グラトニーラヴァーズ
人より食事量が多い人だなあ、と僕が思ったのは、彼女と出会った頃のこと。
それは見るからに……という訳ではなくて、よく見ると多かった。学食での昼食、ファーストフードに入ったとき、飲み会のとき。大盛りとかじゃなくて、品数が多い、そんな印象。
食べることが好きなんだな、と思っていた。
ただ彼女は、付き合った今も、食べることが好きだなんて言わない。
むしろ、食べることに対して、意欲的には見えなかった。
彼女と付き合い始めて、一年半が経った頃。僕は彼女に同棲生活を提案した。彼女は快く受け入れてくれたけど、裏で何か悩んでいるようだった。それから程なくして、同棲生活が始まった。僕よりしっかりしている彼女は、家事分担も決まり事も守っていた。ただ、やっぱり食べる回数だけは多い。気付けば何かを口に入れていた。
「お腹空いてるの?」
気になった僕は、魚肉ソーセージを咥えている彼女に、遠回しに聞いた。
「……いや」
彼女がそう濁したのは、予想外だった。
「空いてないのか」
「うーん、その……」
適切な言葉を探している、というより、言うかどうかを迷っていた。僕はそれ以上は聞かないようにして、その時の会話は流れた。
それから数日して、深夜二時。目が覚めて台所に行くと、彼女がラーメンを作っていた。その時は僕もお腹が空いていたから、一緒に食べた。
また数日して、深夜一時。目が覚め起きると、彼女がインスタント焼きそばを食べていた。食べている横に並んで、一緒に深夜番組を見た。
そして、それから数日、また数日。
彼女は毎晩、何か、食べている。そして、その晩は菓子パン、お茶漬け、ハンバーグを食べていた。僕は、健康面で心配になった。
「ねえ。ねえ、食べ過ぎじゃない?」
彼女は、食べることを止めない。
「ねえってば」
「……食べてると、安心するから」
彼女は、チョコレートの封を開けて言った。
「なに言ってるのさ……」
「別に、空腹なわけじゃないんだ。最初は私もそうだと思ったよ。でも、違った」
彼女は続ける。
「どうも私は、満たされたい、らしい。その方法に食事を選んでいた。そして、これがその末路がこれだ。私は薬物を摂取するように、食事を止められない。ああ、そうだ、君もどうかな」
そう言って彼女は、僕にチョコレートを差し出した。けど、僕には彼女のチョコレートも、彼女自身も霞んでいた。
彼女のことを、満たせていなかった。その事実が僕の中で回り、哀しさと虚無感を生む。大きな、大きな穴。
僕は無意識に、彼女が差し出していたチョコレートを手に取り、食べていた。彼女と同じ方法で、満たそうとした。
食べても食べても、満たされないよ。
けど、これで僕も、共犯者だ。
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〈 食欲 〉
〈 共犯 〉
〈 末路 〉
バスルームシーン
その映画は、電気が消えたリビングの中で、呆気ない終わり方をしてしまった。
宇宙船の中で鉢合わせたエイリアンとの死闘。仲間の死。そしてラストシーン……主人公のお腹の中に寄生したエイリアンを映して、バッドエンド。
エイリアンが何処から来たのかとか、主人公の息子の行方とか、いろいろな謎を残したけど、きっと続きを作るために、残したんだと思う。それで、この映画が何年経っても続編を作られないのは、大人の事情だってことも、私には子供ながらわかっていた。
ママとパパも、もやもやしているのか無言でソファを立ち、片付けを始めた。私はまだ怖くて、掴んだクッションを離せないでいる。
でも、でも、そろそろお風呂に入らないと、ママに怒られちゃう。それに、ママたちが起きてる間に入らないと、後が怖い。
パパもママも、もう寝る準備をしていた。早く入らないと。
私は、二階へと続く、暗く細長い階段を覗いた。バスルームに行くには、この階段を通らないといけない。私は一段一段と、足を掛ける。ふと、エイリアンが階段を駆け上がって来るシーンを思い出して、私はばたばたと駆け上がった。うるさくしたから、後でママに怒られちゃうかもしれない。
幸運なことに、バスルームの電気はつけっ放しだった。覗くと冷んやりしている。少しだけ、怖い。バスルームは昔から、エイリアンがいなくても怖い。
服を全部脱いで、カーテンを閉めて、シャワーを捻る。勢いのある水圧の音に、安心した。ママは、私がちゃんと一人で、お風呂に入れていること、知っているのかな、信じていて何も言わないのかな。
髪を洗って、身体を洗っているとき、バスルームって何かに似ているなあ、なんて余計なことを考えてしまった。真っ白でつるつるしてる。映画の中に出てきた実験室、そっくりだ。
余計なことに気づいたって、後悔する。実験室のシーンを思い出す……そうだ、エイリアンがゆっくり、ゆっくりと主人公たちに近づくんだ……主人公たちはそれに気付かなくて……それで。
みしっ、と音がした。みし、みし、と。それは階段を上がる音だった。私は怖くなった、エイリアンだったらどうしよう、どうしよう。寄生されちゃう。
それはゆっくり、ゆっくりと近づく。カーテンの向こうに大きな影が見えた。私は、身構える。
カーテンが勢いよく開いた。ママと、パパだった。私はホッとする。
「……なあ、もう、これで何回目だ」
パパが、怖い顔をして、シャワーを止めた。
「壊れているのかしら……」
ママが、疲れた顔をしている。
「やっぱりアンジーなんじゃないか。さっきだって、階段の音がしただろう」
「やめてよ。……アンジーは、死んだのよ。いるわけ、ないじゃない」
そう言って二人は、バスルームの電気を消して下に降りていく。
ねえ、ねえ、私、ここにいるよ。
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〈 バスルーム 〉
〈 エイリアン 〉
〈 スピリチュアル 〉
キャンディロープ
僕の前から彼女がいなくなって、二ヶ月が経った。
「もし……私が帰れないとき、ああ、もしもの話だ。そんな不安そうな顔をしないでくれ。いつもの飴を瓶に詰めて、食器戸棚の一番上に置いておく。まあ、帰れないとき用だから、いつもより良いものを用意しといた。楽しみにしているといい」
彼女がそう言ったのは、今から半年も前のこと。しかし、それから四ヶ月の間、彼女は毎日欠かさず家に帰り、僕に飴を寄越していた。それが二ヶ月前のある日、突然帰らなくなった。彼女の家に、僕を残して。
僕は彼女の正体を、何一つ知ってはいけなかった。その代わりに、毎日無償の愛情を注いでくれた、僕を甘やかした。そういう約束だったからだ。だから、僕は彼女の年齢も、本名も知らない。僕が愛していたのは彼女の真実ではなく、彼女という存在だったから、正体を知らないことは問題じゃなかった。
飴は、日と日を繋げる意味合いとして貰っていた。毎日貰うことで意味があるそれは、見方を変えれば餌付けだったかもしれない。どこで買っているのかわからないその飴は、不思議で優しいが味がした。
もしかしたら、彼女の手作りだったのかもしれない。地下の部屋への出入りを、彼女は禁止していた。そこから料理や服を、彼女が持って来ていたからだ。彼女が用意する服も料理も、飴と同じで全て優しかった。
今どこで何をしているんだろう。こうも帰らないと心配で、寂しかった。あの言葉は、この時期を予期したのか。正体を知っていれば、この不安も拭えたのかもしれない。けれど僕は彼女を探さないし、正体を明かさない。それが約束だったからだ。
僕は、この二ヶ月間、彼女が残した飴をまだ舐めていなかった。彼女から貰う飴に、意味があったからだ。帰ってきたとき、戸棚の飴を舐めていなかったら褒めてもらえる、そんな気がしていたから。
けど、彼女は、いつまでも、いつまでも帰らなかった。寂しさがただただ、厚く積もっていく。彼女との記憶も、日々薄れていく。
彼女が消えてから、一年。僕の中で急激に薄れていく彼女のことが苦痛で、戸棚の上から飴の入った瓶を手に取った。飴は一年以上経った今も、半透明のピンク色を保っていた。まるで、時を感じないような飴。
恋しさ故に、その飴を口の中に、入れてしまった。
それは、とてもとても、甘かった。今まで彼女が与えてくれた甘さを、寄せ集めたような味だった。優しくて、堕ちるような、味。
僕は、涙を流していた。そして次の瞬間には、全て忘れていた。何か大切な、何かも。
気付けば、そこは魔女の家だった。
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〈 魔法 〉
〈 寄せ集め 〉
〈 飴 〉
降り続く
駅を出ると、雨が降っていた。傘の持っていない私は、目を細める。
しばらく駅の入り口で、降る雨模様を見つめた。駅から出てくる人は、この雨を予想して傘を持っていた人、傘を忘れたけど諦めて濡れて行く人と、大きく二つに分かれている。私みたいに、雨が止むのを待つ人なんて、いない。
タクシーがどんどん減っていって、駅前には、私だけになった。
雨はまだ、止みそうにない。
雨を見ていると、憂鬱だった、あの頃を思い出す。
私には、二人の友達がいた。幸江と祐一。幸江は、女の目標を具現化したみたいな美人さん。祐一は、とっても優しくて頼れる男子。高校からの仲良しで、三人でよく、遊んでいた。
二人は、よく私の家に遊びに来ていた、高校から一番近いという理由から。それは、高校を卒業した後も、ずっとそうだった。私からしたら、二人が家を訪ねてくることが、とても、嬉しかった。
幸江は私の家に、よく忘れ物をしていた。それは上着だったり、携帯だったり。今でも幸江が、取り忘れているモノがある。美人さんなのに、そういうとこが抜けている。完全より不完全に惹かれると言われるけど、きっとこういうことを言うんだ。
祐一は私の家に、よく相談しに来ていた。相談内容は、付き合い始めた幸江のことだった。優しい祐一は、常に幸江のことを気にかけていて、細かいことも私に相談していた。きっと、幸江もその優しさに惹かれたんだと思う。その優しさが、残酷だとも知らずに。
私は幸江も、祐一も、好きだった。特に祐一のことは大好きで、愛していた。二人が付き合い始めたと知ったときは、素直にそれを喜んで、祝福した。幸江は汚れ役を自ら受け持ったんだと思う。もし私が付き合っていたら、この三人の中での汚れ役は、私になっていた。
それでも、この想いを我慢するのには、期限があって、いつか壊れていたはずだ。その期限を食うように早めたのは、祐一だった。
だから、仕方がなかった。幸江と祐一が遊びに来た、最後の日。幸江が先に帰って、祐一が私に相談を持ちかけてきた、あの日。幸江はあれからずっとずっと、私の家に忘れ物をしている。
それは大きな、大きな、忘れ物なのに。
降り続けていた雨が止んで、私の道が出来た。
重たい灰色の空。この晴れ間の道は、きっと長く続かない。すぐに……雨が降る。その前に帰らないと、床下の忘れ物が、寂しがってしまうだろう。
幸江は、今も忘れ物に気付かない。取りにこない。
どうか、そのままでいて。
その間はずっと、私のモノだから。
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〈 晴れ間 〉
〈 床下 〉
〈 忘れ物 〉
菫色脳内
家から歩いて四十分のこの高校は、生徒が年々減っていた。
この田舎町の子の特性か、学校が悪いのか。先輩も、クラスメイトも徐々に辞めていく。
三十人いた僕の学年は、いつの間にか彼女と他、数人に減っていた。
彼女は、小学校の頃からの仲だった。異性として意識するようになったのは、小学六年生のとき。彼女に対して、何かしたいという欲があることを自覚したのは、中学二年のとき。いつの間にか、言葉巧みに、付き合うことから逃げ、彼女と依存関係になっていたのは、高校一年の秋のこと。
僕は、思慮深く、彼女のことを想っていた。
「ねえ、ねえ」
午前の授業を終えて、昼休み。彼女が、猫撫で声で僕を呼んだ。
「今日、誰も来ないね」
「んー……春だからじゃないかな」
僕は彼女の言葉に、適当な根拠で返事をした。春になり、僕らは二年生になった。しかし、新しい科目、授業が始まったばかりだというのに、クラスには僕ら二人しかいない。
彼女がコッペパンの袋を、綺麗に開ける。
「午後の授業なんだっけ?」
「数学Bだった気がする」
僕は、昆布の入ったお握りを食べ終えたばっかだ。
「ああ、数学。ん、でもそっちじゃない方の数学だった気もする」
聞いてきた彼女が、そう言った。
「でもどのみち、先生はアイツだよ」
小言の多い数学の先生だ。名前はまだ覚えていない。
「私、あの先生前から知ってたけど、やっぱり嫌いだな」
「教え方はうまいけどね」
「でも、きらーい」
文句を言う彼女が、小さな口でコッペパンに齧りついた。小ぶりの唇が次に閉じて、動く。
それを見た僕は、欲のままに提案をした。
「……数学、さぼっちゃおうかな」
「ん、じゃあ、私もさぼる。どこか行く?」
彼女の問いに、少しだけ考えるフリをして、答える。
「音楽室、行こうよ」
「音楽室?」
コッペパンを完食させようと、彼女が口の動きを早めた。
「あそこの鍵、壊れてるんだ」
「ええ、そうなの。でも、準備室に先生いない?」
「今日は午前中で帰るよ、あの先生」
コッペパンを食べ終えた彼女が、大きく飲み込む動きをする。
「楽しそう! 行きたい」
彼女なら、そう言うと、わかっていた。
計画通り、僕らは音楽室に入れた。
楽器が隅に追いやられ、壁には防音のために、小さな穴がたくさん空いていた。
「ねえ、見て見て、スミレの花畑がよく見えるよ」
彼女が窓際ではしゃいでいる。最上階にある音楽室からは、この町がよく見え、校庭の花畑も見える。
僕は、無言で後ろから彼女に抱きつき、キスをした。
スカートの中に手を伸ばし、白く、柔らかい脚を触る。
「……もう、こういうことがしたくて音楽室きたの?」
唇を離した彼女が、少し怒りながら言った。
「別にいいけど。それなら空き教室でも、家でも良かったじゃない」
「ごめんね。すぐしたかったから」
僕はそう言いながら、行為を続ける。彼女が、小さく声を出す。
彼女のことを、僕は思慮深く、想っている。だから、音楽室を選んだ。
喘ぐ彼女の声を、誰にも聞かせないために。
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〈 音楽室 〉
〈 過疎 〉
〈 菫 〉
スプリング
杉林の中。真新しい雪の絨毯に、男の足が深く沈んだ。
硬く、踏むと厚い音が出るような雪だった。男は慎重に、杉に沿って歩く。
男が追っていたのは、二人分の足跡。足の大きさから、女の足跡だということが、男にはわかっていた。
男は警戒しながら進む。一年前、雪が溶けたその杉林で、切断された女の遺体が発見されていた。犯人は、未だに捕まっていない。
足跡は並んで、くねくねと杉林の奥へと進んでいた。男は遺体を埋める場所を探しているんだ、と考えた。決して足跡の主に見つからないように、男は慎重に進む。また足が、深く沈む。
ふと、男の耳に声が入った。談笑するような、明るい声だった。男は硬直し、快楽殺人という言葉が頭に浮かぶ。杉の影に隠れながら、近づいた。
「ねえねえ、ここらへんでいいんじゃない?」
「そうだね。あまり奥に行くと帰れなくなるものね」
声と足跡の主は、セーラー服に身を包んだ、二人の女子高生だった。
男がしばらく様子を見ていると、二人はその場に雪を盛り始めた。どうやら、雪遊びをしに来た麓の女子高生だということが男にわかり、安堵する。
雪に触る女子高生たちが笑顔で、スカートを揺らしている。
男は手の中にあった猟銃を握り直し、銃口を一人の女子高生に向け、腹に撃ち込んだ。
鈍い声を出し、女子高生が倒れる。白い雪に、血が染みていく。
銃声の後に静寂。次の瞬間に、もう一人の女子高生が動揺の声を漏らす。
「え、なんで」
悲鳴のタイミングを逃し、その場に女子高生が、座り込んだ。男は、冷静に近づき、まだ息絶えてない女子高生の腹を、足で軽く踏み、反応を見る。
その間に、もう一人の女子高生が逃げ出した。男は、わざと、逃す隙を与えた。雪の中を走ることに慣れていない女子高生にとって、逃げることはまるで、水の中を進むような感覚だった。
男は踏みつけていた女子高生の頭に、また一発撃ち込んだ。そして確実に一歩ずつ、雪に慣れた男が逃げた女子高生を追う。
走り疲れた女子高生は、三本の杉が三角形のように密集した影の中に、隠れた。遠くで銃声が聞こえ、女子高生は怯える。
息が整い、女子高生はじっと、時が経つのを待つ。銃声は聞こえなくなり、このまま消えてと、女子高生は願う。
しかし、ふと、女子高生はあることを思い出した。その事実が、冷静が、少しずつ、確実な恐怖へと変えていく。
小さな足跡と、深い足跡、二人分が、三本杉へと向かっていた。
雪が溶け、杉林は春容に包まれた。
暖かい陽の色。心地の良い風。ホトトギスの声。
二人分のセーラー服と、遺体。
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〈 足跡 〉
〈 銃口 〉
〈 春容 〉
虫食いフィルム
時を重ねるごとに、俺は劣化していった。
それはまるで使い古された映画フィルムのように、劣化していく。そのうち動きもしなくなるだろう。それを意味するのは終幕の〈死〉ではなく、ただ純粋な〈終焉〉だ。
フレームレートというのは、映像の中の一秒、その間に使う静止画の枚数のことを指す。枚数が増えれば増えるほど、滑らかな映像になる。
滑らかであればあるほど、肉眼で見た映像に近づくのだ。
俺のフレームレートが最も多く鮮明で、毎日が作品だったのはいつ頃だったか。秘密の空き地に集まっていた少年時代か、それとも映像部に属していた大学時代か。いずれもその頃、目に見える映像は滑らかで、質の良い作品だった。
ある日、俺の日々の中のフレームレートが減っていたことに気付いた。まるでぎこちない日々。この劣化を意識し始めたのは、社会人になってからだろう。その日その日が、何の印象も持たずに過ぎていく。そして、それがいつの日からか、いつの間にか、一日が終わっているような感覚になっていた。
フレームが勝手に、抜け落ちていく。
焦燥感に追いやられた俺は、通っていた大学を訪れた。ここに来れば、減ったフレームが復元される、そんな気がしたのだ。新しい校舎が建てられたぐらいで、大学は全く変わっていなかった。よく映像部で撮影をした庭も、まだ健在していた。しかし何か、物足りなさのような違和感が不気味だ。結局俺は、大学でフレームを復元することは、出来なかった。
毎秒がない日々。何が抜け落ちているという、漠然とした恐怖。
気付けば俺は長期休暇を取り、実家に帰っていた。八年振りの、この街。俺はここで義務教育の青春を積み重ねた。しかし、この街にも何か、抜け落ちた違和感がある、いったいこれは。
秘密の空き地は整備され、新しく建ったスーパーの一部になっていた。それでも、街は俺の記憶にある街だ。ここで俺は、目に映像を、記憶を焼き付けていたはずだ。
なのに、なぜだ。まるで懐かしさを感じない。
抜け落ちた違和感の正体はこれだ。何も、感じない。それどころか、当時の映像が思い出せないでいた。あるのは、個々のフレームの記憶だけ。
時の有り難みを、いつの間にか失っていたのだ。人生というドラマの撮影を、終えようとしている。
何もない日々が、いつの間にか俺を劣化させていた。出来上がったフィルムも、これからのフィルムも、全て劣化している。
時を味合うことを失ったこの罪は、俺の……人の堕落でしかない。
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〈 フレーム 〉
〈 堕落 〉