「あの、あの、ちょっといいですか」
午後十時の街角。疲れ切った身体が無意識に癒しを求める時間。
私はたまたま通り掛かったスーツ姿のお兄さんの、その長い指が気になって引き止めた。
お兄さんは、警戒もせずに振り向く。
「なんでしょう?」
優しそうで、少し期待混じりの声だった。私はなんて言葉を続けようか、ほんの一瞬だけ迷って、繋げる。
「突然すみません、その、さっきから私、誰かに後を尾けられているみたいで……あの、もし良ければなんですけど、途中まで一緒に歩いてもいいですか……一人じゃとても怖くて」
お兄さんは私の後ろを見た。そこには暗闇に続く道路が続くだけ。もちろん、誰も私なんか尾けていない。
ここでお兄さんが、警察に、なんて言えば脈はない。
「途中まで、なら」
ああ、脈はあった。
「ありがとうございます!」
私は笑顔で返し、お兄さんの横に、手が触れそうな距離で並ぶ。
お兄さんの雰囲気が変わった。〈良いこと〉をしようと、チャンスを伺っているのが、手に取るようにわかった。
私はそんなチャンスを、餌のようにぶら下げてお兄さんを誘う。
露出したうなじで、花の匂いがする香水で。
「ふふ、お兄さん、手綺麗ですね」
私のやり方は、いつも刺殺だった。
もう何度もやったからなんとなくわかる。肋骨の隙間。刺さると致命傷になる位置と角度。
今、目の前に転がっているお兄さんも。うまくナイフが心臓に届いたからか、もう動かない。気絶してるだけかもしれないけど。
工事が中止された廃墟の二階。血溜まりの中に転がった、下心に溺れたお兄さんの横に私はしゃがみ込む。その顔は、彼とは違い何処か濃い顔の人だった。
眉間に皺を寄せ、苦痛な顔をしている。
私は、そんなお兄さんの冷たい手を、両手で握った。
恋人のように指を絡ませ、何度も握り直した。
「違う」
私は捨てるようにお兄さんの手を地に投げた。コンクリートに当たり、篭った鈍い音が耳に入る。
また、役に立たない骨だった。これで何人目だろう。
彼のように、触るだけで高揚するような、しなやかな指じゃなかった。
もう、こんなんじゃ、彼は完成しない。
肉と心はもうあるのに。殆どの骨は揃えたのに。どうしても、こだわりの手が見つからない。
同じ背丈の男の人を狙うだけじゃ、ダメなのかな。顔も似てる人が、いや、仕草も似ていた方が良いのかもしれない。うん、きっとそうだ。綺麗な手の持ち主は、きっと仕草も綺麗だ。
明日からはもう少し、確実な骨が手に入るように行動してみよう。
そうと決まれば、はやく帰らなくちゃ。
彼の素が浮かぶ、あのバスタブに。
「ごめんね。今日も骨が、足り無いみたい」
nina_three_word.
〈 無骨 〉