kurayami.

暗黒という闇の淵から

望み、残酷衝動

 当たり前だと思っていたビジョンは、時間をかけて崩れていく。
 これは二十四の私から、二十一の君への、初めての告白。聞いてくれるかな。
 私が子供の頃に思い描いていた、想像の今現在。そこには何でも解決しちゃう旦那さんがいて、たくさんの可愛い猫を飼って、大きな一軒家で暮らしてる。近所には友達のマヤちゃんとミヨちゃんが住んでて、海にも山にも歩いて行けて……ううん、歩いてどこにも行ける。有り触れて、欲張りに溢れた、想像だった。
 もちろん、それは〈現実味〉が欠けた想像に過ぎない。歳を取るごと、遊ぶ範囲が増えるのと引き換えに、徐々に〈現実味〉は私の想像の今現在へと降りかかっていった。膨らんでいた想像は徐々に萎んでいき、形を固く鋭くなっていく。
 だけど、例えどんなに〈想像=望み〉が現実に犯されていっても、
 心の何処かでは、私は幸せになれると信じてやまなかった。
 だってそれが、人間だから。
 望みを叶える権利があるはずだって。
 でもね、それは違っていたみたい。
 事実はもっとシンプルで夢のないモノ。幸せな望みを叶えるための、進路への分岐点は気付いた時にはもう、ずっと昔で、戻れなくて……手遅れらしい。手を伸ばそうにも、まるで届かない。少し前まであった望みも蝋燭の火みたいに、ふわっと消えちゃってさ。
 私の人生はこれ以上、色鮮やかになることはないって。
 いつか報われると、頑張って生きてきた私からしてみれば、それは残酷な衝動で、強い衝撃だった。ただ積み重ねてきたモノはあって、決して生きれないわけではなくて、死ぬという選択は漠然としていて生じることはない。
 だから、なんというか、世界に諦めさせられたんだよ。浅はかな望みをこれ以上抱えることなく、多くを望もうとしないで、適度な消費的幸せにしがみつくことにした。いずれ自然と訪れる、終わりのその日まで。
 つまりね、この告白がなにかというと、私にとっての君とはなにか、って話。
 将来を高望みしない私。その正体は、希望に枯れ果てた無欲気取りの哀れな女。そんな私が君に告白されて付き合っている理由。それがなにかって、なんだと思っているのかな。
 君は私に、認められたと思っている?
 ごめんね。違うの、違うんだ。誰でも良かった。どうせ望んだ未来が手に入らないのなら、もう誰でも。ただ手伝えたら良いなあって、それだけ。
 ねえ、今どんな気持ちなのかな。愛していた人が〈ただの受け身〉だって知って、ショック? ごめんね。
 恋してるのは、君だけなんだ。

 

 

 

 

 

 

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〈 ショッキング 〉

〈 カミングアウト 〉

胎児回帰

「ひよめきが出来てますね」
 医師は椅子をくるんと回転させて、向き合った女性……詩織に診断結果を告げた。
「ひよめき、ですか?」
「ええ、聞いたことないですよねえ」
 意識が最近微睡む、頭のてっぺんが熱くて微かに頭痛。そんな症状に悩んで外科を訪れた詩織は、聞いたことのない言葉に不安になる。
「まず結果から言うと、貴女は〈帰る〉ことになりました。死ぬわけではないんですが、まあ、この時間の人たちとはお別れをした方がいいです」
「え、え……〈帰る〉……ですか?」
「あまり事例がないので、驚くのも無理はありません。元はと言えば、山々に住み着く〈無彩色のアヤカシ〉の一種から流行った病だとも言われていますが、痛いもの哀しいものではないので問題ありません。むしろまた新しく生まれるのですから、若返りのようなものですよ」
 医師から発せられる知らない言葉に、詩織は混乱した。
「あの、えっと、私は何処に〈帰る〉んですか」
 慌ててした質問は、数ある中でも漠然としていて、詩織は間違えたと少し後悔する。
 しかし、その質問は見事に的を得て、詩織の混乱を動揺へと変えた。
「母の中に、ですよ」
「母、ですか?」
 医師が言った「この時間とお別れ」「新しく生まれる」という言葉が、詩織の中で意味を持って、確かに響いていく。
「ひよめき。それこそが別名で、実際は泉門と呼ばれるものです。生まれたての赤ん坊の頭蓋骨にある骨で、まあ硬い頭蓋骨のパーツを繋ぐ柔らかい骨、とでも言いましょうか」
 詩織は医師の言葉に頷きも出来ず、意味を固めながら話を聞いた。
「軟体性を持たせる意味、それは産道を通るためです。詩織さん、お母さんはお幾つですか?」
「その、母はもう既に、他界していて……」
「ああ、そうなんですね。しかし、同じ血液型の女性であれば問題ないんですよ」
 それはつまり。冷や汗を出す詩織は、自身の運命をもう悟っている。
「貴女を産み直してくれる女性を、探してください。もうあと二週間で、貴女は赤子になってしまうのですから」
 私を身体に収め、再び産む人。
 詩織の中で心当たりのある人は、親戚でも姉妹でもない。唯一愛している、恋人の泉美だった。

「ん、わかった。いいよ」
「本当にわかったの?」
 詩織が震える声でした告白に、泉美は二つ返事で答える。
「私が詩織のお母さんになるってことでしょ」
「そうだけど、そうじゃなくて」
 基本的になんでも「いいよ」と言う泉美に、詩織は不安になった。
「私を、その、身体に入れて、お腹の中で育てて、また、産むってことだよ?」
「うん。いいよ」
「でも」
 もうしばらく会えない。次に会う時には記憶がないかもしれない。そんな不安はもう意味がないことはわかっていても、泉美の返事はあまりにもあっさりしている。
 改めて状況を飲み込めなくなって、詩織は泣き出しそうになった。
「ええ、もう、大丈夫だって。残り二週間しかないんでしょう? 明日は遊園地にでもいこっか。ああ、もちろん仕事は全部休むね。産休? になるのかな」
 いつも泉美はそうだ。と詩織はため息をついて泣き出す。
 余裕を常に持って、詩織を甘やかす。
 詩織の頬を触りながら「大丈夫、大丈夫」と、泉美があやした。
「あ、あと、二週間しか、ない」
「二週間もあるよ」
 泣き続ける詩織を、泉美が優しく抱きしめる。
「ねえ、私を選んでくれて、ありがとね」
 泉美は詩織から見えない角度で、微笑んだ。
 優しさと同情、嬉しさと切なさ。交わる混沌と狂気を隠すように。

 二週間後。詩織は見事に、胎児の姿へと戻り、手術と回帰の日を迎える。眩しい光、微睡みから深く落ちる瞬間。詩織は泉美の喘ぐ声を、暖かさに包まれて、ピンク色が綾なす中で、確かに聞いていた。
 そして泉美は、自身の中に愛しい詩織が入って〈帰る〉のを身で感じ、身の底から震えている。
 母の、かんばせで。

 

 

 

 

 

 

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〈 あやなす 〉
かんばせ
〈 ひよめき 〉

 

精神と海岸の物語

 重たい曇り空の下、人気のない海岸沿い、船屋前。鋭い岩肌に黒い波が当たって、ばらばらになって砕けた。
 僕ら少年少女七人をここまで連れて来たのは、深い紅色のローブで顔を隠したお兄さん。
 ローブのお兄さんは、船屋のおじさんに話している。
「船を借りたいんだ。大きなモノと、小さなモノで」
 時々目を開けられないような突風が吹いて、僕らの顔を痛めつけた。
「それはいいが、お前さん〈精神感者〉だろ。となると目的地は……」
「ああ、星都になる。しかし、行き先はポルックス近くで構わない」
 ローブが風に揺れて、お兄さんの無表情な顔が覗く。真っ黒な瞳、藍色の睫毛が僕とお揃いだった。
ポルックス近くか、まあ、それならそう高くはないだろう。船は大きいのと小さいのと言ったが、何人と何人で乗るつもりなんだい」
 おじさんが、お兄さんの後ろで纏まっている僕らの様子をチラッと見る。
「七人と一人。その大きさの船で頼む」
「お前さんと、子供たちか」
「いや、俺と六人と、もう一人だな」
 お兄さんの言葉に、僕は疑問を持った。誰かが、一人になる。誰だろう。
「まさか」
「そうか、間違えた。小さな船の方は買い取りで頼む。出来るか?」
 ローブの中から、何かが入った麻袋をお兄さんが出した。
「買い取りは、出来るが……一体なぜ」
「一人だけ〈アパシー〉がいる。それも重度の。今は擬似精神で抑え込んでるが、崩壊も時間の問題だろう」
 お兄さんの真っ黒な瞳が、僕を横目に見て、そう語った。
「しかしそれは、お前さんも。もしかしたらお前さんのように」
「いい。もうあの精神能力値じゃ、この世界は生きれない。それに、俺も……」
 おじさんの言葉を遮ったお兄さんの言葉は、最後まで発せられない。
 どうやら僕だけ、別の場所に行かなきゃいけないらしい。こちらを振りむくことのないみんなと別の船に乗って、遠く果てに流された今、それは変わらない事実。
「僕という擬似精神の役目は、そろそろ終わりが見えてきた」
 聞こえた声は、僕に埋め込まれた、僕ではないモノ。
「悲しいと思う? でも見てごらんよ。今こうして、やっと僕らは自由になったんだ」
 悲しいとは、嬉しいとは思えない。
 けれど、自由という言葉は何処か、魅力的だった。
 陸は遠くに線となって見えて、面となる灰色の空は波を風を荒らしている。
「もちろん僕は、この灯火が消えるまでは生を全うするつもりだけど」
 好きにすればいい。
 船は海の淵を目指すように、一人でに流されていく。

 遥か彼方の神話。アパシーとステータスの世界から外れ、数多の物語の海に存在する、赤目の少女とすれ違う、その先まで。

 

 

 

 

 

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〈 ステータス 〉
アパシー
〈 チャーター 〉

 

タイムブランチ

 九月第五土曜日、昼頃。男がシャワーも食事も済ませて、気分に任せて何時でも出掛けられる、その日のこと。
 男はテレビを見ていた。もう何年も前から、男が子供の頃からやっている土曜昼間のバラエティ番組。小さなテレビの枠の中で芸能人たちが、新築の値段を当てあっている。男のお気に入りのコーナーだ。
 思考を半分失ってソファに沈んでいる男の足元を、秋らしい涼風が優しく撫でる。男が視線だけ動かすと同棲している恋人の女が、洗濯物を干すためにベランダを開けていた。
「良い天気ね」
 機嫌良く呟いた女の背景には、真っ青な空が広がっている。
「なんだか、こんな高い空久しぶりに見た気がするなあ」
「んー」
 同意を求めた女の言葉に、男は適当に返事した。
「ねってば。聞いてる?」
「聞いてるよ」
 もちろん男は聞いている。女の言葉一つ一つを邪険になど思わず、無意識に特別な記憶に覚えて。
「あとでお出掛けしようよ。デート。午後の吉祥寺に行きたいな」
「ん……え、いい。いいな、それ。懐かしい感じある」
 男が初めて首を動かして、女の方を見た。テレビの中では新築の値段発表に、芸能人がそれぞれリアクションを見せている。
「でしょ。高校生の頃を思い出さない?」
「確かにな。あの頃の遠出って言ったら、吉祥寺が精一杯だったっけ」
 まだ二人が、ただの友達のグループの一員だった頃を思い出して、男が呟いた。
 洗濯物を干し終えた女が背中でベランダを閉める。
「じゃあ私、コンビニにお金降ろすのと、卵買いに行ってくるね。その間に、何か、支度しときなね」
「あーい」
 何時でも出掛けられるんだけどな。そんなことを考えながら、男は出掛けて行く女の背中を見送った。
 テレビの中では、相変わらず芸能人たちがそれぞれのリアクションを見せている。コーナーは変わり、NGワード有りの買い物シーンへと移っていた。
 背伸びをした男がそろそろ支度を始めようとする。〈風が気持ち良い日に、恋人と懐かしい地をデート〉という、ごく普通の幸福に男は機嫌が良い。
 そんなとき、テレビから普段あまり聞かない高い電子音が鳴った。
 速報を示す、大きな音。
 男がテレビに再び目を向けると、楽しそうに買い物をする芸能人が映る画面の上部に、白い文字でテロップが流れている。
『一分後、時が止まることが発表されました』
 そのテロップの意味を、男はすぐに理解出来ない。
 しかし、窓の外から消えた自動車や風の音。
 黒い画面になったテレビ。
 動く情報が徐々に消えていく世界の中、男は不思議とテロップの言葉を理解していった。
 全て〈止まる時〉の中、男の頭の片隅にあったのは、デートをしたかったという、些細な後悔だけ。

 

 

 

 

 

 


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流れる〈 テロップ 〉を観て諦める。

ニオ

 井の頭線の電車が、下北沢の手前で大きく揺れた。反動で乗客のニオいが持ち主から離れて、少し混ざる。
 僕のパーカーに染み付いた、あの人の香水の匂いも。
 シューズの裏にこびり付いた、土の臭いも。
 マスクをしていても、それを防ぐことはできない。
 僕の嗅覚は、異常に優れていた。誰にも言ったことがない。元を辿れば子供の時に見ていた、狼が刑事として活躍するアニメのモノマネごとだったと思う。遊びから帰った夕方、家の前に着くたびに換気扇からのニオいで晩飯を当てるゲームを何度も繰り返していた。それがエスカレートして、友達のニオいを密かに覚えたりして、僕の嗅覚はどんどん発達していった。
 だから、香水があまり好きではないんだ、鼻に刺さるから。
 あの人を殺したのは、そんな理由じゃなかったんだけど。
 むしろ、愛情が過ぎただとか、不安だからとか、並べやすい言い訳のようなものだ。「あの人を隠れ家に、微かに重なっていく知らない男たちのニオいに、気が気じゃなかった」なんて、事実のまま誰かに伝えても納得もしてくれないと思う。
 いつからか、あの人が何かを誤魔化すように、香水を付け始めたんだ。本人は隠していたつもりだったのかもしれない。けど、僕の嗅覚を誤魔化せるわけもなく、あの人は知らないニオいを日に日に増やしていった。他の男たちの存在に、僕が嫉妬しているとも知らずに。
 苦しかった。でも、それでも、何もない素振りで〈僕だけ〉と笑い〈僕だけ〉にとお気に入りを教えてくれた、あの人を、今でも憎むことができない。
 そう、どんなに憎くても、この愛おしさを止めることなんて出来なくて。
 感情のまま欲望のまま、これ以上ニオいを重ねないために。僕は都内の山で、あの人の首を締めて終わらせてきた。苦しそうな顔をして「ごめんなさい」と言ったあの人の顔が、記憶が頭の中を過る。謝るくらいなら、隠さなければ、しなければ良かったのに。
 全てを終わらせた今、不思議と罪悪感も後悔もない。ただ、こんな結末になってしまって、とても哀しい。
 僕に出来るのはもう、あの人の姿……思い出を、ニオいを忘れることだけだ。そして殺すようなことがない、新しい恋を見つけること。もう死臭なんて嗅ぎたくない。
 乗っていた井の頭線の電車が、終点渋谷へと辿り着く。乗り換えの改札に行くまでの間に、また色んなニオいを嗅ぐことになると思うと気が重くなった。
 改札を出る人、入る人が交差する。
 ポケットに入れた切符を取り出そうとした時、通り過ぎて行った嗅ぎ慣れた呪いのニオいに、僕は思わず振り向いてしまった。

 

 

 

 

 

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〈 残り香 〉

〈 隠れ家 〉

〈 土臭い 〉

純白所有欲

 薄暗くて、遠くが見えない。孤独な場所に私はいる。
 昔はね、もっとたくさんの人がいたの。若い子から、お姉さんまで。みんな姿形が違って、心や容姿に可愛さや綺麗さ、かっこよさを持っていた。
 売れ残った私とは、大違いで。
 みんな、誰かに価値を認めれて、何処かへ連れて行かれた。不安そうな顔、嬉しそうな顔をして。羨ましいけれど、みんなが連れて行かれることや、私が残ることには納得してしまう。
 だって、こんなにも汚れているもの。
 お試しだって言って。返却だから、と言って。
 私にはとても、価値なんて付けれない。
「おめでとう」
 誰もいないはずの空間からの声に、私は咄嗟に振り返った。
 声の主は、灰色のジーンズを履いて真っ白なワイシャツに袖を通した、ボサボサ髪の男の人。
「おめでとう。見事な売れ残り。無残な残り滓」
 拍手もせず、感情を隠すような黒い瞳が、私を見つめて呟く。
「貴方の値札を書き換えに来ました。買い取りに来ました。ええ、ですが、そのままでは値段も与えられません。あまりにも汚すぎます。そのことは自覚していますね?」
 彼の言葉に、私はこくんと呟く。傷付きはしなかった。むしろ、肯定されて変に安心している自分がいる。反面、今更買い取られるなんて事に、現実味が湧かなかった。
「なので、これから貴方を漂白します」
 宣言にも近い、彼の言葉。
 手を引かれるまま私が連れて行かれたのは、広く白い綿の大地。ふわふわした地面を踏みしめて、遠くを見渡しているとき、ふいに肌寒くなった。
 何かと思えば、彼に皮膚を剥がされている。露出する赤黒い内部。不健康な内臓。目にした彼が、眉間に皺を寄せた。
 私の中に存在する黒く淀んだモノを、彼が引き摺り出し、捨てて、ときには握りつぶしていく。血の中に存在する汚れすら、彼には許せないらしい。全て抜かれた血は、ロ過装置で丁寧浄化されて、私の中へ戻された。
 長い時間、彼の男らしい指で洗われて、仕上げに彼は〈白いモノ〉を私かける。ベタついて糸を引くソレは、間違いなく彼のモノ。そのとき初めて、満足と疲労と、感情を浮かせた彼の瞳を見た。
 全てを探られ……書き換えられて、生まれ変わった気分。だけど、これはあくまでお呪いに過ぎないの。私が思い出せばまた汚れるだけだし、彼が納得するかしないかが全て。残り滓だったことに変わりはない。
「漂白が終わりました。これで貴方は僕だけのモノです。どうでしょう、新しい値札は。僕の中でも最も高い数字をつけました」
 優しい表情でそう言った彼のワイシャツは、まるで犯されたように薄汚れていた。

 

 

 

 

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〈 残滓 〉

〈 漂白 〉

〈 値札 〉

 

 

タオヤメ

「益荒男であれよ」
 それが俺の父親の口癖であって、母親が居ない我が家の教育方針だった。たぶん、俺に物心が付く前から言っている。生まれたばかりの赤ん坊に、呪詛のように愛と共に呟いてきたんだと思う。
 父親の教育の努力があってか、兄は見事に、立派で勇敢な益荒男となった。だからそのうち、父親の口癖には「兄のような」とつけ加わるようになったんだ。
 益荒男はかっこいい、男らしいと、正義だと父親はよく言っている。
 そんなむさ苦しいのが、今時かっこいいのかと疑問に思う。もっとそんな勇敢なんて振舞わないで、気付かれないで済ませるような、そんな冷たさがかっこいいんじゃないのか。もっとこう、細くて……そう、美しさ。
 父親の言うかっこよさは、派手さに近い。
 俺の思うかっこよさは、美しさ。
 密かな反発心は、届かないまま。中途半端な益荒男が生まれる原因となってしまった。まるでなりたくないモノにされて、自分自身すらも否定してしまいそうになる。否定する必要なんて、ないのに。
 それでも自身を失わなかったのは、尊敬する存在が確かにあったから。
「これ、内緒ね」
 姉の、俺だけへの口癖。唯一下で弟である俺に、姉は甘かった。
 父親権力の我が家の中で、姉はコソコソしながら俺にご褒美を与える。それは普段家で禁止されている、夕方アニメのグッズやら甘いお菓子など。父親が見つけたら白けた表情でゴミ箱に捨てるような、そんなもの。
 女の教育にあまり興味を示さない父親は、姉に対してだけぶっきらぼうだった。情熱が無い、とでも言うべきなのか。きっと、姉の事を嫌いというわけではないと思う。けど、一番下の俺から見ても、それは愛情不足な接し方だった。
 母親が居ない、ぶっきらぼうな父親。そんな家庭内の中でも姉は強くて、文句も言わず、一人努力している。かっこよくて、それでいて女らしい。
 益荒男なんかよりもかっこいい姉は、俺の自慢で、憧れだ。
 本当は、姉のように、綺麗な水彩画を描けるようになりたい。
 美しいモノに触れて、甘い幸せを夢見たい。水色と桃色が本当は好きだから。
 柔らかさと甘さの両立。綺麗な姉のように、なりたい。
 心の底から切に、姉の姿を、俺は望んで。
 ああ、孕んだ尊敬は、望まない教育に反発して、濃く染まって歪んでいるな。
 か弱い憂鬱の中で、自分を知ってみたい。長くなった毛を、切ろうか迷いたい。
 細い強さの中にある、魔性が欲しい。
 街角でスカートを揺らして、恋をしたいんだ。
 愛されるような、強い美しさ。
 〈次男〉じゃなくて〈次女〉で、ありたかった。
 俺は。

 わたし、は。

 

 

 

 

 

 


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〈 益荒男 〉
〈 次女 〉