。
 支配的な彼女は、自身を僕の中に混ぜたかったのかもしれない。せがむように仕向けた、悪魔の囁きだったのかもしれない。
 僕は、支配された分だけ、彼女を摂取したかっただけ。
 だから毎日毎日。君と付き合う前、君と微笑んだ日の夜にも。僕は、彼女を受け入れ続けた。
 しかし、彼女との終わりは呆気なかった。多分、僕の気が君に傾いたとき、察したように彼女は来なくなった。家にも酒場にも。
 ただ、体内に彼女を残して、終わったんだ。


 こんなことを君に話しても、意味がない。 こんなものはただの思想だし、実際はただの唾液だ。だけど、厄介なのは囁いた記憶で、あれだけが今もこびりついて離れない。隠し事になってしまう。
 君のことは好きだ。だから願うだけ願いたい。隠し事はこのままで。

 どうか君が、僕の肉体も記憶も、上書きしてくれるように、と。

 

nina_three_word.

〈 唾液 〉

〈 隠し事 〉

〈 記憶 〉