kurayami.

暗黒という闇の淵から

カフェのあの頃

 小さな駅を降りて徒歩七分の場所に、俺のカフェは静かに佇んでいた。
 錆びたシャッターを腰を降ろし、思いっきり引き上げる。引っかかるようなうるさい音と共に〈カフェ・シラキ〉と、赤色の文字でプリントされた硝子窓が俺の目の前に現れた。
 シラキ。この町で、放課後に、多く呟かれた固有名詞。
 舌を出した頭の悪そうな白熊のストラップが付いた鍵をポケットから取り出し、長く―—十二年閉ざされていた扉の鍵穴に通す。カチッと軽い音を立てて、扉はいとも簡単に開かれた。
 中は……経営困難なんてつまらない理由で閉店した、あの時のままだった。全て綺麗に片付けられ、いつでも開店が出来るような状態。
 まあ、もう、開店なんて永遠にないのだが。
 足を踏み入れると、少しだけ埃が舞った。無理もない。十二年だ、散りもそりゃあ、積もるか。この土地を引き払うための必要書類をここに取りに来なかったら、一生ここには来なかっただろうし。客の来ないカフェなんて、虚しいだけだからな。
 レジの下にある引き出しを開けて、必要な書類を見つけ出した。ここに無ければどうしようかと思っていたから、安堵する。
 それにしても、あまりにもあの時のままだ。タイムカプセルのような……過去がそのまま、そこに存在しているような感覚。

 一番奥に見える、照明が足りない暗い席。窓際と同じぐらい人気なあの席には、町のオッサンたちが煙草を咥えて、しかめっ面をして座っていた。だが、俺は知っていたよ。換気扇を気にしてのことだったのだろう。変な位置の換気扇で悪いとは思っていた。

 ああ、埃が積もっても見える。赤い絨毯に珈琲色の染み。バイトの梵木君が初日にやらかしたやつだな。彼は不器用だったが仕事熱心な子だった。俺が唯一、店番を任せることが出来た優秀な子だ。

 入り口から入って左奥、窓際のソファの席。あそこはカップルに人気のある席だ。木曜日の放課後は決まって、身長差のあるカップルがあの窓際の席で本を読んでいた。数年に渡って必ず二人で来ていたから、印象的でよく覚えている。

 このカウンターの、左から二番目の椅子。他のより少しだけボロボロになったあの椅子は、常連の湯高さんがよく座っていた。くたびれた見た目をしたオッサンだったが、どこか余裕そうで、妖怪めいた雰囲気をしていた。毎回来てはぽつりと“一言”だけ、俺に話題を振るんだ。ほんと不思議な人だったよ。

 気づけば、記憶が蘇っていた。過去から引き継がれた舞台が、面影を通してあの頃を上映する。
 あの頃の情景が、彼らが、そこにいる。
 しかし一度瞼を閉じれば、そこは埃を被った現在のカフェ。
 在ったはずのもは記憶と面影に内包されていて、実在しない。
「……達者でな」
 俺は〈現在と終わり〉を知らない〈あの頃の過去〉に向けて、届かない別れを告げた。
 

 

 

nina_three_word.

〈 閉店 〉
〈 面影 〉
〈 達者 〉

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